選んだ道の先でもがく
気温が低下し、日没時間も早まっていよいよ秋本番です。日中にWalkingをしていても、かく汗の量が段違いに少なくなっていて、体力の消耗もかなり抑えられています。反面、ここ数日の急激な寒暖差で、体調管理が難しくなっている人も多いのではないでしょうか。金曜日に発熱した息子は、熱は収まって回復傾向にあるものの、この週末は電車旅を控えて、安静です。
本日の記事は、今読み進めている阿部広太郎『あの日、選ばれなかった君へ 新しい自分に生まれ変わるための7枚のメモ』(ダイヤモンド社2023)から考えた『選んだ道の先でもがく』です。
選ばれなかったことが人生の分岐点
自分の運命は、自分ではコントロールができないことで、左右される場合が殆どです。どんなに強く夢や目標を募らせても、選ばれるべき場面で選ばれなければ、叶いません。仕事で成功するには、お客となる人や同僚になる人から選ばれなければならないし、好きになった人との恋愛が成就するには、その人に選んでもらう必要があります。
選ばれなかったことが、人生の分岐点になることは少なくありません。私自身にも、第一志望の大学に受からず、高校を卒業して東京に出るという人生設計が狂ったこと、付き合っていた女性から急に別れを告げられたこと、希望し続けた職種に就く機会が貰えなかったこと、など幾つか思い当たるものがあります。
選ばれなかったことは、自分の実力不足、運、その時の状況など色々な理由が考えられるものの、自分の価値や人間性を完全否定されたような屈辱や寂しさを感じたし、自尊心が傷ついた経験として、きっちりと自分自身の記憶の中に刻み付けられています。年齢を重ねた大人ならば、あちこちに傷が残っているものでしょう。
選んだ先で待っている何か
一方で、選ばれなかったことで諦めざるを得なくなり、やむなく方向転換を図った先で、出会った思いがけない体験や幸福があったことも事実です。本命ではない道を選ばざるを得なかったことが逆によかったのではないか、と思うこともあります。
選ばれなかった、という事実を乗り越えるのは、そう簡単ではないものの、人は生きていく必要があります。私の場合も、苦い記憶は完全には消えないし、時に自暴自棄の衝動に駆られることもありまが、時間が解決すると開き直ったり、いつか別の奇跡やきっかけが起こるとに祈ったり、何とか明日へと繋がるようにと自分を信じてやってきました。
運命は落ち着くところに落ち着く
最近では、変に運命に逆らったり、抗ったりすることも大して意味がないような気がしていて、「自分の運命は落ち着くところに落ち着く」という心境です。身に降りかかってくるどんな出来事も、自業自得、他力本願、因果応報…… といった趣旨のことばで片付けるようにしています。別にそうしようと強い意志で決めた訳ではなく、結果としてそうなってきた感じです。
どんな状況になろうが、与えられた状況の中で自分の最善を尽くしてもがくような生き方しかできないように思います。その時の自分の感情や気分を大切にし、自分を痛めつけないように意識しています。自分自身も、他人も追い込み過ぎないように、平穏無事で過ごせるのがいいように思うのです。