【通信販売・私論】アイデアの裏付け、或いはアイデアの根拠について
通信販売に限らず何か新しい企画を考えるということは、何かしらの仮説を立て、その仮説に基づいて立案されると考えられます。そして仮説というものは大体において何かしらの根拠やエビデンスに基づき考えられるものだと思います。しかしその一方で企画というのは突然の閃きから生まれたりすることもあるものです。そしてそういった閃きといったものには必ずしも根拠があるわけではなかったりするものですが、実は閃きからこそ良い企画が生まれたりするのも確かです。そんな根拠なき閃きをどうやって進めていったのか。今日はそんなところを考えてみたいと思います。
データに基づき企画を立てる
過去に集積した数々のデータを基にして、次は何が売れるか、既にある商品をどのように訴求すれば売れるようになるかといったことを考えていくプロセスがあります。
通販はデータの宝庫です。
顧客情報、購買履歴、販促履歴などから複数のデータを組み合わせて、DMを送っても買っていただけなかったお客様にどうアプローチしたら買っていただけるようになるかを考え、実行することが通販の企画立案です。
ターゲットとしたセグメント、例えば年齢層や購買履歴、直近購入日、購入頻度などから推察されるそのセグメントのニーズを掛け合わせ、さらに過去の累計購入額や平均単価などから購入しやすいと思われる売価を決定していきます。
またその商品のスペックや特徴の中から、そのセグメントのニーズに適合すると思われる情報を選択し、購買意欲がより高まる情報を、分かりやすく且つ説得力のある文章構成で表現することを考えます。
こうしたプロセスから企画案が生まれ、広告コンセプトが決まり、それに沿ったクリエイティブを行なって広告が作られていくわけです。
皆さんがよく見かける新聞広告や折込広告、ダイレクトメールも単に商品の良いところを広告にしているだけでなく、結構緻密な計算を基にした仮説をベースに作られているのです。(そうじゃない会社もありますが…)
その意味では広告制作という一見クリエイティビティ溢れる職種と思われがちなものも、それ以上に科学的なデータ分析力が必要ということを意味します。
そして実際に企画が実施された後、その結果が良くても悪くても検証が行なわれることになります。実際に意図した狙いが成果を上げたのか、上げられなかったのか。それを検証するためには、事前の根拠が必要になります。根拠となる仮説があってこそ、そのコンセプト、デザイン、コピーが顧客の心を掴んだのか掴めなかったのかが分析できるのです。
もし根拠がなければ、売れても売れなくてもその結果は「たまたま」という分析で終わってしまうことになりかねない。時間と労力とお金を使って行なった企画の結果が「たまたま」としか結論付けられないとすると、何にも残りません。
企画はある意味再現性の追求とも言えますので、分析できることが最も重要だと私は考えています。
閃き、思いつきの取扱い
根拠に基づく仮説を立てて企画を行なうのがよいと書きました。しかし実際の企画ではそれが全てではありません。むしろそれは例外だと思う人も少なくないかもしれません。
かくいう私もむしろそのタイプです。上で偉そうなことを書いていますが、データを見て分析していれば良い企画が生まれるというわけでないというのが経験上の率直な意見です。
閃きは突然訪れます。
ボーッとしていた時、お風呂に入っていた時、本を読んでいた時、テレビや動画を見ていた時、なにかが突然頭に降りてきて、それがまた途轍もなくいいアイデアに思えてきてしまう、そんな瞬間があります。
忘れないようにメモしたり、メモできない時は何度も反芻して忘れないよう脳に刻み込んだりします。そして文字にしたものを改めて読んでみると、なぜだか分からないけど成功を確信したくなるようなアイデアに思えてくる。
「オレって天才!」
なんて独り言すら言ってしまう。
しかしです。
降って湧いた閃きです。そこに根拠がないのです。
個人の感覚では非常によいアイデアに間違いないのですが、根拠がないので説得力がない。
閃きのアイデアで押し通す手もあるのですが、それだけだとやはり結果の分析する時に弱い。社長の立場からすれば、時間と労力とお金を使う以上は単なる閃きだけで許可もできません。なぜなら「なんでもアリ」の会社になってしまうかもしれないから。それはそれでマネジメントとしてはよろしくないわけです。
しかし、この閃きをなんとか実行したいという思いは捨てきれない。
そこでよく使ったのが「後付け」です。
「後付け」については以前にも別の活用法として記事にしたことがあります。
考えていることは基本的に一緒なのですが、閃きを実行するための思考法としても大いに活用していました。
後付けで根拠を探すことに意義とは?
