
豊川吒枳尼真天さまにご挨拶して
ふと急な思し召しで、赤坂にある豊川稲荷へ参拝して参りました。
この寺院の存在を知って2日後のことです。たまたまグッドタイミングが訪れ、初めて伺うことに成功しました。
少々大袈裟な表現をしましたが、私としては大そう早い動き方であり、入ってきた情報のまま即座にとった行動であります。
時間もお金も大きく動かしたこの急速な行動。原動力は何だったのかというと…何なのでしょうか。少し面白いテーマかなと思うので深堀してみたいと思います。
まず明確にあったのは、「ここへ行く」というものすごいしっくり感です。感覚的なお話です。ここへ行くのが当たり前という勢いでした。そうするともう日時さえ決めたら行くしかないですよね。
つまりそういうことです。
決めたらもう次にやることも決まっているんです。迷う選択肢はありません。迷ってなんていられません。そもそも選択肢がないのですから。
日時を決める→行き方を調べる→色々と準備する→行く
これだけでした。
私が普段神社仏閣にお詣りする際にどんな心意気でどんなことを思い何をしているかということはまた別のトピックにできそうなくらいですが、
今回、この豊川吒枳尼真天さまには初のご挨拶でして、急な巡り合わせで呼んで頂くことができました。すこぶる強力なエネルギーのお持ち主だそうで、あ、そうか。だからこそ今回私もこんなに最速で動くことができたのですね。いやはやすごい、お力です。
日頃の感謝と私の心願に対してお力添えをご依頼に行こうと思っていました。何でもない平日の午前中というおかげで人が大変少なく、時間と空間を贅沢に使わせて頂くことができました。
ご祈祷を申込み、ちょうどいい時間に案内されてスムーズに流れていくと、感じられるものがやっぱりありました。
暗く静かなる荘厳なお仏壇と6人のお坊さん。
和太鼓やおりん、お坊さんの声が私のお腹に鳴り響いた瞬間、感涙していました。
このご祈祷の数分に思い出されたことがあったのです。
それは、小学生ほどの幼い時分に、母によく連れられて行った仏教系のある宗派の御勤めです。お坊さんの唱えるお経の独特な声、線香の香り。仏壇を正面に座る人々の背中。
フラッシュバックしたこの光景が涙に追い打ちをかけるようでした。ご祈祷中にぼろぼろ泣いている女性がいたら変な目で見られそうだと我に返り、思わず目に見えない存在に(止めてください)とお願いして流れるのは阻止できました。どこにお願いつこてんねん。
ただ、その時に感じられたことは、感謝でした。
母への感謝です。当時からああして、信仰心高く熱心にひたむきに生きていた彼女が確かにいた。だからこそ今の私がある。そういう実感でした。
そして祖父の存在も感じていました。私は事あるごとにいつも(おじいちゃん)と心の中で話しかけています。10年前に亡くなった彼は今でも私に答えてくれ、明確にそこにいます。いつもサポートしてくれて本当にありがとうなのです。
ご祈祷のあの本殿の空間に、私と、母と、祖父。家族。私がここに存在していることへの感謝がありました。
そんな一つの気付きを終え、この豊川稲荷を作られたという大岡越前の神様へ感謝のご挨拶をし、いよいよ奥の院へ。売店でお供えものを購入すると、可愛らしい紅白の御餅がセットになっていて、その上で石をカンカンと打ち起こした火が御餅に舞うのでした。美しいエネルギーです。
前の人が出てこられるのを待って奥の院へ上がり、私は彼に伝えました。
何分でしたでしょうか。用意していたお願いは6つありました(多いか)。普段はあまり神社でお願い事をするのはいかがかという気持ちもあり、感謝と小さな問いかけ程度にしていたものの、豊川吒枳尼真天さまには!という想いがあって、6つもすらすらと声に出して述べていました。
しかもこの6つは、今日のこの参拝に潜在意識から気合が入りすぎてか?、明け方でもない深夜2時に目覚めてノートにまとめたものたちです。
「(笑)」なんて書きません。本気だからです。
それは6つのお願いではなく、6つの宣言でした。ちょうどすべて終わった時に、どなたかが入ってこられました。ここで私だけの時間がぴったりと終了、という形です。
今回の豊川稲荷東京別院・豊川吒枳尼真天さまご参拝について、特段何を伝えたいでもありません。でも、ここに記録しておくことでまた、いつかの私が報告する振り返り資料といたします。
そして、ふと、思いついたこと、降りてきたこと、なんとなく気になったことはすぐに行動に移してみませんか。というご提案として。そうした行動の結果は絶対に、それをする前よりバージョンアップした自分がいます。