金曜日の随筆: 自分への期待を捨てる必要はない
また運命を動かしていく金曜日がやって来ました。今週は雨模様の天気が続き、心も湿りがちで活動量も少なかったのが反省点です。いつもより熱量のこもったnoteを書いて気持ちを盛り上げていきたいと思います。テーマは『自分への期待を捨てる必要はない』です。かなり記憶が薄れていますが、未来への可能性を抱いていた私の中学時代を振り返ります。
平凡な田舎の中学生だった私
中学生の私は、田舎で育つ平凡で純朴な少年でした。当時はツッパリ文化が全盛だった時代ですが、小心者だった私は、いきがって不良をやる意欲も勇気もありませんでした。
学校をズル休みして授業をサボった記憶もないし、部活動(陸上競技)に打ち込み、仲の良い友達もいました。修学旅行や体育祭、文化祭など一連の学校行事にも欠かさず参加していました。彼女はおろか、親しい女友達もいませんでしたし、誇れるような武勇伝は何もありません。
私の通った中学校はかなりのマンモス校で、三年生になる年に新しい中学校ができて分離しました。その前の二年生の時には一学年だけで16クラスもあり、急造で建て増ししたプレハブ校舎の教室で学びました。校則はかなり厳しくて、何か問題が起こると体育館に集められて学年集会が行われました。生徒が多過ぎて校庭も体育館も常に大混雑でした。
私は負けず嫌いで、勉強も好きだったので、成績は悪くなかったです。得意科目は数学と社会(歴史)で、不得意科目は国語と理科(物理と生物)でした。手先が器用ではなく、芸術的センスもなかったので美術や技術工作も余り得意ではなかったです。
田舎の純粋な少年が抱いていた将来の夢
当時の私は、毎日をこなすのに精一杯で、将来なりたい職業に対する具体的なイメージを持っていませんでした。漠然と学問に打ち込む「研究者」に憧れていたような記憶はあります。
それでも「自分の可能性は無限である」と根拠なく信じていました。自分にふさわしい何かには必ずなれるという自信がありました。高校を出たらふるさとを出て、日本の中心である東京へ、そして世界へ、…というイメージは持っていました。
自分に期待し続けていい
私には変に「純粋」な部分があると思っています。自分の中の評価軸で絶対に譲れないラインがあって、妥協ができないのです。裏を返せばそれは欠点でもあり、「頑固」「融通が利かない」ということになります。
自分に期待する気持ちはどうしても捨てられません。無理に捨てるべきでもないでしょう。「純粋」に自分を信じればいい。人生後半戦も間違いなく、自分の願った通りに生きられる筈だと信じきっています。
周囲からみれば無謀だと笑われても、私は私に期待し、挑戦し続ける人生を送りたいと思っています。今は「無職」に挑戦していると考えて、前を向いて歩みます。
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