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ハナちゃん ハワイへ行く 〜私の婚活漂流記〜 ⛵️#5

⛵️Sailing 5: ハナちゃん  大海原で未来の夫と
やっと巡り会う


国際結婚、アリかナシか❓

40歳の秋に夫と出会った。帰国する5ヶ月前のことだ。

私は留学中、コミュニケーションの大切さをひしひしと感じるようになった。
自分なりに英語の勉強をがんばってはいたものの、思ったようにはなかなか上達しない。今まであたりまえだと思っていた、自由に意思疎通できることのありがたさを痛感した。
だからもし人生のパートナーと巡り会えるのならば、やっぱり意思疎通がきちんとできる日本人がいいなと思っていた。

実際、国際結婚をしても、意思疎通ができずに悩んでいたり、離婚してしまった
ケースを何組か知っている。
不倫をしたり、されたりして、悩んでいるケースも知っている。

恋愛当初は多少意思疎通ができなくても、ラブラブパワーでなんとかなる。
でも結婚となると、話は別だ。

私の出会った人はアメリカ人。彼は日本語がペラペラだった。

留学して最初の1ヶ月間だけ通っていた語学学校がある。そこで知り合ったサオリさんからの紹介だ。
今から思えば、最初の1ヶ月間だけそこに通っていなければ、私はサオリさんとは出会っておらず、もちろん夫とも出会っていないはずなので、人生は不思議だなぁと思う。


人と人の相性の不思議👥

私は夫と出会った頃、帰国日がだんだんと迫ってくるようになり、あせっていた。
『もっと英語が話せるように、がんばらないと!でもそのためにはどうしたらいいんだろう?』
『今よりもさらに英語を話す機会を作らなきゃ!』

そこで、顔の広いサオリさんに、誰か話し相手になってくれそうなアメリカ人がいないか聞いてみたのである。

サオリさんは考え込みながら、こう言った。
「う〜ん。ひとり思いつく人がいるけど、性格暗いよ〜!絶対にハナとは性格合わないよ。むずかしそうな哲学的な話をよくしている人」

私は、性格が暗くても英語の話し相手になってくれたらそれでいいやと思い、会わせてくれるようにお願いした。

人の相性って面白い。
サオリさんの予想に反して、私は会った瞬間、握手をする彼の笑顔を見ながら、『あ、なんかこの人とうまくいくかも』と思ったのだから。


意志あるところに道は拓ける?🎆

ハワイ大学の近くにあるレストランで、サオリさんと彼と待ち合わせした。

初対面の彼は汗まみれ。なんと1時間以上もかけて自転車でレストランまでやって来たと言う。
インドア派の彼にそんなことをさせてしまうなんて、ハワイパワーはやっぱりすごいな、と今になって思う。

彼は汗を気にして手のひらをハンカチでふいている。それから笑顔で握手した。

レストランは日本人が経営していて、焼き鳥が有名だ。
久しぶりにおいしい焼き鳥が食べられるとあって、私はルンルンだった。

話しているうちに、彼は日本オタクだということが分かってきた。
日本文化が大好きで、特に茶道が大好き。
なんとお師匠さんのもとで住み込みで学び、師範免許まで持っているという。
茶道にはじまり、陶芸や和菓子作りも好きなのだそうだ。
私よりもずっと日本文化に精通していた。
サオリさんも茶道をされていて、2人は茶道仲間らしい。

彼とは映画の話で盛り上がり、お互いに『007』が好きなことが判明した。
私はダニエル・クレイグが大好きだ。
彼は世界一、クールでプロフェッショナルな俳優だと思う。

ちょうどその頃、007の新作映画が公開される時期で、自然と映画館へ見に行く約束をした。それが彼とのはじまりだった。

ところがなぜか最初のデートは映画ではなく、ドライブだった。
彼から、車を数日間借りられることになったから、どこかにドライブに行こう、と連絡があったのだ。

私のハワイでの移動手段は、もっぱら徒歩や自転車、市バス。私は日本にいた頃から車の運転が得意ではなかった。
ハワイでは日本と反対の右車線を走らなければならない。考えただけでも恐ろしくて、運転してみようとさえ思わなかった。

だから、車でドライブができるなんてラッキー!とウキウキで出かけることにした。行き先はノースショア。浜辺でウミガメを見たり、ガーリックシュリンプを食べたり、楽しかったなぁ。

夜に帰宅した時のこと。私の住むコンドミニアムの玄関前には、車を一時停車して乗り降りできるようにアプローチがあった。

私たちはコンドミニアムに到着して、彼がアプローチに車を停車してくれた。
するとその瞬間、まるで私たちを待っていてくれたかのように、遠くで打ち上げ花火が上がったのだ。花火はとてもキレイで、終わるまで車の中からふたりで眺めていた。

