ジルの信愛と執着の行き着く先は ー 穏やか貴族の休暇のすすめ。[リゼルというイデア]
2024年最初のnoteです。今年も変わらず推しマンガ・小説に関してアレコレ考えた結果をちまちま書いていこうと思っております。
新年一発目は、『穏やか貴族の休暇のすすめ。』にハマって以来ずーっとずーっと考え続けている、ジルがリゼルに向ける眼差しの正体(の一面)を掘り下げます。
※個人の主観です!!!
休暇。堕ちして初めて考えた難題
原作の岬先生は、「休暇。」が男性キャラばかりで、リゼルがとにかく大事にされるさまを「恋愛感情はない、濃い友愛」と記されています。
しかしジルとリゼルに限定するとき、正確にはジルがリゼルに向ける眼差しを読み解こうとするとき、筆者は常にこう思うのです――友情というには青臭さがなく、愛情というには崇高すぎる、と。
そう、本稿は過去稿「貴族と強者の親和性」にちらっと書いた、
これについてです。
ジルだけがリゼルを違う目で見ている(言い方)
ジルがリゼルに向ける眼差しの違い
公式のキャッチコピーに准ずるならば、リゼルは「総構われ主人公」です。それは間違いない。リゼルを取り巻くキャラクターの多くはおそらくジルと同じく、「リゼルが国王だろうが犯罪者だろうが」リゼルがリゼルである限り、評価を変えることはないでしょう。
ギリシャ哲学において、男女や年代など一切関係なく親愛の情を持つ状態を表す〝友愛〟。
「休暇。」世界においてフィリアで示すことができる範囲は、<リゼル>と<イレヴン・スタッド・ジャッジの年少組、レイ子爵・シャドウ伯爵の年長組>だと思います。
というのも、師匠ソクラテスのパイデラスティアを記録したプラトンの弟子(つまりソクラテスの孫弟子)アリストテレスは、フィリアの成立要因に「有用性」「快楽」「善」の3つを挙げました。また『ブリタニカ国際大百科事典』では、フィリアを「共通の価値や目標を核として成立し、法律的制約の介在する必要のない自発的相互的な親愛関係」と説明しています。
リゼルはとても誠実に彼らと接していますが、「優秀で、自分に対して誠実である」点を重視しており、また(イレヴン以外の)年少組と年長組はおしなべてリゼルの高貴と頭脳を崇め、年上の貴族階級はリゼルに侍ることこそ最も素晴らしい宮仕えだと夢に見、年下はリゼルに褒められて甘やかしてもらうことで自分の価値を実感しようとしています。「有用性」と「善」が入り混じったようなフィリアの形です。イレヴンに関しては「善」の代わりに「快楽」が入ってきます。
そんな中でたったひとり、ジルだけがこの枠にいません。
リゼルを崇め奉ったこともなければ、自分をリゼルの下に置いたこともありません。リゼルの存在を通じて自己超越という異次元に向かっている点は「有用性」由来のフィリアも感じますが、それ以前にジルは、リゼルと出会う前の生活ぶりや心境を思い出せなくなるほどリゼルに入れ込み、リゼルの隣に居ることに人生の価値すべてを置いているように見えるのです。これはリゼルにさえないものです。
孤高が竜として翔ぶ難しさゆえに
ジルは故郷の村で母親や祖父に愛され、同世代の友人に囲まれて、ごく普通の幼少期を送りました。そのおかげで情緒面に問題はなく、王都の女将にも「常識的」と思われています。
ところが、長らくソロ冒険者だったとはいえ人と関わって生きてきたはずなのに、まるでリゼルの出現までゴールドスリープしていたかのような印象なのが、ジルの半生です。
たびたび作中でネタにされる通り、ジルは幼馴染や周りの人達とは決定的に違う何か(体格や雰囲気)を抱えて育ちました。10歳頃に〝もう一つの実家〟たる侯爵家で剣を習い始めるや才能を開花させて兄をあっさり上回り、やがて老練の騎士たちさえ相手にならなくなる非凡な少年期。15歳頃に冒険者となれば瞬く間にソロBに駆け上がり、実力だけならSに匹敵するとの名声を得ながらも遠巻きにされる若者時代。
過去のジルがいきいきと描かれているのは、普通の人間なら一目散に逃げ出すような状況――侯爵家を出た直後の某Sランクとの手合わせと、飛竜戦くらいです。
思考、思想、感覚、果ては生活に至るまで何ひとつ、誰一人とさえ共感・共有をなし得なかったら、人はどうなるでしょうか?
