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エスタド・ノヴォ〜20世紀ポルトガル史より

本日は、ポルトガルで1933年から1974年にかけて存在した長期独裁政権「エスタド・ノヴォ(新しい国家)」について学習した内容を整理します。

独裁解消からまだ50年経っていない

ポルトガル共和国(República Portuguesa)という正式名称とは裏腹に、20世紀のポルトガルは、一人の独裁者が長期間支配者として君臨し、全体主義的な国家運営がなされた国でした。その形態は、『エスタド・ノヴォ(新しい国家)』と呼ばれています。

エスタド・ノヴォが正式に終わりを告げたのは、1974年4月25日のカーネーション革命(リスボンの春)の勃発によって、政権が打倒された時だと言われているので、まだ50年経っていません。

ポルトガルの独裁政は、イタリアのファシズム型に近似していたと言われます。キリスト教的権威の重視により、画一的な思想を国民全般に押し付け、情報統制的な国家運営を特徴としています。初等教育の普及には務めたものの、保守的価値観が損なわれることを怖れ、高等教育の普及には極めて制限的でした。

独裁者の降臨

エスタヴォ・ノヴォ時代のポルトガルに独裁者として君臨していたのは、アントニオ・サラザール(António de Oliveira Salazar 1889/4/28-1970/7/27)という人物です。

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アントニオ・サラザール

サラザールは、もともとコインブラ大学で政治経済学教授を務める学者でした。ポルトガルは、1910年に君主制が倒れて以降は第一共和政に移行したものの混乱状態が続き、軍部のクーデターによる政権交代が相次いでいました。

1926年7月に軍事クーデターで政権を掌握し、11月に大統領に就任したアントニオ・オスカル・カルモナ将軍(António Óscar Fragoso Carmona 1869/11/24-1951/4/18)の招致によって財務大臣に任命されたサラザールは、経済再建に手腕を発揮したことで頭角を現します。

サラザールは、世界恐慌真っ只中の1932年には、財務相を兼務したまま首相に就任します。憲法を改正し「エスタヴォ・ノヴォ」体制を樹立し、カルモナ大統領の実権を剝奪し、独裁的な政権運営を行うようになります。以来、病に倒れる1968年までポルトガルの絶対的な独裁者として君臨しました。サラザールに対しては、同じくスペインで長期独裁政権を担ったフランシスコ・フランコ(Francisco Franco Bahamonde 1892/12/4-1975/11/20)が、理想の政治家として一目置いていたと言われます。

没落の原因は、植民地

ポルトガルは、サラザールの指導により、第二次世界大戦を連合国寄りの「中立」で乗り切っています。権威主義・全体主義的な統治形態ながらも反共産主義を明確にしていたことが西側諸国に評価され、戦後は西側諸国の一員として存在を認められます。欧州の西側諸国を支援するマーシャルプランの対象となったほか、北太平洋条約機構(NATO)への加盟(1949)、国際連合への加盟(1950)、ヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)への加盟(1960)も認められ、1950年代には、ある程度の経済的成功を収めていました。

しかしながら1960年代になって、ヨーロッパ復興が一段落すると、もともとの基盤が弱いポルトガル経済は深刻な景気後退に見舞われます。ポルトガルの国力を決定的に削いだのは、植民地を維持する方針を貫こうとした為、ソ連やキューバに支援された共産ゲリラとの植民地戦争でした。暴動鎮圧の為に費やされる膨大な軍事費に苦しめられ、徴兵制と低賃金を嫌った国民の国外流出が大量に起こり、現在ではヨーロッパ最貧国へと転落してしまいます。

不思議な既視感

ポルトガルはかつて、世界に冠たる帝国でした。第二次世界大戦終了時点でも、まだまだ多数の植民地を保有し、先進国の一つに数えられる存在でした。ところが、20世紀半ばの独裁政権によって民衆抑圧的な国家運営が行われた結果、国力の長期停滞を招き、相対的な没落の道を歩んだように見えます。国民の自由を抑圧したことで人々の活力を削いでしまったことも一因ともいえます。

こうしてポルトガルの現代史を俯瞰すると、つい最近の日本の状況に重ね合わせてしまいます。日本は確かに独裁政権ではないものの、不思議な空気感が支配する国です。伸びようとする動き、突き抜けようとする勢力を妬み、足を引っ張る雰囲気が蔓延しています。今後の日本の歩みを占う上で、この20世紀のポルトガル史は、非常に興味深く感じており、教訓にもなりそうです。もう少し学習を進め、知見を深めたいと考えています。

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