私がかわいそうな理由
「8子はかわいそうだ」
と、言われたことがある。
ニカラグア、という途上国に国際協力をしにいった時の話だ。
ニカラグアってどんな国?
大学卒業して2年間、私は営利企業で朝から晩まで働きつめていた。「20代を金稼ぎに費やしていいのか?」そう疑問を抱いた私は、会社を辞め、ニカラグアにボランティア活動にいった。
ニカラグアはどんな国か。
まずは写真でお伝えすると、当時私が活動していた、首都からバスで5時間ほど先にある町は……
緑が多くてひろびろ~
小学校をのぞいてみると
暗!!
電灯はあったりなかったり、あってもつかなかったり。ついても、毎日数時間停電したり。ちなみに断水も毎日数時間あった。
ほったて小屋みたいな教室も。子どもが多いので増設したところ。
みすぼらしい? いえいえ、↓なゴージャスな一面も!
かわいい。。。独立記念日とか、母の日、クリスマス、教師の日など盛大に祝う。誕生日もその時にお金があったら盛大に祝う。
家の感じは……
日本と違って人口密度が低く、地方部では一階建ての家がほとんど!
壁紙がない、天井がない(直接屋根)、床もなくて土間、という家は多い。
道は舗装されていないところも多いので、幼いころから皆馬乗り上手。
小学生、たくましい。
ニカラグアについて文字情報をお伝えすると
・面積:北海道と九州を足したくらい(13万㎢)
・人口:東京の半分くらい(約650万人)
・スペインの植民地だったので公用語はスペイン語、カトリック教徒が多い。
・高温多湿の熱帯雨林気候(緯度は沖縄より南)
・政治経済は 「アメリカ大陸で2番目に貧しい国。近代では地震、ハリケーン、内戦などに見舞われ、2018年4月には政治社会的な緊張状態に陥り、失業率の増加など経済がさらに悪化。※引用元:JICAニカラグア (部分抜粋)」
この国に暮らす友人に私は、「8子はかわいそうだ」と言われたのである。
私って、かわいそうなの?
当時の私↓↓
友人と仲良くピーマンの肉詰めつくってるところ。カレーやコロッケ、ちらし寿司、オムライスもつくった。よく食べ、飲み、歌い、踊り、笑ったなぁ!あ~思い出しても楽しさよみがえる!
そう、別に私は「悩み事があって辛い」という状況ではなかった(むしろ毎日楽しくやっていた)
さらに、私はニカラグアの多くの人々に比べ……
・お金が多少ある
・パソコン、デジカメ、携帯など色んなものを持ってる
・しかも使いこなせる
・学歴(小・中・高・大卒)がある
・だから英語が多少わかる
・絵も描けるし、ピアノやハーモニカも演奏できる
・虫歯が少ない! 脂肪も少ない!
・異国を旅する時に観光ビザが不要、あるいは簡単にとれちゃうことが多い
総じて、選択肢が多そう!
でも私はかわいそうなんだって。
日本で「なぜ?」を聞いてみると
たまに日本の学校や会社に出前講座をすることがある。そういう時にこの話をして「なぜ私は、ニカラグアの人にかわいそがられたのか?」を聞いてみている。
今まであがったのはこんな答え。
日本にいれば豊かな暮らしができるのに、こんな貧しい国で生活をしなくてはいけないから。(中学生)
今ニカラグアで楽しく生きていても、いつか日本に帰らねばならないから。(中学生)
家族と離れて暮らさなくてはいけないから(大人)
また、皆さん口には出なかったものの、私がかわいそがられそうなポイントとしてこんなことがある。
・仕事がない(あくまでボランティア)
・結婚していない
・子どもがいない
・容姿がすてき、とはいいがたい
・性格が魅力的、とはいいづらい
・頭がいい、とはいえない
(ああ、書きながら地味に傷つくなぁ~)
どれもある意味、かわいそがられるに足る。けれど、ニカラグアの友人が私をかわいそうがった理由ではなかった。
かわいそうな理由、それは…
「8子は神(キリスト)を信じていないの?
神様はいつも私たちと共にいてくださるのに、その愛を信じることができないの?
たとえ8子が物理的に豊かでも、楽しく過ごしていても、神の愛を受け入れられないなんて、かわいそう。」
私がキリスト教を否定する発言をしたというわけではない。どの宗教もリスペクトしている。ただ、特定の宗教を信仰していないのだ(っていうのが、キリスト教の否定だろ!といわれたら、まぁそうかもなんだけど)
ニカラグアでは沢山の友達ができたが、こう言ってきたのは一人だけ。決してニカラグア人が皆、キリスト教徒でない人を「かわいそう」と考えるわけではない。「8子もキリスト教を信仰してほしいな」と言う友人もいたが、私の考えを尊重してくれる友人もいたし、そもそも私の信仰心に興味がない友人だっていた。
ショックな出来事だった
かわいそがられる、ということは、今回の場合は特にショックではなかった。むしろ信仰の強さから、こういう風に考える場合もあるのか!という新鮮な気付きであった。だから
「自分の価値観を全てと思わないでほしい
様々なあり方を尊重してほしい」
とは言い返さなかった(そこまで親しい友人ではなかったし)。
しかし、私は日を追うごとにショックを受けていった。
言い返せなかったのが悔しかったのはない。
自分自身、同じことをしている、と気づかされたからだ。
☆ ☆ ☆ ★ ☆
ボランティアをしながら、共に活動するニカラグアの人達に
「なぜ時間を守らないのか?」「業務時間中に真面目に仕事をしたら、もっといいものがだせるのではないか?」「一人でできることを大勢でやるって効率わるくないか?」
と、怒りの感情をもったことがあった(口にしたことも)。
さらには「だからいつまでたっても・・・・・・」などと考えたこともあった。そう、私は無意識のうちに「効率的に動かないのは問題」と考え、「効率の大切さが分らないということも問題!」と考えていたのだ。
ん? これって効率信仰??
「自分の価値観を全てと思わないでほしい
様々なあり方を尊重してほしい」
そう伝えるべき相手は、私自身だったのだ。
「かわいそう」と言われたことで私は
自分自身が一つの価値観で物事をかたくなに判じていたことを、痛感したのだった。
はずなんだけれど!
悲しいかな、いまだに自分の考え・こだわりに囚われていることがしょっちゅう!あれから10数年たつのに・・・・・・。はぁぁぁぁ。
でもしょげていても始まらないしね。気づかせてもらったこと、度々気付き直させてもらえていることに感謝~。自分ののびしろを信じよう。
トップ画像の「PAZ」はスペイン語で「PEACE、平和」という意味。手のひらの中のPAZにも、国境なく飛んでいける鳩の胸の中のPAZにもみえる。
私が暮らした町のカトリック教会に飾られているもの。