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人は内省によって衰え、社交によって滅びる ~致命的状況を招かない為の自制

本日は、私がある文章を読んでの気づきから考えてみた造語『人は内省によって衰え、社交によって滅びる』を掘ってみたいと思います。

元ネタは?

このことばには、元ネタがあります。

昔も今も、国は内政によって衰え、外交によって滅びる。
内政の失敗には、まだやり直しがきく。経済政策や教育行政、社会保障制度などは、間違いに気づけば、改正してやり直せる。
しかし外交は、一つの判断ミスで国を滅ぼすことがある。
 - 瀧澤中『「戦国大名」失敗の研究』P37

この指摘は的を得ていると思いました。古今東西、内政の失政で人心が離れると、為政者は外交でのポイント回復に活路を見い出そうとする例が多数あります。日本は言うに及ばず。韓国の反日的行動は、決まって大統領任期の末期や政権の求心力低下の時期に起こっています。

"国は内政によって衰え、外交によって滅びる"は、武田勝頼の外交を評価する文脈の中で語られていることばです。勝頼は、上杉謙信没後の上杉家の跡目争いで、臣従を申し出た上杉景勝に深い戦略なく味方した為に、敵対する上杉景虎を支援していた小田原の北条氏との軍事同盟関係を損ねる結果を招きました。この決断が武田家の滅ぶ最大の原因になったというのが著者の見立てです。

別の例では、太平洋戦争を招く一因になった日独伊三国同盟締結の例も挙げられています。ナチスとヒトラーの実力を過大評価し、連合国との対立構造を作ってしまったことが、その後の日本の運命を決めることになりました。

国が滅ぶように、人も躓くもの

これは、「国」を「人」に置き換えて考えることもできそうです。

社交上の失態は、自分の社会的評価を一瞬で貶めることに繋がる危険性があります。ただ、その原因として、自分自身の心や生活習慣の乱れ、向上心の欠如、情報収集の怠慢などが深く影響している、と考えられそうです。

戦国時代であれば、社交上の失態は命を喪う行為になります。現代では、命を奪われることはないかもしれませんが、人間としての信用を著しく失墜すれば、社会的に抹殺されることになってしまいます。

社交で失敗する前に、先に自制心が衰える

私には身に覚えがあります。対人関係がぎくしゃくしたり、仕事上の評価が急落したりした時というのは、決まって自己肯定力が低く、自暴自棄気味の時でした。

毎日同じことを繰り返していると、慣れによって油断が生まれるし、飽きてもきます。他人や、世の中の動きや、知的なものに関心を喪っていきます。リラックスできて余裕がある状況は居心地がいいものの、その状態に安住し身勝手で自堕落に振る舞っていると、その乱れや慢心が必ず表に出てきてしまいます。

「今日は自堕落に過ごしてしまったなあ」「最近何にも興味が湧かないなあ」と自覚のある間はまだいい。毎回自分を赦し続けていると次第に感覚が麻痺して、自分の言動や行動を自制する意識が衰えていきます。社交での判断を誤る条件が整って、危険満載な状況を自ら作り出しているのです。

こういう時に、予期せぬショックなことが起こったり、偶然の好運が起こったりすると、冷静で大局的な判断力を喪って、暴発してしまうのです。

私の対策

内省力が落ち込んだ状況から、自分の力だけでは脱け出すのは難しいです。自分が絶対に頭が上がらないメンターを確保して、自分の状態を定期的に診断してもらえれば理想的でしょうが、そのような人を確保できている人は稀少でしょう。私もいません。

直接助言してもらうより効果は限定的ですが、尊敬する人や気になっている人の本を読んだり、動画を観たりして、刺激を入れる方法はよく使います。自分の現状と比較することで修正を図れる時があります。持続力は疑問ですが、自己啓発本の教えも助けになります。深い穴に落ちるのを防ぐ為には、この程度の日々の自己投資は必要でしょう。



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