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六道輪廻を考える

本日偶然に「この世に生きるもの全ては六道と呼ばれる6つの世界に何度も生まれ変わる」という六道輪廻という仏教の考え方に触れる機会がありましたので、メモ代わりに記事に残します。

三悪道・三善道

六道輪廻は、仏教の教えです。六道とは、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道を指し、前三つを三悪道、後の三つを三善道と呼びます。この世に生を受けるものは、この六つの世界を、車輪が回転し続けるかの如く何度も繰り返していく、という考え方です

私は、仏教の教えを深く学んだことがなく、詳しい知識を有していません。強い信仰心があるとも言えません。本日の六道輪廻というテーマも、ちょっとしたネットの解説記事を読んだ程度の薄っぺらい知識で、太刀打ちができるようなテーマでないことは百も承知です。

邪悪な心は見透かされる

不思議なもので、邪悪な心は他人から見透かされてしまいます。荒んだ考え方、投げ遣りな態度、不遜な言動を繰り返していると、いつしか負の強い力に自分が支配され、どんどん深みへと落ち込んでいきます。技術の進歩、科学の力で解明される謎が増えても、依然として神秘的なもの、解明が困難なものはまだまだ残り続けています。

幾つかの目についた解説を読む限り、地獄道や餓鬼道の世界は、想像を絶する悲惨さです。昨今では日常的に使われている「地獄」ということばは、途轍もなく意味が軽くなっていると感じます。描かれている地獄絵図なんかは相当恐しくて、ちょっと直視できません。

現代は宗教の支配力が弱まり、無信仰の人も増えているため、現世をいかに充実させるかという競争に重点が置かれ過ぎているとも言われます。それでも私の肌感覚としては、現世で悪行や蛮行を働いたり、欲深かったり、他人を慮る気持ちがなかったりすると、因果応報で自業自得の結果が自分に跳ね返ってくる気はしています。誰かしらに見られている、という怖れは強く持っておいた方が、転落を防ぎ、自制的にも生きられそうな気がしています。

怖れるものが何もない、というのも怖い

怖れるものなど何もない…… というのは勇ましい状態ではあるものの、暴走を食い止める抑止力が何も無いという状態は、怖いと言えば怖い話です。自己陶酔的な万能感に浸っている状態も危ないし、自暴自棄になっている状態も危険です。

人間としての抑止力を刷り込むという意味では、六道輪廻の教えを知っておくことは、抑止力として役立つかもしれないと感じました。因みに、天道において悟りを開くと解脱となり、六道を彷徨い続ける凡生を終え、一段上の聖界に到達します。極楽浄土、永遠の死という段階です。

極めてざっくりとしたメモ書きですが、学ぶきっかけとしておきます。



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