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宇宙のシステムを信頼する

6月に引き続き、大人の農業合宿に参加。
中川吉右衛門さんの田んぼで稲刈りをさせていただいた。

田舎育ちなのに実は稲刈りは初めて。

鎌が稲の根本を歯切れ良く刈る音と程よい抵抗が心地よい。

次第にリズム出てきてしばし没頭。

これまで外来診療で多くの農家の方の話を聞いてきたが、自分が農作業を体験することで、その人の背景を半分も理解できていなかったなと実感。

普段体験することのほとんどない「刈る」作業はザクザクという音も体感もかなりお気に入りだった。

さて、この度の山形での体験を通して、
これまで私自身が無自覚に
持ち続けてきた視点が鮮明に炙り出された。

それは「宇宙に対する絶対的な信頼の欠如」
に気付かされたこと。

人が生きていくには、多かれ少なかれ
環境破壊を必ず伴うものだ。

特に近年の急激な人口増加や
人間活動の目まぐるしい拡張は、
私たちを取り巻く環境問題を
一層深刻なものとし、
グローバルな視点よりさらに
巨視的な視点からの対策が求められている。

資本主義社会における
大量生産、大量消費を背景とした
人間の無自覚な環境破壊が、
地球という超生命体の自己治癒力を凌駕し、
取り返しのつかない恒久的な
ダメージを与えてしまう。

なんとかその前に歯止めをかけ、
科学技術を活用しながら
持続可能な範囲での開発を目指す

というのが世界の趨勢らしい。

しかし、これは本当なのか?
何か大切なことを見落としていないか?

再生は破壊無しにはあり得ない。

また、破壊も再生なしにはあり得ない。

命の循環とは生と死が織りなす動的な平衡状態。

死があるからこそ新しい再生が発露する。

生があるからこそ死とも向き合える。

生の主体は時には永遠の命を願うが、
死があるからこそ
その限られた命を昇華させようとする。

「人も自然も宇宙も、
思い通りのバランスにはならないだけで、

人も自然も宇宙も、
バランスは常に保たれている。」(小関勲先生)

たとえ人間が一見取り返しのつかない
破壊に加担したとしても、
宇宙や自然はより明白に
その完全なる理(ことわり)を見せつける。

その理を信頼できないから
人間は強迫的にコントロールし、
保護しようとするが、
本当の意味での巨視的な視点からは
たとえ愚かで浅はかな人間の業に対してでも
宇宙はバランスを取ろうとしてくれる。

時には優しく母性的であり、
時には荒々しく父性的でありながら、
常にバランスは保たれている。

癒されるべきは地球や宇宙ではなく、
常に人間たちの方なのだ。

私たちにまず必要なのは、
宇宙をとことん信頼してみることだ。

#中川吉右衛門  
#稲刈り
#腸内細菌  
#土壌菌  
#身体知

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