【初癌 初入院 初手術レポ】術後どれくらいで動けるか
人が生涯でガンになる確率は結構高い、とは聞いていても、なるまでは、やはりピンとはこない。しかもそれが、老年前ならなおさら。
そうなってしまって、パニくり、落ち込み、悲観しながらも粛々と治療・入院・手術へと進んでいく様を書き残します。
50歳 独身独居、近隣に身寄り無しの不安な境遇でのがん治療のリアルを書きます。同じような境遇の方のためになれば。
<わたしの経過>
2015年右乳房から出血したのをきっかけに乳腺専門クリニックに1年に1度通院。ずっと、「悪いものではない」と言われて経過観察。
2022年2月突然わきの下が尋常じゃなく痛む。定期健診日前にクリニックに行くと、大きな癌になっていることが判明。しかも両側。
大学病院に転院。 抗がん剤治療を半年するも、担当医の発言、態度を不審に感じ、手術前にセカンドオピニオンを取る。
そのまま国立の専門病院で入院、手術。 現在退院10日目
<病状>
乳癌 両側全摘出 左側はリンパ郭清 右はセンチネンタル陰性
乳癌としては重いほうですよね。 なので先述した通り、個室暮らしができたわけです。
<手術当日 携帯はいじれる!>
朝から夕方3時半くらいまでかかる長い手術だったので、病室に戻ったのは夕方。 この日は動いてはいけません。尿道カテーテル入ってるのでトイレにも立つ必要はないです。 乳がんというより、全身麻酔への対処のようです。 頭も少ししか起こせません。
しかし、腕は意外にも動かせたので意識戻ってからは携帯をいじらせてもらえました。 義妹にLINEしたら 「早!」って返事きました。
痛み止めと水分のための点滴もつながっています。 ドレーンという、胸の中にたまる液体を排出する管と受けるパウチのようなバッグが両脇についてて、もう管だらけです。
痛み止めは自分で痛いときに手に握ったボタンで自分で補給できるようになっています。 痛いんで常に押してたような気がします。
どこからが夜なのかわからないくらい朦朧としてましたが、翌朝までは2時間置きに看護士さんが検温と血圧測定と、ドレーンの廃液処理にきて、起こされるので、眠りとしてはとても浅いです。
<翌朝 強引に動かされる>
明るくなっていたので7時くらいでしょうか? 医師が来たようなきもしますが意識ははっきりしません。 しかし9時ころに来た看護士からスパルタが始まります。
まだ先述の管が全部ついてるのに、立ち上がって歩けというのです。
むーん! 両側の場合足に点滴が通ってるので尿の管もあり足元が管だらけなんですけど・・。 別に寝たきりじゃないので、足腰が弱るわけではないのにスパルタだな、と思ってました。 ゆっくり頭を起こして立ち上がるものの、痛み止めの副作用の吐き気が凄く脂汗が出ます。それでもナースステーションまで行きましたが、往路で断念。看護婦の態度にちょっと腹が立って、
「歩けますけど、吐きますよ」
と応えると、車いすで戻ることになりました。 なんというか、早期に歩かせることが回復につながるということからされてるようですが、吐き気する人を歩かせないでも!とは思いました。
短距離は歩けるので、ここで尿の管は外されました。
お昼前に、スパルタ看護師再度登場し、 点滴用のキャスターを杖にして、またフロア一周へチャレンジ。 管も減ってるし、吐き気もないので歩けました。 そこからの回復は早かった気がします。
昼食がでてきます。 一般食です。 吐き気は収まってますが、慣れない管だらけの状態のせいで食欲がなく、半分くらい残します。
お膳は下げれる人は所定の場所まで戻すのですが、この時から片づけに行くことができたので、朝の段階から考えると早いです。
夕方になると、痛み止めも飲み薬になるので、点滴が抜かれました。あとはドレーンのみです。 動くと痛いわけではないのですが、常に重い袋をさげてるので、違和感maxです。 これが退院前日まで続きました。
極力歩けという事ですが、この日はお膳を下げに行くくらいしか元気がなく終了。足も転ばないようにすり足になってました。
<3日目 人間らしい歩みへ>
ちょこちょこ歩きから普通の歩みになる。この日の午後、4日目からのリハビリの案内をされる。 乳がんの傷跡のため腕が上がらなくなるのを避けるためです。 夕方には歩みは普通になりました。
<4日目以降>
歩みに関してはいたって普通です。ドレーンがじゃまなだけです。
<結論>
手術翌日昼には歩けるが、動きはノロいし痛い。普通に歩けるのは3日後。
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