私は内心、ビックリしていた。
なんてタイミングがいいんだろう。
まるで私たちを祝福してくれているみたい。

その後、自分の部屋に帰宅してから、私は思った。
『これはきっと、おじいちゃんのしわざにちがいない。恋愛に鈍感な私に、彼こそが運命の人だよって、花火で知らせてくれているんだ!』

留学前に学生時代の友人が、『おじいさんが私をハワイに呼んでいる』と言っていたのを思い出した。

今から思えば、彼は運命の人だったのかもしれないし、そうではなかったのかもしれない。でも単純な私は、すっかりそう思うようになった。
真実は誰にも分からないけれど、要するに、思いこめばいいのである。
かの有名なリンカーンも、「意志あるところに道は拓ける」と言っているじゃないか。人間、信じることが大切なのである。

私が帰国するまでの間、ふたりで色々な場所に行った。実際に会えたのは3ヶ月ほどだった。彼が年末年始は日本でのお茶事があって、帰国したためだ。

私たちのお気に入りの場所はカピオラニ公園やダウンタウンにある州立図書館、ホノルル美術館など。2人とも車を持っていなかったので、よく散歩した。

ビーチにも行った。
私はそれまで、せっかくハワイにいるのに、数えるほどしかビーチで泳いでいなかった。住んでいると、意外に行かないものである。
家から遠かったし。

海辺の芝生に座ってのんびりと過ごすのは最高に気持ちがよかった。
波の音と風が心地いい。
彼のおかげで私の行動範囲が広がった。
やっぱり、1人よりも2人の方が楽しいなぁ。

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白いテディベア🧳

子どもじみているかもしれないが、私は日本からハワイに、お気に入りのテディベアを持参していた。
その白いふわふわのテディベアは、祖父が生前、かわいいからと、祖母の誕生日にプレゼントしたものだ。80代になってからも、こんなプレゼントをあげるなんて、なんて素敵な夫婦なんだろうと思った。私は祖母がうらやましかった。

そしてふたりが他界したあと、遺品としてもらった。
大切な祖父母の思い出の品だ。
海外でひとり暮らしをすることに不安を感じていた私は、わざわざ日本からスーツケースに入れて持って行き、毎晩一緒に寝ていた。なんだか安心するのだ。

ある日、彼が突然、部屋にあそびに来ることになった。
私はゴチャゴチャした部屋をササッと片付けたが、テディベアを隠すのをすっかり忘れていた。
私は内心、『あ〜あ。バカにされるかな』と思ったのだが、彼はこう言ってくれた。

「子どもの頃に大好きだったぬいぐるみがあったけど、お母さんに知らない間に捨てられた。いつまでも一緒に寝るのはおかしいって。あの時はショックだったな。大人になっても、一緒に寝てもべつにいいんじゃない。大事なんでしょ。無理やりに手離すのはおかしいよ」

私はこの時に、なんだかよく分からないが、この人はいい人だなと思った。
この人となら着飾らずに安心して、ずっと一緒にいられるような気がした。

余談だが、そのテディベアは、今はマリリンのベッドサイドに置いてある。
マリリンは高齢出産で生まれたので、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんに会うことができなかった。生まれた時には、もうとっくに他界していた。

でもきっと、テディベアがかわりにマリリンを守ってくれるにちがいない。
そうだよね、天国のおじいちゃん、おばあちゃん。


信じるか信じないかは、あなた次第⁉️

留学中、日本にいる家族に親戚間のトラブルが発生し、私も巻き込まれてしまった。当時は、その後5年間も裁判がつづくなんて予想もしていなかった。
人生最悪の出来事だ。

悩んだ私はハワイ通のヨウコさんに相談してみることにした。すると彼女は予想外のことを話しはじめた。

「私のホストマザーから教えてもらったんだけど、すっごくあたるサイキックの人がいるから、その人に相談してみたら?
私はもともとそういう怪しい話は信じないタイプだけど、その人は別。
ホストマザーにすすめられて見てもらったら、父親が病気で亡くなったこととか、父親の癖、私が手術した場所もピタリと当てられて、本当にびっくりしたよ。
彼女には手術した場所が光って見えるんだって。鳥肌が立ったよ!」

ヨウコさんは、日本ではバリバリのキャリアウーマンだった人なので、非現実的な答えに私はかなり驚いた。

なんでも、その人は観光客を相手に商売でやっているのではなく、親しい人や紹介された人しか相談にのらないらしい。

「え〜?ほんまに?」
と、最初のうちは半信半疑だった私だが、だんだんと『手術をした場所がピカっと光って見えるなんて、どういうこと?』と思ったりして、いつのまにか
「行く行くー!」
と興奮して連絡先を教えてもらった。
なんて単純な私なんだろう。オホホ。

家に帰ってからふと我にかえった私は、『ところでサイキックって何?』と思い、調べてみた。
『サイキック/超能力者、超自然的な様子』
ふむふむ。なんだかよく分からないけど、面白そう。
興味半分で早速連絡を取ってみる。彼女の自宅で会うことになった。

