ワンネスなんか望むから逆に分離や闘いが生じちゃうのよ!🤪
お久しぶりです。マリ真理学のマリエ・セレスティーヌ・サイトウです。
なあんだ!ってことに気づいてしまいました。タイトルが結論なんですけれど、これは魂の大勘違いの案件です。
我々の魂は、大きな宇宙のエネルギープールの中から泡の様に生まれてきました。そして、この不自由な身体に宿り、地球上もしくは物質世界を経験しに来ています。たいていの人はブーブー文句言いながらも望んできたのだと思います。それが全くの偶然と思う方もいるかもしれませんが、それは、大いなる意志の一部分ですから、なるようになる、は、その様に志向しているということだからです。
これも仮説なので、そう思わないと思われる方はそれで良いと思います。どっちにしても、個人差はあれど、実際は本能的には死をなるべく避けようとしながら、そして周囲の人の死を悼みながら、生活していると思います。
その中で、多くの人が世の中が平和にならんものかとそれぞれのスタンスで望み、傷つきながら生きています。なんで魂はこんなにもそれをこの地球上に実現したいと思うのでしょうか。それは、もともと居たところが平和だったことを憶えているからです。そりゃそうです。宇宙、天国ですから。でも敢えてこの分離した世界にやってきて、それを憶えているからってここでその世界を創ろうとするって、矛盾してませんかね?
魂は、さみしい。孤独を感じがちです。そして、別れも嫌いでしょう。それは、もともとの世界、大いなるエネルギーからの分離も覚えているからです。それを母から生まれることで再体験し、そのさみしさはえも言えない、わたしたちの根底に染み付いているものです。
だから、人と人はどうやったら分かり合えるか、と言うことに心を砕き、そうできないことに傷つき、攻撃したり、コントロールしようとしたり、あきらめたりします。その極まったものが戦争や支配的社会構造です。
大いなる間違いの大元は、”分かり合える”ということが、”相手と同じ意見になる”と同義になってしまうことがです。人は、他の人の中に自分と同じ部分を見つけるととても嬉しくなるし、無意識でそれを探してしまいます。そして、自分と違うと思うと残念になり、自分が想定していないことやするべきではないと思うことをされるととても心乱されます。それは仲良くなりたい、うまくやりたい、愛し愛されたいと思うからではないでしょうか。それが一つになりたいと思うことと混同されています。
そこまで大袈裟じゃなくても人はいつも他人やシチュエーションに何らかの期待をしています。道ゆく人にだって、お互い平和に歩いていたいと思うことでしょう。だから、ぶつかったりするだけで、いろんな反応をします。それはとりもなおさず分離を再確認する出来事なのです。
いろんな軋轢を経験した時に、人はどちらが正しいか、瞬時に考え、大抵は自分が正しいと思い、相手を変えなければと考えます。変えられないと思うとあっちことに承認してもらおうと言って歩いたりします。
そこで、相手と自分は違うんだ、と思うことはできません。思ったところで、批判する気持ちまで払拭することはできないというのが現状でしょう。
そして、平和を望むのです。
何と言う矛盾でしょう。
「平和を望む」=「同じくなる」
無意識からくるこの公式を捨てない限り、逆に平和は来ないでしょう。
「みんな違ってみんな良い」というこの言葉ほど、絵に描いた餅状態になっている、もしくは自分の心の都合の良い時に使われている言葉はないです。
ほんとにこの言葉がみなさんの腑に落ち、実践できれば、世の中の諍いはほとんど消えるでしょう。世の中の支配構造もあらゆる概念を使って世界を一つにしようとして、そのために軋轢を利用している、と言っても過言ではないです。
とにかく、「平和=一つになる」と思っているうちは無理です。でもそれは魂の悲願だったりするところが厄介なところで、そこに気づくことが肝要だと思うのです。ワンネスこそが不和の原因なのです。
何かあっても、「ああちがうんだな」これだけでオッケーなんです。それ以上でもそれ以下でもない。
そして、外側の人の動向なんて本当はどうでもいいのです。自分が今何を感じているか、何をしたいかに集中していると外側のことなど気にする余裕はなくなるはずです。もちろん、外側のものに自分の内面を投影しているはずですから、そこから自分を探るというのも自分に集中の範疇です。
そして、ここでは個で活動しているので、魂がさみしがっているのも上に書いた通りです。でもいろんな人と仲良くしようと思わなくても、自分に集中して自分のしたいことをやっているとそこに必要な人がちゃんと現れ、いつの間に孤独ではなくなっていくのです。そのためには、もし家族が大事と思ったらまず大事にするべきですし、仕事や趣味が大事と思ったらそこに集中するだけです。
つまり、人といさかいが起きたら、まずは「違う」と思い、違うことを経験する毎に「これを経験するためにここに来たんだ」と思う。そしてそれ以上は何も思わない。自分が不都合を被るシチュエーションだったら、自分を説明する。それで、同じくなれなかったら別れても良いのです。批判しないことです。誰も間違っていないんです。言いたいことは言っても良いと思いますが、自分がどう感じたかいうだけで相手が間違っていることを認めさせようとするとたいてい平和からは遠ざかります。
つまり!
世の中に平和を望まなければ、自動的に平和になっちゃう
のがこの世の真理的法則なんです。
逆も真なりというよりは、逆が真だったワケですね💦
ま、押してもダメなら引いてみなって感じでしょう😆
YouTubeマリ真理学チャンネルの著作の動画が41本になりました。今、第三部【パートナーシップの意味】に入っています。
一本めは「恋に落ちる理由」
ぜひ観に来てくださいね!
あと、息子に対して追っていた
長年の罪悪感から解放されました。
その軌跡もどうぞ🥲
《体験レポート》障がい児への罪悪感から解放された話
https://youtu.be/nuLCIhZS7uM