死と再生を象徴する、猿田彦大神の使い - 「カエル」『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界(第二十一回)』
「神使」「眷属」とは、神の意思(神意)を人々に伝える存在であり、本殿に恭しく祀られるご祭神に成り代わって、直接的に崇敬者、参拝者とコミュニケーションを取り、守護する存在。
またの名を「使わしめ」ともいいます。
『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界』では、神の使いとしての動物だけでなく、神社仏閣に深い関わりのある動物や、架空の生物までをご紹介します。
動物を通して、神社仏閣の新たなる魅力に気付き、参拝時の楽しみとしていただけたら幸いです。
神使「カエル」
古代のカエル
「カエル」は古代から神聖な生き物と考えられていました。
昨年春、奈良県桜井市の「纒向(まきむく)遺跡」からカエルの骨が出土したことが新聞などで報道されました。
これは祭りに使用した道具などを処分する「祭祀土坑(さいしどこう)」といわれる穴から発見されたもので、その内容はツチガエル6匹、ニホンアカガエル4匹、ナゴヤダルマガエル2匹の合計12匹です。
神聖な生き物であるカエルを神前に供えたあと、参列者がそれを食べて骨を捨てたものだと考えられています。
これは現代でも行われている、神饌・御饌(神様に献上する食事のこと)のお下がりをいただく「神人共食(しんじんきょうしょく)」に繋がる行為です。
奈良県吉野郡吉野町南国栖の「浄見原神社(きよみはらじんじゃ)」で、毎年旧正月の14日に行われる「国栖奏(くずそう)」という歌舞では、山菓(栗)、醴酒(一夜酒)、腹赤の魚(ウグイ)、土毛(根芹)などとともに、この地方の人々が「毛瀰(もみ)」という名で呼ぶ、ヤマアカガエルが神前に供えられます。
カエルを神前に捧げる祭祀としては、諏訪大社の「蛙狩(かわずがり)神事」も有名です。
国栖地方ではアカガエルは食用であり、最高の珍味であったそう。かつて応神天皇が吉野離宮を行幸した際、歌舞を披露した国栖の人々がカエルを煮た上等な食べ物を献上したことが『日本書紀』に記されています。この時、応神天皇に奏された歌舞が「国栖奏」の起源となっています。
この他、縄文時代には土器に、弥生時代には銅鐸や銅剣にカエルの文様が描かれています。
カエルは「女性」「水」「月」などを象徴する生き物であるとも考えられていたようで、土器には女性器と思われる文様がカエルの背中に象られています。
女性器が意味するものとは「豊穣」であり、「生命を産み、育む大地」でもあります。カエルは「月の不死性」を表しており、「死から生が生まれ、生から死が生ずる」という、「死と再生のサイクル」をも表しているのです。
日本神話のカエル
『古事記』には、案山子(かかし)を神格化した「久延毘古(クエビコ)」が登場します。
案山子は、晴れの日も、雨の日も、嵐の日も、田畑の真ん中に立ち、世の中で起こる様々なことを静かに見ていることから、「歩くことはできないが、世の中の全てのことを見通し、知っている」田の神、知恵の神であるとされます。
この久延毘古の相棒のような存在が、「多邇具久(タニグク)」。ヒキガエルの神様です。
『古事記』の大国主の国造りの説話によると、大国主神が出雲の美保岬にいると、小さな神が天の羅摩船(あめのかがみのふね)に乗ってやって来ました。名前を尋ねると、この神は名乗らず、また従者もこの神の名を誰も知りませんでした。
そこに現れたのがヒキガエルの多邇具久。
大国主神に向かって「久延毘古なら知っています」と申し伝えました。そこで久延毘古に尋ねると「その神は、神産巣日神(カミムスヒノカミ)の御子の少名毘古那神(スクナビコナノカミ)である」と答えます。
多邇具久は、久延毘古のもつ「知恵」を、世の中に媒介する役目を持っているのでしょう。
猿田彦大神の使い
カエルは「猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)」の使いでもあります。
「瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)」の天孫降臨に際して、高天原から葦原中国(あしはらのなかつくに)までの道のりを照らし、導いた神として知られる猿田彦大神。
『日本書紀』においてその姿は、鼻の長さが七咫、背は七尺という記述があり、「猿田彦=天狗」とする説もあります。
猿田彦は、瓊瓊杵尊を道案内した神であることから、道の神、旅の安全を守る神として信仰され、街道沿いに多く祀られています。神使であるカエルは、「無事に"帰る"」にも繋がることから、猿田彦大神の使いとなったという説もあるようです。
東京都内屈指のパワースポットでもある、「将門の首塚」。
