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神の言葉をたずさえる瑞鳥「雉(キジ)」 - 『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界(第四十一回)』

「神使」「眷属」とは、神の意思(神意)を人々に伝える存在であり、本殿に恭しく祀られるご祭神に成り代わって、直接的に崇敬者、参拝者とコミュニケーションを取り、守護する存在。

またの名を「使わしめ」ともいいます。

『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界』では、神の使いとしての動物だけでなく、神社仏閣に深い関わりのある動物や、架空の生物までをご紹介します。

動物を通して、神社仏閣の新たなる魅力に気付き、参拝時の楽しみとしていただけたら幸いです。



国鳥「雉」

雉の雄

雉(きじ)は日本の国鳥です。

日本固有種であること、『桃太郎』など各地の民話や、『万葉集』『古事記』にも登場し、古くから人々に親しまれている鳥であること、留鳥(季節による移動をしない鳥)であり人里近くに住む鳥で美しい羽色をもつことなどから、1947年にハトやヒバリ、ウグイスといった他候補を抑えて国鳥に選ばれました。

国鳥に選ばれる一方、雉は狩猟鳥(狩猟対象の野鳥)に指定されており、日本では縄文時代から雉を獲って食べていた歴史があります。

吉田兼好の書いた、かの有名な随筆『徒然草』の第百十八段には、雉に関する記述があります。

鯉ばかりこそ、御前にても切らるゝものなれば、やんごとなき魚なり。鳥には雉、さうなきものなり。雉・松茸などは、御湯殿の上に懸りたるも苦しからず。

(現代語訳)
鯉ばかりは、天皇の前で調理されるものであるから、誠に貴い魚である。鳥の中では雉が同様と言える。雉・松茸などは御湯殿(女官の詰所兼調理場)の上にかけられていても見苦しくはない。

『徒然草』第百十八段

雉肉を、鯉や松茸などと並ぶほどの高級食材であると言っています。

雉のつがい

平安時代頃を起源とする、日本料理の流派「四条流」の大意をまとめた料理書『四条流庖丁書』には、「鳥といえば雉のこと也」と書かれており、平安時代の頃には既に日常的に食べられる鳥であったことがうかがえます。

雉は羽の筋肉が弱いこともあり、長距離を飛ぶこともなく、地上を歩く特徴があるため、捕獲されやすかったことも食用となった要因の一つです。

また、雑食性なので育てやすく、家畜として飼われていた歴史も長いようです。


神使「雉」

元号となった雉

日本の元号の始まりである「大化」のあと、最初の改元で名付けられたのは「白雉(はくち)」でした。

これは、ある伝説が由来となっています。

『日本書紀』巻第廿五・孝徳天皇の条に、650年(大化5年)に宍戸國(現在の山口県長門市)の麻山(おのやま)に白い雉が現れたとあります。

朝廷に献上された白い雉は、瑞兆(めでたい兆し)の証に違いないと、「白雉」と改元されました。このことにより、宍戸國は税を3年間免除されました。

日本神話の中の雉

天若日子(アメノワカヒコ)は、高御産巣日神(タカミムスビノカミ)より弓矢(天羽々矢と天之麻迦古弓)を授かり、葦原中国を平定するために遣わされました。

しかし、大国主神(オオクニヌシノカミ)の娘である下照比売(シタテルヒメ)と結婚し、8年間にわたり高天原に戻ることはありませんでした。

天照大御神(アマテラスオオミカミ)と高御産巣日神は、その理由を問うために使者として雉名鳴女(キジナナキメ)を葦原中国に送ります。

天若日子の家の門前にたどり着いた鳴女は楓の木にとまり、なぜ復命(命令を受けた者が、その経過や結果を命令者に報告すること)しないのかと、天照大御神の言葉を伝えました。

天探女(アメノサグメ)という天邪鬼の原型ともなった女神が、「この鳥の鳴き声は不吉だ」と伝えたため、天若日子は授かった弓矢で鳴女を射殺してしまうのです。

その矢は、鳴女に命中したあと高天原にまで届いて投げ返され、その矢に当たった天若日子は絶命してしまいます。

天若日子の授かった弓矢は、悪神を射るためのものであり、悪心を持てば自らに禍をなすものだったのです。

夫が亡くなったことを知って、妻の下照比売は嘆き悲しみ、その慟哭は高天原にまで届きます。

天若日子の父、天津国玉神(アマツクニタマノカミ)とその妻は、地上に降りて葬儀を催します。

そこでは川雁(川に棲む水鳥)が岐佐理持(きさりもち=死者へ供物を運ぶ者)、鷺(さぎ)は掃持(ははきもち=墓所の穢れを祓い清める者)、翡翠(かわせみ)は御食人(みけびと=供物を調理する者)、雀は碓女(うすめ=米をつく者)、雉は哭女(なきめ=泣き女)といった鳥たちは、それぞれの役割にあたったといいます。

現在でも中国や韓国などの国では、遺族になり代わって故人を悼むために号泣する女性がいます。日本でも古代から行われていた風習であり、戦前まではこの風習が守られていた地域もあったようです。

泣き声や涙は、死者の霊魂への最大の弔いであり、慰めだと考えられ、無事にあの世へ送り届ける意味合いもあるようです。

雉の鳴き声は、独特な鳴き声をしているので、古の人々はその鳴き声に神秘性を感じ取っていたのではないでしょうか。雉という鳥が、日本人の心に根付く所以がここにもうかがえます。

大谷場氷川神社

大谷場氷川神社の狛雉

さいたま市南区南本町に鎮座する「大谷場氷川神社」の神使は雉で、「雉の氷川様」として親しまれています。

参道の左右には、2000年に奉納された一対の狛雉が安置されています。左の雉(雌)は4羽のヒナを連れ、右の雉(牡)は子どもの雉を伴っています。

主祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)と、誉田別尊(ホンダワケノミコト)なので、雉とは関係性がありませんが、この地にたくさんの雉が生息していたことから神の使いと考えられるようになりました。

雄の雉が子どもを伴っているが、実際に雄が子育てをすることはない
愛らしい4匹のヒナ



雉に所縁ある神社仏閣

大谷場氷川神社(埼玉県さいたま市)
狭野神社(石川県能美市)
高田神社(岐阜県飛騨市)
雉子神社(東京都品川区)
秩父神社(埼玉県秩父市)

参考文献

『神道辞典』国学院大学日本文化研究所(編)弘文堂
『神社のどうぶつ図鑑』茂木貞純(監修)二見書房
『お寺のどうぶつ図鑑』今井浄圓(監修)二見書房
『神様になった動物たち』戸部民生(著)だいわ文庫
『神使になった動物たち - 神使像図鑑』福田博通(著)新協出版社

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