変えられない信念
今日は仕事が終わって部屋に戻り、夕食を済ませて以降はひたすら現実逃避の時間を過ごしてしまいました。生産性ゼロの時間を多く作ってしまうと、何となく損した気分に襲われます。本日の記事は典型的な送りバント記事で、思い付きから膨らませる『変えられない信念』です。構成をよく考えずに駆け足で綴っていくので、後で大幅修正をする前提で投稿します。
よくないとわかっていても変えたくないもの
その習慣や価値観はよくないなぁ…… とわかっていても、頑なに変えたくない信念が、誰でも一つや二つはあるように思います。私にも当然の如くあり、その一つが、『働かざるもの、食うべからず』という刷り込みです。呪縛に近い信念であり、簡単には放棄できない気がします。
人間として生まれてきた以上、社会を構成する一人の人間として生活を営む以上は、何らかの仕事をして、何らか社会に貢献する義務があるというものです。この場合、私自身が立派にその信念を実践できているかどうかは全く別問題です。
ただ、この価値観を直視することは年々しんどくなってきており、仕事をすること、社会に貢献すること、働くことで対価を得て生活を成り立たせることは無条件によいことだ、という絶対的な信頼はかなり揺らいできています。本音を言えば、労働に費やす時間は程々に抑えて(というよりも大幅に減らして)、自由に過ごせる時間を十分に確保し、人生をエンジョイすべきではないか、という考えにシフトしてきています。
働くことで得られる喜びが薄れている
その理由として、私自身が感じ取れる働くことで得られる喜びが、著しく減少していることが挙げられます。働く、仕事をする、ということに、ワクワクする気持ちがかなり薄れているということです。充実感とか、喜びとか、自己達成感とか、ポジティブな要素に大して期待していない、という姿勢もよくないのかもしれません。
残念ながら私は、働くことが純粋に楽しい、誰かの役に立っていること嬉しい、という域には到達していません。どうせ仕事をするのであれば、役に立つ人材と認められるのは当然で、凄いと思われたい、尊敬されたい、一目置かれたい、という卑しい気持ちが捨てきれません。そんなことを目的に働いても、決して幸せになれないことは、頭ではよく理解しているつもりなのですが、捨てられません。もう何年も前から、純粋な気持ちで社会貢献目的で働きたい、と思っているのに、どうしても我欲が前に出てきてしまいます。
悩み続けよう
捨て去ることは永久にできないのかもしれません。私の邪な気持ちが直らない限り、この葛藤に苦しむのは仕方がないのかもしれません。最低限生活を成り立たせるため、規則正しい生活習慣を維持し、ダークサイドに落ち込むのを避ける為にも、今は労働の習慣を手放すべきではないように思います。
私は、『小人閑居にして不善を為す』タイプの人間なんだと思うので、義務的にでも、真っ当な行動をし続けるべきだと痛感しています。
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