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S.A.T.U.R.D.A.Y. Night!

本日は土曜日に因んで、懐かしいこの楽曲を取り上げて語ってみます。

こんなんあり?

『サタデー・ナイト Saturday Night』(1976)は、1970年代後半に爆発的な人気を誇ったスコットランド出身のロックバンド、ベイ・シティ・ローラーズ (Bay City Rollers, 通称BCR)の代表作です。

彼らが人気絶頂だった頃の私は、小学生にあがるかあがらないかの年齢だったので、記憶はかなり朧気です。ただ、この曲の印象は強烈そのものでした。曲頭の ”S.A.T.U.R.D.A.Y. Night!” の絶叫は衝撃的でした。こんなんあり? と唖然としました。

『サタデー・ナイト』とBCRの影響力は多方面に及んでいます。私は、海援隊の『JODAN JODAN』は、このパロディだろうと信じていますし、チェッカーズの売り出しに際しては、BCRが意識されていたと思っています。2020年の今では、1970年代に活躍した海援隊(武田鉄矢が在籍)や、1980年代に絶頂の人気を誇ったチェッカーズ(藤井フミヤがリードボーカル)を知らない人も多いかもしれません。

タータンチェックの貴公子たち

BCR黄金期のメンバーは、

Les McKeown, Vo  レスリー 
Eric Faulkner, G エリック
Stuart John Wood, G ウッディ
Alan Longmuir, B アラン ※2018年に逝去
Derek Longmuir, Ds デレク

の5人です。バンドのルーツは意外と古く、1965年にロングミュアー兄弟が地元のエジンバラで結成したサクソンズ(The Saxons)というバンドまで遡ります。

1968年には、バンド名をベイ・シティ・ローラーズに改称します。バンド名は、アメリカの地図を開いてダーツの矢を投げ、刺さった場所にあったミシガン州のベイシティ(Bay City)から付けたというエピソードがあります。このベイシティ生まれの著名アーティストには、マドンナ(Madonna 1958/8/16-)がいます。

1974年にレスリー、エリック、ウッディが加入して5人編成になってから、BCRの人気が世界各国で爆発していきます。母国スコットランドの象徴とメンバーのアイドル的ルックスから、"Pride of Tartan(タータンチェックの貴公子)”とも呼ばれました。女性人気先行のアイドルバンドと捉えられがちですが、演奏の実力は確かだったと言われています。とはいえ、当時のロック少年たちから評価されていたとは言い難いものがあります。

決して、一発屋バンドではなく、『バイ・バイ・ベイビー Bye Bye Baby』(1975)『ロックンロール・ラブレター Rock n Roll Love Letter』(1975) 『 二人だけのデート Only Wanna Be With You』(1976)等を全世界でヒットさせています。

BCR初来日時の1976年12月14日に日本武道館で行われたコンサートは伝説になっています。会場内は若い女性ファンの絶叫と歓声が終始鳴りやまず、失神者の最高記録は未だ破られていないとか… メンバーは日本びいきのようで、フロントマンのレスリーの奥様は日本人女性です。

BCRはメンバーチェンジをしつつ今も現存していて、度々日本公演も果たしています。年季の入ったおじさん達がチェック柄のシャツを着て真剣に行うパフォーマンスは感動的ですらあります。

土曜日の夜が特別な夜だった頃

この『サタデーナイト』では難しいことは何一つ歌っておらず、土曜日の夜にベイビー盛り上がろうぜ! みたいなノリの曲です。

明日は休みの日曜日、働き詰めの日常から解放される土曜日の夜には特別な時間が流れている…… という感覚はわかります。英国労働者階級出身の作家、アラン・シリトーの小説『土曜の夜と日曜の朝』の世界にも通じるものがあります。

週休二日制が一般的に広まって以降は、聖なる夜の座を金曜日の夜に譲った感はありますが、この曲がヒットしていた1976年は、週休一日で働くのが当たり前でした。当時の土曜日の夜には、抑圧されていたエネルギーが一斉に解き放たれて、爆発する空気感があった気がします。

破天荒な曲だと思っていたのですが、今改めて聴くと上品に聴こえるから不思議です。閉塞感漂う時期こそ、こういう明るさって貴重だな、と思うこの頃です。



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