『I Don't Like Mondays』の衝撃
私は、今でも気分の冴えない月曜日が巡って来ると、ブームタウン・ラッツの「I Don't Like Mondays」という曲が頭に浮かびます。初めてこの曲を聴いた時には、衝撃を受けました。当時の思い出を振り返りながら、言語化してみようと思います。
『I Don't Like Mondays』との出会い
「I Don't Like Mondays」は、鬼才、ボブ・ゲルドフ(Sir Bob Geldof 1951/10/5-)率いるアイルランド、ダブリン州ダン・レアリー出身のロックバンド、ブームタウン・ラッツ(The Boomtown Rats)が、1979年に放ったスマッシュヒットであり、バンド最大のヒット曲です。
邦題には「哀愁のマンディ」というイマイチなタイトルが付いており、私は原題のままの方がインパクトがあっていいのに…… と思っています。
この曲を知ったのは、中学生の時です。小林克也氏がパーソナリティを務めていた『ベストヒットUSA』というテレビ番組の、タイムマシーンというコーナーで紹介されました。冒頭のシンセサイザーが印象的なバラードで…… という楽曲のインパクト以上に、小林氏が説明したこの曲が誕生したエピソードの方が強烈だったので、私の記憶にがっつりと刻み込まれました。(そのエピソードは次の章で)
その後、時は流れて大学時代のことでした。友人の下宿先に数人が集まって、酒を飲みながらだべっている時、友人のひとりが「昔テレビで知って、物凄く衝撃的な曲だったんだけど、タイトルがわからない曲があるんだ」と言い出しました。
色々話を聞いていくと、どうやらこの『I don't like Mondays』だということがわかり、その夜は随分と盛り上がりました。友人達も同じ番組を観ていたことは本当に奇遇で、とても驚いた記憶があります。たった一曲の記憶で、人間関係の距離が一気に縮まった貴重な経験です。
楽曲以上にインパクトがあるエピソード
さて、この曲は、1979年1月29日、アメリカ・サンディエゴ郊外のクリーブランド小学校で起こった銃乱射事件が下地になっています。
この小学校の向かいの家に住んでいたブレンダ・アン・スペンサー(Brenda Ann Spencer)という16歳の少女が、クリスマスプレゼントに親から買って貰ったライフルを撃ちまくり、2人の大人が死亡、生徒ら9人が重軽傷を負うというショッキングな事件でした。
ボブ・ゲルドフは、この事件について報じるニュースをたまたまテレビで観ていたようです。警察の取り調べ中に、常軌を逸した凶行に及んだ理由を聞かれたスペンサーが、平然と”I don't like Mondays.”と答えたことに衝撃を受け、一気にこの曲を書き上げたと言われています。
犯人のスペンサーは、今もカリフォルニア州の女囚刑務所に服役中です。事件発生から40年となる今年2019年は、彼女の仮釈放についての審議が行われることになっているようです。
ボブ・ゲルドフという才能
社会問題を切り取ったこの曲がヒットしたことは、不良少年上がりの野心家、ボブ・ゲルドフが音楽界で成り上がる大きなきっかけになりました。
元々政治や社会問題に関心の深かったゲルドフは、1980年代になると、アフリカ難民救済の為の社会慈善活動に、自分や仲間のアーティストの知名度と音楽を利用するという画期的なビジネスプランを編み出しました。自身が主催した1984年のバンドエイド、1985年のライブエイドは、共に大きな成功を収め、名声を勝ち得ると、どんどん社会的な出世階段を昇っていきました。
アカデミー賞主演男優賞まで生んでしまった映画「ボヘミアン・ラプソディー」に出ていたボブ・ゲルドフ役の役者さんは、驚くほど似ていました。ライブエイドでクイーンが登場するや募金が怒涛の勢いで集まって来た時の、あの「にゃっ」とする感じの猥雑感は、ぞっとするぐらいそっくりでした。ボブ・ゲルドフには、本人が意識しても絶対に消せない胡散臭そうな雰囲気があり、そこがまた魅力だったりします。
ボブ・ゲルドフは、一連の活動が評価されて英国貴族KBE(大英帝国勲章・司令官騎士)の称号を授与されています。2006年には、ノーベル平和賞候補にも名を連ねました。ただ、相手によって傲慢な態度を取ったり、政敵に対して悪態を衝くなどの素行の悪さでも知られており、なかなかに毀誉褒貶の激しい人物でもあります。
不機嫌な月曜日を乗り切ったので…
さて、本日の私は不機嫌な月曜日を過ごしました。会社を定時退社して訪れた有楽町マルイで、ウドー音楽事務所50周年記念式典を見て、やっと勢いを取り戻しました。この時間から元気が出るのはおかしいって思いますが。