他人が正解だという生き方ではない道だってあるはず
本日無事に51歳と202日目、無職22日目を迎えることが出来ました。感謝!
人生前半戦の私は、我を通すことに自信がなく、危険を冒すことに怯えていました。好きなことよりも嫌いではないこと、苦労が少ないであろう無難な道を消去法で選んでいたように思います。
勇敢に立ち向かって致命傷を負いたくない……
大怪我をして再起不能にはなりたくない……
周囲と大きく違うことをして恥をかきたくない……
といった気持ちがとてもとても強かったのです。
危険や苦労や厄介なトラブルを避けてきたため、修羅場をくぐったという経験はほぼありません。楽勝で過ごしてきた訳ではないものの、死ぬ気で頑張らなければならないような場面や、失敗すれば命が奪われるような絶体絶命の立場に身を置いた記憶はありません。
この世に生を受けて51年と201日を経験してきました。ここまでの自分の選択に後悔はしていません。過去の自分の言動や行動を振り返って、反省することは多々ありますが、終わってしまったことを後悔しても最早意味がありません。反省はあくまでも次に活かしていくために行うものです。間違っていたと感じたら、その場で何度も修正すればいいと思います。
私は人生後半戦、人生二毛作目をスタートさせる決断をしました。人生後半戦は『正解を探す生き方はしない』ということを心に刻んでいます。二毛作で栽培する作物の植え方、育て方、刈り取り方を実践しながら、学びます。植えようと考えている作物の種類は一杯あります。今は、畑である私という土壌がかなりくたびれ果てているので、肥料を撒いたり、石やゴミや雑草を取り除いたりして浄化し、再生を進めている真っ最中です。
植えたかった作物の中には、いつまでたっても種すら撒けずに終わるもの、種は撒いたけど私に育てる技術がなくて腐らせてしまうものもあることでしょう。花が咲いて、収穫できる作物は1つか、2つでもあれば御の字です。
どんなに惨めな姿になっても、回り道になっても、自己肯定を失わずに進みます。他人に正解、不正解のジャッジを委ねたくはありません。
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