金曜日の随筆:経済格差以上に希望格差が大きな時代
また運命を動かしていく金曜日がやって来ました。2022年のWK10、弥生の壱です。本日は、『経済格差以上に人生の希望格差が大きな時代』という、挑発的なテーマを考えてみます。
今週の格言・名言《2022/28-3/6》
ディストピアをどう生き抜くか
先日、ディストピアに関する内田樹氏の考察に大いに刺激を受け、同時に絶望感も感じています。湧き出るように出てくる領収書の山との格闘に時間を取られていることもあって、少し気分が落ちています。
既に日本社会は「穏やかなディストピア」に到達しており、自分自身もすっかり去勢されて、為政者の思惑通りに転がされているのではないか、と虚無的な気持ちになっています。
真の問題は経済格差より希望格差
「格差」という問題が取り上げられる時は相変わらず、経済格差を念頭に置いた議論が中心です。でも、真の問題は経済格差ではないような気がします。経済格差は結果のように思います。
社会的強者は全てを手に入れて、強者同士、似た者同士繋がり合って閉鎖的なグループを作り、協力しながら次々と面白いことに挑戦しながら、すいすいと社会を渡っていく一方で、生まれ落ちた瞬間から下流に位置付けられたり、どこかで滑り落ちたまま、社会の階段を這い上がる気力と能力を持ち合わせていない者は、浮上することが非常に難しい状況になっている気がします。
昨年小田急電鉄や京王電鉄内で起こったような暴走事件が引き起こされる土壌が、着々と揃いつつあります。取り残された人が夢も希望も持てない問題は、為政者が対応しようとすればするほど、ディストピア化は進みそうです。
人間的魅力に価値がある時代
これまで以上に、人間的魅力がモノをいう時代が来ていると感じます。周囲の人々と良好な人間関係を築いていく能力の価値は、これまで以上に重視されそうです。頭の回転が速くて、仕事をこなす能力はそこそこ優れていても、そのプラス要素は依然ほどポイントにはならない気がします。仕事ができても、言動や態度が高飛車で、上から目線風の癖が抜けない人は、周囲から敬遠されてゆくゆくは損をしそうです。
巧みに人間関係を築く能力や、愛嬌があって自然に愛される能力や、周囲と円滑にコミュニケーションを取れる能力には、人によってかなり能力差があります。それは、努力によって少しは埋めることはできそうですが、持って生まれた魅力の差も少なくありません。特に何もしないように見えるのに、常に信頼できる仲間に囲まれて、引き上げられていく人がいる一方で、ある程度は努力を認められながらも、なぜか運が巡ってこず、不遇をかこつ人もいます。
まあ、反社会的行動に訴えない限り、露骨に虐げられたり、集団から排除されたりすることはないでしょう。考え抜きながら、常に危険と隣り合わせの生活を嫌って、小市民的に徹すれば、ディストピアと言われようが、生き延びてはいけそうな気もします。ただ、その場合は、変わり映えのしない日々の中で、用意された娯楽を適当に選び取って、そこそこ楽しみながら、充実感の乏しい人生を終えていくのかもしれない…… という気がしています。
将来有望でワンチャンがありそうな目ぼしい分野には、既にアンテナ感度の高い強者が群がっています。目利きの効く人によって陣地は埋まってしまうので、早々に扉が閉ざされます。経済格差の問題は、分配方式の大転換といった荒療治を施せばある程度は埋められそうな気がしますが、個々人の希望格差に対処するのは簡単ではなさそうです。