当日、教えてもらった住所へバスで向かった。バスはにぎやかな街中からどんどん遠ざかり、山に囲まれた緑豊かな地域へと進んで行った。空気がとても澄んでいる。家がポツンポツンと建っていて、私は教えてもらった住所を探した。

あった!普通の一軒家だ。
もっと怪しそうな建物を想像していたので、ちょっと拍子抜け。

彼女の名前はエマさん(仮名)。笑顔の素敵な女性で、パートナーと一緒に住んでいた。普通の人のように見える。
ホンマにサイキックの人なのかなぁ。

サイキックの方法はこうだ。まず名前を言う。彼女が1分くらい目を閉じて集中し、私の手のひらを見せる。たったそれだけ。占いのように生年月日を言ったりはしない。
私は『え?』と思った。本当にこれだけ?大丈夫?

エマさんは目を開けると、色々と話しはじめた。

「あなたは、2年の予定でハワイに来ているでしょ?もうすでに1年は終わったから、あと1年ハワイにいますね。あなたはハワイがとても好きで、大学を卒業した後にハワイのどこかの島に何度か旅行に来ています」

あたっている・・・。鳥肌が立った。ヨウコさんの言ったとおりだ。
驚いて、どうして分かったのか聞いてみた。
なんでも、彼女の頭の中に映像が流れてくるらしい。
不思議。

私は本題に入った。親戚間でトラブルが起きてしまい、相談したくて来たことを伝えた。彼女は、私が何も言っていないのに、顔をしかめてこう続けた。

「あなたの親戚のMは強欲な人でしょ?心の中は真っ黒です。私は彼を好きではないわ」
「悪いニュースかもしれないけど、彼は近い将来大きな病気になる」

そう言いながら、このあたりだと体のある部分を指して教えてくれた。
これは5年後に私は知るのだが、本当にそうなってしまった。
体の部分もドンピシャリだった。

「おじいさんはシルバーグレイの髪で、長さは耳の下ぐらいでしょ?あなたの側にいますよ。おじいさんはいつもあなたを見守ってくれています。悩んだら、自分の心に聞いてみなさい。あなたは心の中ではどうしたらいいのか、分かっているはずです。おじいさんは時々あなたの耳元でささやいてくれているんですよ。ハワイに来られたのも、おじいさんのおかげです」

いつのまにか涙があふれた。私は祖父がとても好きだったのでうれしかった。
大学時代の友人に、留学前に言われたことと同じことを言われた。
やっぱりハワイに来られたのは、祖父が導いてくれたのだ。

本当にこんな能力のある人がこの世に存在するんだなぁ。
鳥肌が何度もたった。
ここにすべてのことは書けないし、今から思えば全部あたっていたわけではない。はずれていたこともたくさんある。
エマさん曰く、未来を見るよりも過去を見る方が簡単なのだそうだ。
未来は常に変化するから。

結果云々よりも、この時の私は彼女にとても救われたし、勇気づけられた。
アメリカでは精神科にカウンセリングに行くことは一般的なことだが、日本ではそうではない。サイキックと聞いて、怪訝な顔をする人がいるのは分かっているが、私にはカウンセリングのような印象を受けた。
実際、彼女は普段はカウンセラーとして働いているそうだ。

私のトラブルの話を書いてもきっと面白くないので、恋愛について聞いた話を書こうと思う。

エマさんには、
「7月から10月の間に2人の男性と出会って、あなたはどちらかの人を選びます。その人は日本と深いつながりがあって、何かのスペシャリストです。
その人は日本人のようにも見えるし、そうでないようにも見えるけど、あなたとは日本語で会話していますね。そして1年以内に結婚します」
と言われた。

その時はまだ夫と出会ってもいなかったのだが、1年以内に結婚すると言われて驚いた。なんて急展開なんだ!
ホンマかいな?と思っていたが、本当にそのとおりになってしまったのである。

「あなたは帰国してから1年以内に、再びハワイを訪れます。何かやり残したことをするためです」
私は一体何をやり残しているんだろうと思ったが、これも当たっていた。

帰国してからも驚いたことがあった。帰国して4年目のことだ。
私は裁判や不妊治療などで、精神的にとても落ちこんでいた。
ふと、『あぁ、これがハワイだったら、エマさんに話を聞いてもらえるのに。また会いたいなぁ』と思った。

すると、なんと翌日、彼女からメールが届いたのだ。私は久しぶりに鳥肌がたった。メールには、私からのメッセージが遠くハワイまで届いたと書かれてあった。いや〜ビックリ。こんな不思議なことってあるんだねぇ。

私が事情を説明すると、彼女はとてもていねいに彼女自身の不妊治療の経験などを教えてくれ、私を励ましてくれた。本当にカウンセラーだ。

もしかしたら、彼女を思い出しながらこれを書いている今も、届いているかもしれない。ハワイは本当に不思議な場所だ。


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