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積み上げる→磨き上げる

『地道に積み上げる』『持っているものを磨き上げる』..... 両者を並べて考えるべきでないことは、百も承知ですが、果たしてどちらがより良い人生を送るには有効なのか、しばし考えてみたので、本日のnoteとして残します。

コツコツと積み上げる

私は、興味のあることややることを求められたことを、少しずつ、コツコツと、地道に積み上げることでしか前に進めないタイプです。

そして、こうした愚鈍なタイプの人間の取り組みは、なかなか華々しい成果には繋がらず、社会からは認められにくいことを理解しています。他人との能力競争に明け暮れたり、世間一般で称賛されるような成長や成功を真剣に目指すことには、些か、くたびれました。

一夜にして人生が変わる筈はない、と信じているし、簡単に幸運が転がり込むなどもあり得ない、と考えています。身を置く環境の中で、ノットバッド、グッド、スライトベター になりそうな道を模索しながら、したたかに生き抜いて静かに生涯を終えることを目標にしています。

自分がまだよく知らない世界を探求することにはまだ意欲はあります。これからも、愚直にコツコツと興味を持ったことに取り組むことで、余生を謳歌したい、と考えています。

磨き上げることへの微かな違和感

似た表現に見えるものの、『今あるものを磨き上げる』という考えは、多分に他人の眼を意識した競争指向のように感じられます。磨き上げる、という行為には、自己満足の要素も含まれているとは思いますが、磨き上げた先の結果を強く欲していることが伺われます。だからなのか、どうも「自分の強みを磨き上げる」といった呼び掛けには胡散臭さを感じてしまい、磨く意味について具体的なイメージを持てません。

私は、自分の強みや長所について、深く考えてはきませんでした。それは、自分からペラペラ披露するものではなく、他人が評価すればいい、と開き直ってきました。他人との比較で、突出した能力があるとは微塵も考えられません。自分への厳しさも、他人への優しさも、不足している気がしてなりません。そんな悲しいくらいにポンコツな自分に真摯に向き合って、何とか社会に居場所を確保する旅を続けねばなりません。

私が、コツコツとやっていることが、結果的に自分を磨くことに繋がっているのであれば、それがベストな状態です。肩肘張った『自分磨き』を目標にして暮らす姿は、滑稽に思えてしまいます。一歩一歩進むことが大切であり、大きな変革は期待すべきではないのでしょう。

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Markover 50〜人生後半戦を愉しむ
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