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平らかな重さの感覚

明治神宮の池。平らかな水面がひとつ方向に繰り返し押されていくのを眺めていたら亀の背中が見えた。左右の後ろ足をひょいひょい交互に伸ばしながら、亀甲模様を乗せた鋭角の小さな頭が動いていく。

亀は臆病だから頭手足を甲羅に引っ込めて身を衛るのだと、スタンダードな解釈をしていたけれどなんだか違うような気がしてきた。なぜなら、亀の甲羅は目立つ。着物や帯の柄にしたって、渋い地味色にしたって、亀甲柄はインパクトがある。ましてや自然の中にいきなり、幾何学的な六角形が現れたら、注目して欲しいと言わんばかりだ。亀が臆病な生き物なのだったら、あんな斬新な幾何学模様の繰り返しをなぜ選んだのか。甲羅に注目させて攻撃の的にさせておいて頭を衛るとのだとしても、目立つ模様を担ぐのはやっぱりおかしい。亀が硬い甲羅を持つのは防御のためだけではないと思った。

生まれたときから背負っている甲羅は、年齢とともにだんだんと重たくなっているのだろう。重たくなった分だけ、その重さを当たり前とする体に変化していくのだから、亀は背中が重いとか感じてはいないはずだ。

気がつかないほどゆっくりした平らかな変化は、変化したそのとき感じることはできないけれども、確かに積み重ねていければ、驚くほどの大きな変容として後に気がつく。わたしにとってはラージャ・ヨーガもそういうもの。

亀の人生は、甲羅の重さの分だけ強くなっているはずだ。

暗い沼底の方向へゆっくり消えていく亀の姿に臆病さはなかった。


※写真は八景島水族館のウミガメ


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