町に出よう! とは言いづらい時期ですが‥
書を捨てよ、町に出よう
以前タイトルに一目惚れをして、寺山修司『書を捨てよ、町に出よう』という本を購入しました。
著者の寺山修司氏(1935/12/10-1983/5/4)は熱烈なファンも多い歌人、劇作家ですが、世代が違うせいか、私は殆どイメージがありません。「言葉の錬金術師」「アングラ演劇四天王のひとり」「昭和の啄木」などの異名があり、マルチな才能のある方だったようです。(Wikipedia他で抜粋)
この本を読んでからは結構時間が経過しているので、詳しい内容はすっかり忘れてしまいました。この印象的なタイトルと「面白かった!」という興奮の記憶だけが今でもしっかりと残っています。(お粗末な読書記録)
タイトルの『書を捨てて、町へ出よう』には、"本に書かれた知識を詰め込んだだけの頭デッカチなオトナなんてつまらない。生き抜く為の必要な知恵は町に飛び出して、肌で覚えろ"という意味が込められているのだろうと思います。変化の時代には、理屈先行のインテリは脆く、弱肉強食の世界に身を晒しているストリートスマートは強い、という感覚は私にもあります。
書を持って、町に出る
ただ、現代をしぶとく生き抜いていくには「書を持って、町へ出よう」的な二兎を追う精神がふさわしいのではないか、と感じています。検索による知識獲得と行動による経験蓄積の両輪でいかないと対応できない時代になっていそうです。
私は、読書や情報収集といったインプット作業は、自宅で机に向かってやるよりも移動中の乗り物の中で行う方が効率よくやれます。最近ではスマホがあれば、無限に情報検索もできるし、移動の利便性やコスパも格段に向上しているので、より実践しやすくなっています。
町へ出るのは億劫ですが
新型コロナウイルス感染症のまん延によって、自由な移動への制約が増えつつあります。日本国内の緊急事態宣言は解除されたとはいえ、まだまだ「町へ出よう!」を精力的に実行しづらい空気感が漂っています。
人が活発に移動することで、どこに潜んでいるかわからない新型コロナウイルスに感染する/感染させる可能性は高くなりますから、引き続き個々人が細心の注意を払って、責任ある行動が求められます。
私は、町に出ることで得られる効用を捨てたくはありません。リスクを理解し、結果責任の覚悟を決め、細心の準備をし、目的を明確にして町へ出続けるでしょう。感染した/感染させた時の被害や批判をおそれて引き篭るのは、
● 運転した経験が少ないし、技術も未熟で事故が怖いから、クルマの運転はしない……
● 文章を書いたことがないし、技術もなくてディすられたら嫌だから、投稿はしない……
● 女の子と付き合ったことがないし、自分に自信もなくてフラれたら傷つくから、告白はしない……
といった消極的で逃げの発想です。極端過ぎる活動自粛は別のマイナスを引き起こします。この局面を乗り切るにあたり、自分で決めた「常に情報のアップデートを行い、正しく怖れる」の精神で判断し、行動していきます。