スイカの思い出
暑い日の仕事終わりにスーパーに寄る。
自動ドアが開き、冷たい空気に包まれて幸せを感じるまさにそのとき、
出入口からすぐの所にあるフルーツコーナーが目に入る。
『スイカ食べたいな~』
と思いながら誘惑と格闘するのがここ最近の日常。
実家を出て自分で日用品や食材を買うようになって初めて知る果物の価格。
買えなくはないけど、迷わずに買える値段でもない。
私の子供時代のスイカの価格がどうだったのかわからないが、夏になると自分の家でもよくスイカを買ってくれたし、両方の祖父宅でもスイカを用意してくれていたと記憶している。
私は子供のころからスイカが大好きだったからだ。
田舎にあった父方の祖父宅には大玉スイカがまるまる1玉用意されていて、
いつも母に半玉か4分の1カットしか買ってもらえなかった私は大変喜んで、
祖母が包丁でカットしてくれてるのを横で見ながら『大きく切って!』とわがままを言ったのを覚えている。
余談になるが、父方の祖父宅には冷蔵庫が3台もあった。
1つはキッチンにある普段使う食材用、もう1つは土間にある飲み物用(主に孫達の為のジュースが冷えていた)、もう1つは納屋にあって土間の冷蔵庫に入りきらなかった飲み物用であった。
その為大玉のスイカを買っても「もし食べきれなかったらしまう場所がないな」と気にする必要が無かったのであろう。
母方の祖父宅は当然冷蔵庫が1台であったが、小玉のスイカをやはり1玉用意してくれていた。
子どもながらに「小玉だと縦長になるんだな」と思っていた。
母方の祖父と言えばこちらの記事にも書いた通り、片づけが苦手であったため冷蔵庫が常にぎゅうぎゅうだった。
長く一人暮らしをしていた祖父であったが、冷蔵庫の余力には乏しかったのでだろう。
そんな祖父、私と兄が幼稚園~小学校低学年になるくらいまで、夏になるとよくしていた遊びがあった。
スイカを食べた日の夜、お風呂を済ませて寝るまでの時間に祖父の寝床で遊び、祖父が私や兄を布団でぐるぐるっと巻き付ける。
その布団を広げてみるとスイカの種がパラパラと布団に落ちていて、
『お尻からスイカの種が出てきたね』と言って3人でゲラゲラ笑うというものだ。
当然、その種はお尻から出てきたものではなく、祖父がこっそり隠し持っていたものを私と兄にバレないように布団に入れたのだと思われるが、
当時はお尻から出てきたんだと信じ切っていたし、
スイカを食べる際には『絶対に種を飲み込まないように…。後でお尻から出てきちゃうから…』と気を付けていた記憶がある。
ちなみに、いまだにスイカの種は絶対に飲み込まないように種を徹底的に取り除いてから食べるようにしているが、この遊びの影響かもしれない。
時は流れて、私と兄が社会人になり、母を交えて話しているときに
『子供のころじいちゃんと布団でやった遊び覚えてる?』
という話題になった。
『覚えてるよ、スイカの種のやつでしょ?』
と私と兄で盛り上がっていたが、母は
『なにそれ?』
と。思えば、私と兄と祖父が遊んでいたあの時間、母は食器洗いかお風呂か何かで、同じ場所に居なかったような気がした。
2人で母に、一連の流れを話すと母は大層驚いていた。
『じいちゃんがそんなふうに子供たちと遊んでいたなんて知らなかった。
子供と同じようにはしゃぐことをしない人だと思っていた』
と感動にも似た反応をしていた。
母自身は子供の頃に祖父とはしゃぎながら遊んだ記憶があまりなかったらしい。
亡くなってから数年たってから、人の中の記憶を通して、個人の新たな一面を知るというのも感慨深い。
母曰く、祖父は休みの日になると一人で釣りに出かけていってしまうような人だったそうだ。
ある日、祖父がいつものように釣りに出かけようとしたときに、祖母が
『○○(母)も連れて行って!』
と言い、母は行きたくもないのに釣りに連れ出されたことがあった。
祖父が釣りをしている近くでお菓子を食べたり、花を摘んだりして時間を潰したがそれはそれはつまらなかったそうだ。
『あれは今思えば、じいちゃんの浮気対策に利用されたんだと思う』
と母は主張している。
(上に貼りつけた生地にもある通り、祖父は好色だったようである)
ともかく、
じいちゃんは面白かったんだよ。
もし今生きていたら、どんなおじいちゃんだったんだろうね。
ひ孫(私の甥)にもスイカの種で遊びを仕掛けたかな。
その役割は私の父に引き継いでもらうことにしよう。