閃きのアイデアに後付けで根拠を探すことに意味はあるのか?ということを自問したことはあります。なぜならこの思考プロセスは「結論ありき」であり「都合のよいデータ収集」でもあり、故に根拠の客観性というか妥当性が薄いとも考えられるからです。
これが医療や安全に関わるデータであれば、全くその通りです。例えば薬品の開発とかであれば到底認められるものではないと思います。
しかしここで考えていることは通販のマーケティング企画提案の根拠です。そのアイデアが売れるか売れないか、ということにおいてのリスクは会社の判断で可能な領域です。商品の安全性に関わる顧客の健康被害といった領域のものでもありません。また商品の「効果効能」を示す研究データの誇大表現の領域でもない。
あくまでも、ひとつのアイデアが顧客に受け入れられるか、関心を持ってもらえるか、類似商品や競合と見做す商品の販売データはどうか、市場のトレンドはどうか、という領域なので、そこで発生するリスクは売れなかったときの自社の財務と顧客からのイメージ悪化です。
そのリスクはテストマーケティングの実施において許容範囲内で納めるよう実施しますし、未来への投資ですから、仮に売れなかったとしてもチャレンジするという方針には沿っているわけです。
データの活用や読み取りのレベルが悪化するかもという教育上のリスクもありますが、あまりに強引なこじつけや的外れな根拠のロジックに対しては、当然社内で議論され却下します。こうした議論がまたデータ活用の教育にも繋がると考えれば、私は後付けのデータ探しは意味があると考えています。
後付けデータを探すことは人材育成にもなる
もうひとつ言うと後付けで都合のよいデータを探すということそのものにも実は価値があると考えていました。もともと皆に認識されているデータやノウハウであれば、閃きではなく理詰めでも生まれ得るものです。
しかし突然頭に降りてきた閃き的なものには、そうしたデータは自社にはないですしあっても乏しい。自社のノウハウの蓄積の中からも見つからない。そこで後から別のところで根拠を探さざるを得ない。しかしこれは、自社のデータ分析を見直すということに繋がります。自社の既存のデータ分析の手法ではなく別の変数や切り口を探してみるということになるのです。
また外部のデータについても、従来意識していた競合以外の別の会社や商品に目を向けることになります。新しい閃きですから、今までの根拠の探し方、探し先では見つからない。だから今まで見てこなかった領域に目が行くようになる。
すると見えてくることがある。別の業種で行なわれていた。実は既に実施している会社があった。過去に類似アイデアで販売している会社があったなどです。
今まで見えていなかったものが、意識的に探すという目的を持ったことで見えてくるということはよくあることです。逆に言うと意識を持って探さないと新しいものは目に入ってこないとも言えるでしょう。
後付けで集めたデータと言ってもすべてが使えるわけでもない。そこで取捨選択をします。取捨選択というのも実は大事なプロセスで、選択基準を定めなければなりません。あれもこれもと使っていては根拠の一貫性がなくなるので、筋の良い根拠とするためには何らかの新しい判断軸を考える必要が生じます。この思考も非常に質の高いトレーニングとなるのです。
こうした新しい観点によって本人にも会社にも新しい世界が見えてくるのです。
そのアイデアが採用されなかった、売れなかったとしても、新しい世界が見えてきたということには大きな価値があります。
それが結果の分析にも生かされ、そして次の企画へと繋がっていくのです。
実はみんなやっている、が…
この話は以前何人かに話したことがあります。閃きの根拠を後付けで考える人は実は結構多かったです。「普通にやってるよ」「みんなそうじゃないの?」なんて人は少なくはありませんでした。ただどちらかというと余り得意気に話すというニュアンスでもありませんでした。
後付けそのものにネガティブなイメージの人もいれば、先にも書いたように「結論ありき」のデータ収集。「都合のよい」根拠探しといった後ろめたさも否めないようです。
そのように感じてしまうのも分かりますし、会社としてそういう姿勢は好まないところもあるとは思います。しかし私としては、それがキッカケで何か新しい発見ができれば大いに後付けで考えようというスタンスです。
画期的なものというのは理詰めよりも、むしろこうした「非常識」から生まれるのではないかなあと思っています。