ジル自身は普通にしているだけなのに、剣技も、冒険者としての素養や経験も、下りてくる大門を片腕で止められるほどのパワーも、この世界では当然とされる〝自分の魔力を動かすこと〟ができないのも、誰も理解できない。説明したところで分かり合えない。おまけに自身を深く知られれば、あるいはAランク以上になってしまえば、パルテダール王国の侯爵家の血筋が露見しかねない息苦しさ。それは孤高であり孤独。
〝一刀の武勇伝〟は、同じ目の高さの者が周りに存在しなかった証左です。
ところが、理由は違えど自分と同様に〝他者との対等や共感〟を望めなかったであろうリゼルは、しかしそれに拘泥せず自らの地位と身分を甘受し、界渡りという異常事態に陥っても持てる全てを活かして休暇を謳歌します。さらにリゼルは、ジルを「上下関係の一切絡まない盟友であると同時に、圧倒的で特別な存在」と位置づけ、常に高みに置き、憧れを示し続けました。ジルがAになろうが侯爵家との関係がどうなろうがリゼルには何ら関係ないにも拘らず、です。
ジルにとってリゼルは、違う階段を上りながらも横を向けば目線が合う〝選ぶに足る唯一人〟です。その稀有さと、向けられる無償の善を感覚で理解したからこそ、ジルは精神的な意味合いで〝リゼルの騎士〟として信愛の誓いを示し、唯一無二の存在に据えたのでしょう。
愛は"己の精神性の追求"に行き着く
プラトンの説いたイデアの正体
ジルがリゼルをなぜ唯一無二の存在に据え、全力で守るのかはひとつの推論が立ちました。では、そのジルの眼差しが「友情というには青臭さがなく、愛情というには崇高すぎる」という点はどうでしょうか?
古代ギリシアの哲学の話でよく耳目に触れるのが、プラトンが提唱したイデアという概念です。ギリシア語で"姿"を意味し、転じて哲学では「心の目で見る本質」であるとか、「究極の理想の定義」であるとか、果ては「善そのもの」とさえ言われます。とかく人間のイデアに関しては何を読んでも非常に難解です。
ここでまたプラトンの師ソクラテスが登場します。ソクラテスは「完璧な善(イデア)を目指すことが人間の進むべき正しい道」と弁論家ゴルギアスとの対話で語ったとされます。いわば「理想の追求」ですよね。
そんな中、筆者が目を通した論文やコラムの中で最もわかりやすかった人間のイデアの解説は「対象を対象たらしめている根拠であり本質、真の存在」、「性格というより人格そのもの」というものでしょうか。
これをジルに置き換えると、「ジルという絶対強者の魂と力を解放し、竜たらしめるリゼルの人格」となります。ここで重要なのは先述の通り、リゼルがジルに齎すものが有用さ(リゼルにとっての利)など一切含めずにジルを高みに導こうとする点。それこそ善のイデアと呼ぶに相応しい状態であることです。
しかしジルはリゼルに執着すれども独占欲はありません。大人が他者に独占欲を抱くときは往々にして性愛の苦悩を伴いますが、ジルにあるのは、エルフとの思い出をレイ子爵に語った日の帰り道に独白したように、「リゼルに独占される欲」です。
大侵攻が始まる直前、ジルは「もし(リゼルが迷宮で得た)地図に記されているのが帰り道だったのなら…」とは懊悩しましたが、それは独占欲ではなく、リゼルが帰ってしまう、執着しようのない未来への恐怖です。
もしジルがリゼルに対して独占欲を持っていたら、リゼルが「俺の一番大切な人」と表する陛下の存在を受容することはできないでしょう。岬先生がおっしゃるように「男ばかりの友愛。濃い友情。恋愛感情はないからBLじゃない」という原則が揺らぎ、リゼルと陛下の関係性(概念)にジルが口を挟むことになってしまいます。
しかしジル(イレヴンも)は、リゼルの故国や陛下の話を面白がって聞いている節さえあります。
リゼルが誰のものであろうが、リゼルが自分に齎す価値は揺らがない。リゼルに独占されることを受容する限り、ジルのイデアは手元にある。
孤高がイデアに巡り合ったがゆえの崇高さ、ということではないでしょうか。
さて、リゼルはジルの隣に立つことを望みながら、唯一無二の価値とはしません。ジルはリゼルが望めば一も二もなく今の世界を捨てるでしょうが、どんなに自由に休暇を謳歌していても、リゼルはあくまでも故国の公爵であり宰相であり、陛下がその座におわすかぎり国を捨てることなどしないでしょう。
特別と唯一無二、この違いは大きく、ジルがリゼルに向ける眼差しがリゼルにはないのもここに理由があるように思います。
これはまた、別の機会に。
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