【追悼】安田猛投手
本日は、ヤクルトで投手として活躍した安田猛氏(1947/4/25-2021/2/20)の訃報報道に接して、私の思い出を綴ります。
安田猛氏の概略
安田氏は福岡県出身。小倉高校、早稲田大学、大昭和製紙で投手として活躍し、1971年のドラフトでヤクルト・アトムズ(当時)から6位指名を受けてプロ入りしています。プロ実働10年で通算成績は93勝80敗17セーブ、1981年のシーズン終了後、34歳で引退しました。
引退後もヤクルト球団の一軍投手コーチ(1982-1986、1990-1994)、スカウト、スコアラー、編成部長を歴任し、手腕を発揮しました。2009年にヤクルトを退団した後は、評論家活動をする傍ら、2012年に学生野球資格の回復認定を受け、以降はアマチュア選手の育成・指導に尽力しました。
2017年1月に母校の小倉高校で硬式野球部のコーチに就任したものの、間もなく胃がんが発覚し、療養生活に入ることを余儀なくされてしまいました。がん治療に取り組む合間も、体調の良い時期は臨時的にコーチを務めることがあったようです。享年73歳でした。合掌。
変則左腕、小さな大投手
安田氏は、なぜか印象深い選手です。ヤクルト・スワローズの22番、個性的なクセ玉を操る小柄な左腕投手で、私が野球に熱中していた小学生の頃に活躍しました。
飄々としたプレートさばきと独特の投球フォームから多彩な変化球を操り、「緩急自在」ならぬ「緩緩自在」、「タコ踊り投法」と言われていました。当時のプロ野球には、巨人の角投手、ヤクルトの梶間投手、西武の永射投手など、個性的な投球フォームからクセ玉を繰り出す変則左腕投手が多かったのですが、安田投手は一際人気があり、私もよく物真似をして遊びました。
いしいひさいちの漫画『がんばれ!!タブチくん!!』には、安田氏をモデルとするヤスダというユニークなキャラクターがいました。飄々とした振る舞いとセリフで、ヒロオカ監督と絶妙のやり取りをする人気の脇役キャラでした。「ペンギン投法」の称号はおそらくこの漫画の影響だと思います。
不利な条件を克服
安田投手の武器はコントロールの良さと頭脳的な配球です。1973年には、81イニング連続無四死球のプロ野球記録を樹立しています。しかも、記録が途絶えたのは、阪神戦の田淵選手への敬遠四球でした。
全力投球したストレートでも球速はせいぜい130km程度でしたが、60km台の超スローボールや手許で微妙に動く変化球とのコンビネーションが巧みで、打者のタイミングを外す投球術に長けていました。あの王選手が安田投手を苦手としていました。
島田紳助氏が、「どんなに剛速球でも一本調子では打たれる。安田の投球を見ろ。あんなへなへな球でも打ち取れる技がある。漫才も一緒」みたいな話をしていたような記憶があります。
身長173㎝と、投手としては体格に恵まれておらず、球も遅かった。常識的には、早々に投手失格の烙印を押されていても不思議ではありません。それでも、自分の技と個性を磨き続けて異能の才を開花させ、名人芸の域に昇華させた本当に素晴らしい投手でした。自分の活きる道を考える上で、大いに参考になる部分があります。
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