【追悼】門田博光氏
本日夜、元プロ野球(NPB)選手の門田博光氏(1948/2/26-2023/1/24)急死の報が飛び込んで来て、何やら気持ちが動転しています。実働通算23年間を南海・オリックス・ダイエー(現・ソフトバンク)とパリーグ一筋に歩み、晩年に至っても豪快なフルスイングでホームランを量産した大選手でした。
『中年の星』、凄みのある小さな大打者
門田氏は、兵庫県相生市で療養生活中だったようです。23日の通院治療に現れなかったので、不審に思った病院から要請を受けた警察官が自宅を訪れたところ、部屋で倒れている門田氏を発見したと報じられています。享年74歳。合掌。
選手としてのキャリアが晩年になってからも、息の長い活躍を続け、『中年の星』と呼ばれて親しまれました。小柄な身体ながら、フルスイングから放たれる滞空時間の長いホームランが印象的でした。球界を代表する屈指のホームランアーティストのひとりでした。
研究熱心で、野球の虫。ゆっくりと打席に入ると、どっしりと構えて凄みを感じさせる打者でした。朴訥とした喋りと野武士のような風情ながら、時折お茶目な素顔も見せるチャーミングなおじさんでもありました。
アキレス腱断裂からの復活
門田氏の転機は、1979年の冬季キャンプ中に右足アキレス腱を断裂する全治6ヶ月の大怪我を負ったことでしょう。復帰を果たしたものの、足に爆弾を抱えてしまったことで、それまでの中距離ヒッターから、本格的な長距離打者へ転身していくことになり、ここから本塁打を量産していきます。
1987年には2000本安打を達成。通算567本塁打は堂々の歴代3位です。打者としてのタイトルは、本塁打王を3回(1981、1983、1988)、打点王を2回(1971、1988)獲得しています。1988年には、史上最高齢の40歳で最優秀選手賞を獲得していますし、2006年には野球殿堂入りも果たしています。数々の輝かしい記録を残している大打者でした。
野村克也氏との確執
これだけの実績を残した大打者であり、豊富な野球理論も有していた門田氏でしたが、現役引退後は、野球解説者・評論家を務め、一度もプロ野球の指導者を経験していません。
本人が、性格的にマネジメント力や忍耐力が求められる監督業に向いていないと自覚していたから、という説に加えて、南海時代を共にした野村克也氏(1935/6/29-2020/2/11)との確執が原因という説もあるようです。
門田氏は、生真面目かつ天邪鬼な性格で、野村氏が『南海の三悪人(江夏豊氏、江本孟紀氏、門田氏)』と、名指しで問題児扱いする選手でもありました。門田氏と野村氏は、お互い野球選手としての実力は深く認め合いつつも、人間的にソリが合わなかったのは、事実だったようです。もっとも門田氏は野村氏逝去の際には、敬意を表するコメントも残しており、晩年は反目し合うような間柄ではなかったと想像されます。天国で再会し、昔話に花を咲かせているかもしれません。
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