平安京で晒し首になった平将門の首級が飛来した地であり、近年ではその強い守護の力で大手町界隈のビジネスマンなどから篤い崇敬を受けている、この首塚。写真でも分かるように、お塚の周りにはカエルの像が安置されています。
これは、将門公の首が京都から「飛んで帰った」ことに因んで、左遷などにあっても無事に元の会社に戻れるようにとの願いが込められ供えられたものだそう。また、行方不明者の親族などが、不明者の無事を祈ってカエルの像を納めることもあるそうです。
カエルと、女の子
カエルといえば、思い起こされるのが3年前の秋の出来事です。
私は義父の墓詣りに大分県の某所にある墓地へと向かいました。同行者は、家族4人です。
墓地に到着して、私たちは車を降りて義父のお墓へと歩きます。緑豊かな山間の広大な敷地には何百基という墓石が立ち並んでいます。
しばらくすると義父のお墓に辿り着きました。
全員でお供え物を暮石の傍に置き手を合わせます。
その時です。
私は少し違和感を感じました。
一番端に立っていた私の視界の右側すれすれの位置に、誰かが立っているのが分かります。瞬間的に「小学校1、2年生の女の子で白いブラウスを着ている」と分かったのです。
広大な墓地ですから、他の参拝者がいてもおかしくはありませんし、その女の子はきっと家族が参拝中で、その間、退屈で仕方がなく墓地を歩き回っているのかなと思いました。
手を合わせ終わって、その女の子の方をしっかり凝視して確認しようと首を右横に向けると、視界のすれすれに佇んでいた女の子は一瞬で消えてしまいました。
私はてっきり、その女の子がしゃがんだために暮石の影に隠れて見えなくなっただけだろうと思いました。でも、視界すれすれに立っていたはずの女の子の着ている服や背格好まで何故しっかりと分かったのだろうと不思議に思い、心の中では「もしかして・・・」と疑念を持ちました。
しかし、同行している家族にそれを伝えると、場所が場所だけに不用に怖がらせてしまいます。そのことを伏せたまま、参拝を終えた私たちは出口へと歩き出しました。
そこで分かったのですが、その広大な墓地にいるのは私たち家族だけだったのです、見晴らしの良い墓地なので、他のご家族が参拝していればすぐに分かります。
駐車場にも私たちの乗って来た車一台しか停車していません。場所柄、車以外の方法でこの墓地を訪れる方法はありません。
「そういうことか・・・」と心の中で呟きながら歩き続け、あの女の子が立っていた暮石のあたりにまで来ました。
すると、その暮石の上に一匹の可愛いアマガエルが乗っているではありませんか。本当に綺麗な緑色で、小さくて可愛いのです。
よく、死者は動物や昆虫に姿を変えて家族に会いに来るとか、死者の使いだなどと言います。私が先ほど見た女の子は、このアマガエルかもしれないと、ふと思ったのです。
それで、その暮石に彫られた亡くなった方の享年と亡くなった日を確認してみたのです。何と僅か6歳でつい最近亡くなっているお子さんであることが分かりました。視界すれすれの位置に現れた女の子、アマガエル、お墓、全てが線と線で繋がります。
「こういうこともあるものなんだな、私達が家族で参拝に訪れて賑やかだったから、つい姿を現したのだろう、そしてその後はアマガエルに姿を変えたのかもしれない」そう思いながら帰路に着くため車に乗り込みました。
車に乗り込んだ後、帰りの道をカーナビに登録しました。
そして出発。
車の中でも、先ほどの光景が蘇って来ます。
車を走らせて15分ほどすると運転者が首を傾げています。ナビの画面を確認すると明らかに途中で目的地方面とは逆走しています。ナビの指示する通りに走っていたはずなのに、途中で目的地が変わっている様子なのです。
次の瞬間唖然としました。
何と先程までいた墓地に戻っているのです。
カーナビに目的地を登録する際も、全員がそれを画面上で確認し、道中もその指示が正しく、目的地にしっかり向かっていることは確実だったのです。しかし、途中から明らかにその指示が登録したはずの目的地ではない方向へ導いていたのです。
墓地の入り口で車を停めて再度、ナビの登録画面を確認します。
私は内心こう思っていました。
「墓地にいた女の子が、自分の存在に気付いてくれて嬉しかったから、遊んで欲しくて付いて来たんだな。車に一緒に乗り込んでドライブがしたかったんだ。そして数キロのドライブを楽しんで、墓地に送り届けたんだろう」
怖いというよりも、少し微笑ましい、温かい気持ちになったのでした。
各地のカエル
福岡県小郡市にある真言宗御室派の寺院「清影山・如意輪寺」は、ご住職が集めた3000体にも及ぶカエルの像が境内の至るところに置かれ、通称「かえる寺」として有名です。
カエルに所縁ある神社仏閣
参考文献
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