「生きること」=「化かしあい」(2)

うちの職場は製造業なので、納入と配送のトラックが何台もやってくる。決まった時間に(だいたい、だけど)くる定期便と、思いおもいの時間に来る臨時便の二種類。週に一度だけの便というのもある。

その定期便のドライバーさんの一人「Aさん」が、なかなか厄介な性格をしていた。ひとことでまとめると「強きを助け、弱きを憎む」(byタケちゃんマン)だ。同じドライバー同士でかちあい、搬入の順番を譲り合うときに「強そうな人には低姿勢、または、言わない」「弱そうな人には怒鳴り散らす」をしてしまったりする。

その日は臨時便がたまたま先に荷卸をしていて、「Aさん」は何分か待たされていた。イライラして俺のところに近づいてくる。

「あいつどかしてくれよ。待ってたら次の行き先に間に合わねえよ。事務所に行ってさ、あの臨時便が邪魔してるって文句言ってやってくれよ」

別にあと30分もかかるわけではないし、「Aさん」だって、そのくらいで一日の仕事がパーになるわけもないだろう。待つしかないし、どうしてもと言う事なら配車の時間調整を申し出てはどうか?と返してみたのだが………そこで、

「もういい!うるせえ!だまって働け!おまえなんか上司にものも言えないペーペー下っ端のくせに!」

と、茹でダコのように怒り出してしまった。少しして場所が空き、「Aさん」は搬入を終えたが、返りは空ぶかしをぼこぼこ鳴らして凄いスピードで走り去っていった。

俺は一つ思いついて、事務所へこう言ってみた。

「あの定期便、よほど配送ルートが窮屈なのかも知れないから、向こうの会社と話して具合を確認してくれ。ほんとうに数十分が待てないほどならこっちが考慮しなくちゃだし、向こう自身が仕事量を調整するかも知れないので」

こうすると「会社 対 会社」になるから、ちゃんと話を聞かなくちゃならない。向こうの会社も「Aさん」に詳しく聞くしかなくなるね。そこでどんなやりとりがあったかは想像の中だけど、その「Aさん」は翌日からとっても大人しくなってくれた。

……いやいや、俺は別に「うるさい誰かを黙らせる方法」を書いているわけではないのだ。この話のポイントは別にある。それは、

「Aさん」の生存戦略は「小さな部分を押し広げて、なるべく自分が快適でいよう」というものだった、ということ。威圧すればあの臨時便は場所をあけてくれたかも知れないし、それがしにくかったから俺を中継して状況を操作しようとしてきた。俺がその道具に使えると踏む程度には、「俺は弱いやつ」と判断していたということ。

そういう「人間力」の操作のしあいで、なるべく自分が快適でいようとするのは、いかにも人間らしい行動だなと思う。ただ、それのツールに俺が使われるのは迷惑だし、だからこの話を事務方に伝えて「社会性の次元」へ押し上げてみた。

「Aさん」は主張の破綻に直面しただろうな。次の行き先に間に合わないなら、自分の会社がルート調整をかける。間に合うならそもそも文句は出ない。彼は「イライラしてたから怒鳴っていた」自分を表明するしかなくなる。向こうでどんなやりとりになったかは知らないけど、彼はこうして大人しくなった。

つまり人間とは「言葉を仲介して、その実は感情で動く生物」という事……になるかも知れないと。そんな事まで想像が進む。前にも書いたけれど、猫は言語を使わなくても恋をし、闘争をする。僕らは見かけ上は言葉を使うが、その言葉に載せた「感情」は別の意味を持つ。ほんとうは言葉ではなくそちらを伝えているのだ。言葉と感情の2つとも光にさらすと、人間は矛盾に気づいて戸惑うことになるのだ。

でもこれ、普通に暮らしてる人は自覚なんてするものなんだろうか?主観?嗜好?主義?すべては遺伝子の設計に基づいて発生するのかも知れなくて「これが正しいんだ!」がないかも知れないと言うこと。そこに思い至る人は、ちゃんと沢山いてくれるんだろうか?

なんて。今日もぽつぽつと考えてみたり。

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