見出し画像

発達特性と脱コルセットの親和性について

めんどくさいことが嫌いです。
同時に複数のことに気を配れません。
合理的で効率的に生きたいです。
ミニマリストです。
感覚過敏があり極度の冷え性です。
髪がパサつきやすいので短くしていることが多いです。

そんな感じなので、世間一般で「女性的」とされる装飾に興味がありません。かといっていわゆる男装がしたい訳でもなく、単にシンプルな格好をしてます。
「自分らしい」とか特に考えなくても、Tシャツ、パンツ、スニーカー、ショートカット、荷物がしっかり入る機能的なバッグ、ノーメイクまたは服装に合わせてモード系のメイクとかに至っています。

私服はゆるっとしてても、学校の制服、就活、スーツとパンプスで出勤する職場で働いていた時期は、今思うとコルセットだったと思う。
パンプスで長時間歩きっぱなしや立ちっぱなしは倒れそうになるし「足痛い」「休みたい」以外の感情がなくなってくる。靴を履き続けるためだけに鎮痛剤飲むって異常だよな。ストッキングは吸湿性も保温性もゼロに等しいので夏は足が臭く、冬は冷えで足がつる。そして転ぶ。あぶねー

ただでさえ同時に複数のことが考えられないのに、世間的に正しい女性の恰好(とされる恰好)をすると著しく思考停止する事態に見舞われる。
こんなんに嫌気が差して、今はやってないから脱コルセット当事者と名乗ってもいいのかなと思ってます。

発達障害(ASD傾向)があり、子供の頃から共感性が低かったので、自分がやりたい訳じゃない行為でも周りに合わせてやらなきゃ!!という強迫観念はあまりないまま生きてました。
なので、他人に対しても「嫌ならやめりゃいいじゃん」と思ってたし、実際友人に面と向かって言ってしまったこともあります。

「健常」で「空気の読める」「日本人女性」
お前らのせいで身体的に女性である私までモノ化されて見られるからマジ迷惑。さっさと男社会への忖度やめろ!

て思ってたけど、これってセカンドレイプに近くね?
こんなヘイト発言してても何の意味もない。「女の敵は女」の対立構造に見事に取り込まれてるだけ。

女性的とされる健康・金・時間が奪われる「コルセット」を外せない当事者の置かれた社会的背景を無視して、自分の発達障害ゆえの空気の読めなさを特権として振りかざすなら、それは「名誉男性」と何が違うんだ?と。
その罪悪感からこの文章を書いています。

先日、Twitterで「脱コル日記」と「走っていく女性」という韓国の漫画を読みました。

とにかく描写力がすごいです。
全話読むとかなり長いんですが、床に座り込んだままスマホで延々と2時間ぐらい読んでた。
社会の残酷さ、それも特定の属性を持つ人間にだけ向けられる牙。なかったことにされている様々な理不尽さ、異常性、それらがこれでもかと描かれる。(初めてハルオサンの「警察官クビになってからブログ」を読んだ時に近い衝撃)

化粧は排卵期の女性に近づけて見せるため。(脱コル日記)
私がフェミニズム運動に参加したらフェミニストがデブってことが事実になるじゃん。(走っていく女性)

全てが神回と呼んでもいい漫画ですが、このコマだけでも読む価値がある。

美容整形や脱毛の広告、化粧品、女性向けファッション誌、美容系YouTuberの動画
それらを「コルセット」という概念抜きに見ることができなくなった。
自分はそこにがんじがらめになってないからいい。と見過ごせるものでもなくなってきた。

化粧をする自由
ヒールをはく自由
髪を伸ばす自由
装飾のために早起きする自由
ダイエットする自由
整形する自由

しばしば、女性たちは上記の自由を主張する。
「私は、それを、やりたくてやっている」「男に見せるためじゃない」「自分に自信を持つためにやっている」

確かに、それらの考えを否定する権利は私にはない。
でもそれらが本当に「主体的に選んだ選択か?」「社会的に学習させられ、選ばされてないか?」を問いたい。

なぜやめる方向ではなく「続けさせる圧力」がいつも存在するのだろう?
ヒールが痛い→痛くないヒール
ブラが窮屈→カップ付きキャミソール
メイクする時間がない→時短コスメ、アートメイク
マスクがメイクで汚れる→メイクが付きにくい立体マスク
長い髪は傷む→トリートメント、地毛は短くしてロングのエクステ
ムダ毛処理がめんどう→脱毛サロン、医療脱毛
リモートワーク中にTV会議で化粧するのめんどう→メイクしたように見えるAR技術

なんか、一見正しそうに見えるし、課金する側も自ら選んでいるように見える。
でもさあ「やらない選択」がないことになってないかな?
あったとしても勇気をもって臨むことになってたり、「すっぴんでごめんなさい」と謙遜すべきことになってたり。
「外見でジャッジする・される」をやめればいいのに。

(ちなみにカップ付きキャミソールは胴体全部に密着しているのでけっこう暑く、感覚過敏勢にとっては鬼門です。)

シンプルな格好をしていて、装飾過多な女性に不便そうだなーという感想を漏らすと必ずと言っていいほど言われること。
「あんたはいいよね、太らない体質で」
「は?すっぴん自慢?」
「イケメンキャラのコスプレできるやつは違うよね」

それ以上話が進まなくなる。
私は、あなたと、「女というジャンルの人」ではなくあなたと、女というだけで課せられためんどくささについて話したかっただけなのにな。

かわいくなる方法、モテる方法、恋バナ
それらが雑談の大半を占める女子のコミュニティからいつも遠ざかった。
私がコミュニケーションに障害を抱えている(ことになっている)ことと、女性一般に押し付けられている抑圧的な役割には密接な関係があると考えている。

抑圧的な役割について「分かる―」と同意を示してくれる友は必要でも、具体的解決策を提示するやつは異物だ。クソバイスやマンスプレイニングと同じ扱いを受ける。
じゃあ人付き合いをどうするか?避けるようになるのは当然なのだ。
「雑談」に含まれるジェンダーバイアスや無意識の性差別に疲れ切ってしまう割に、得る物がほとんどない。
この分断は、女同士で抑圧を「分かる―」と慰め合ってくれて留飲を下げ続けてくれれば安泰、と考える男社会から見ると都合のよいものだ。異物と仲良くなってもらっては困る。

ただ、最近は考え方が変わってきて「異物」として存在していることに意味があったりするんかな?と思ったりします。年齢が上がってくると、無条件に若者からは「あの状態で生きてていいらしいぞ」と存在するだけでメッセージを伝えることになるので。年取ってよかった!

とはいえ、脱コルを話題にしてない人達にいきなり「脱コルしたんですよ!」と告白しに行っても「は?」となるだろうから…
そうだなあシンプル過ぎる外見から、ちょっと髪型とか髪色変えるとかでもいいんだけど、他人から突っ込みやすい変化を取り入れて、そこから脱コル方面に話題広げるのもいいかなーなんて思ってます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?