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楽天IR戦記 序章

note版まえがき

 これは、日経BP社より2019年6月14日発売の『楽天IR戦記 「株を買ってもらえる会社」のつくり方』の抜粋です。常識を破る挑戦を続ける楽天という会社に筆者が2005年に転職し、その後約12年にわたり、IR(インベスター・リレーションズ)に従事した話です。
 転職早々、世間をにぎわせるテレビ局株取得に巻き込まれ、増資を行うも、半年も経たずに株価は半分になり、「ひとりIR」で修羅場をくぐり、その後も過払いや震災や一部上場替えなどが待ち受けます。
 IRとは「株を買ってもらう」ことが究極の目標と考えている私が、資本市場の懐の深さにも厳しさにも触れた、経験の一部です。

序章


 大学の理工系学部を卒業し、電機メーカーのNECに就職した私にとっては、金融市場は縁のないものでした。入社7年目に異動があり、それまでの半導体の営業のバックオフィスのような職種から、M&Aや提携等を扱う部署に異動し、その後、光半導体部門を分社し上場するプロジェクトに参画しました。
 ITバブルに乗ったこのプロジェクトは、そのバブルの崩壊とともに消滅し、次にNECは財政難から半導体事業すべてを分社化し、上場させることに決めます。当時のNECの連結売上高の6分の1程にあたる売上高7000億円超、従業員2万4000人の事業を会社分割することを2002年5月に意思決定しました。
 同年11月にNECエレクトロニクス(現ルネサスエレクトロニクス)という名称で会社設立し、イラク戦争などによる二度の延期を経て2003年7月に東京証券取引所(東証)一部に上場(IPO*)させたものです。戦争の他にも様々な困難があり、9カ月で実行できたのは奇跡的で、このプロジェクトに参画したことで私のキャリアは大きく転換します。 


「2万4000人中、エンジニアが4500人います」
 「それがどう価値に結び付くんですか?」

 IPO時には株を買ってもらうために経営陣が機関投資家を手分けして回ります。そのために経営陣は、世界的に競争が激しい半導体業界を勝ち抜き、将来の利益成長を投資家に信じさせなければいけません。この会話は、そのような投資家回り(ロードショー*と呼びます)の最初のミーティングで、競争力の源泉を聞かれた社長の回答とそれに対する投資家の再質問です。 
 社長に同行していた一番下っ端の私はこのやりとりに頭をはたかれたようなショックを受けました。その時点で私は日本証券アナリスト協会の試験に合格していましたが、その知識やIPOの準備の中で証券会社とずっと交わしていた議論から、技術が必ずしも企業価値には結びつかないことを、頭では充分にわかっていたつもりでした。
 しかし、実際、資本市場からはっきりと(それだけでは)意味がないと言われたことはなかったのです。NECの現場では各社の技術者の人数が、ある程度技術力や競争優位性と相関している肌感覚はありました。しかし、「ああ、確かにどう価値につながるかまったく説明できていないな」と思った最初の出来事です。 
 厳しい見方もありましたが、ロードショーで訪問した世界300社以上のうちほとんどの機関投資家から注文をいただき、その意味では成功したIPOとなりました。この案件で、総額1500億円超を集め、NECエレクトロニクスは最先端工場の設備投資に充当し、保有株を一部売出した親会社のNECは売却で得た資金を借入金返済に充てました。 

 株式会社というものが何か大きなチャレンジを行うときには、リスクマネーの供給者である資本市場を頼る。そして銀行のように返済の約束がないだけに、投資家と企業との真剣勝負が繰り広げられる。それが企業と投資家との対話の基本だと実感した時でした。
 さらに、この真剣勝負は一種の知的バトルでもあり、投資家の頭の中にある企業価値計算のスプレッドシートをどう変化させ、価値を高め、購入の意思決定をしてもらえるか、これにワクワクするような面白さを感じました。

  
 IRって楽しい!
と思い始めたきっかけです。 


 自然な流れでIRに異動しました。その後、四半期決算発表を数回経験しました。動きの激しいシリコンサイクルの中で業績予想修正*を出しました。CB(転換社債型新株予約権付社債)を発行し、追加の資金を得た一方で、株価が低下し投資家に非難されたりもしました。
 しかし、きっとシリコンサイクルの波とともに業績は回復し、ふたたび成長軌道に戻ると私は考えていて、そのような安定した環境が続くのであれば、またIPOのように極限の中で大きな達成感を得ることはこの職場では難しそうだとなんとなく感じていたところに、2005年、転職の話をいただきました。楽天です。

 楽天は2004年にプロ野球への参入を発表し、一躍その名前が有名になりましたが、私自身もネットショッピングの楽天市場を使っていたこと、そして会社の研修で受けたエグゼクティブMBAプログラムで楽天を題材にしたケーススタディを読んでいたことから、どんな会社かだいたい知っていました。
 楽天市場に加え旅行予約や証券会社などの買収を重ね、すでに時価総額は1兆円前後となっていました。それにもかかわらず、IRはすべて兼任で行っており、同社初の専任者を募集しているとのことでした。IR担当としては経験がまだ浅かった私ですが、これはチャンスだと思いました。


 上場企業ではIR専任者は平均で約2人と言われています。当時の時価総額で5000億円程度のNECエレクトロニクスでは4人から5人に増えたばかりでした。時価総額数百億円程度の企業でも専任者を置いているところが少なくない中、楽天の規模で専任がいないのは少し信じられないけれども、それだけやりがいがあるに違いありません。 

 楽天の採用面接の最中、壁に貼ってあるポスターに目がいきました。「成功のコンセプト」と題する5つの行動指針です。そのふたつ目、「Professionalismの徹底」という言葉に、IPO時に知り合った、尊敬すべき弁護士や会計士、投資銀行*家などのプロフェッショナルな人たちを思い出しました。未経験で、あきらめないことしか取り柄のない私を導いてくれた人たちです。

 私もプロフェッショナルになりたい。そう思って入社を決めました。
 自分の知識や経験の浅さも知らずに。
それから、しばらく、いやずっと、大変な日々が続くとも知らずに。

(第1章「TBSへの提案と財務危機」へと続く)

*IPO:Initial Public Offering の略で、 新規株式公開や、新規株式上場を 指す。企業にとっては、証券取引 市場に株式を上場させることで、 幅広い投資家に株式を購入しても らうことが可能となる 。

*ロードショー:株式の募集または売出しに際し、 経営陣が機関投資家などを訪問し、 会社説明を行うことをいう。

*投資銀行:主として法人向けの資金調達や M&Aなどへの金融サービスを提 供する専門家集団で、証券会社に おいては「投資銀行部」と呼ばれ る一つの部門。

*業績予想修正:上場会社が、業績予想を開示し ている場合、その期間の実績が予 想を大きく下回る(上回る)場合 に、業績予想の下方修正(上方修 正)を行うこと。東証の場合は、 売上高がプラスマイナス 10 %、利益の場合にはプラスマイナス 30 % が一つの基準。


*写真AC (アトリエ100)

IR(インベスター・リレーションズ)の経験などに基づいたテーマで記事を書いています。幅広い層のビジネスパーソンにも読んでもらえたら嬉しく思います!