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ひきこもり日記*いつもの言葉とこころの中の深掘り

人生の折り返しの地点を過ぎ、じぶんの経歴を見渡してみて、無駄なことはないと思うけれど、レイキヒーリング・アロマセラピスト・タロットリーディング・手作り石鹸職人…などなどのお金も時間もそれなりにかけたものたちが(それがお金になって帰ってきてはいない)、今のわたしを形作っていて、悩んだ時にこころの声なのか、頭で考えたことなのか、わからない自分の声に悩まされる。
本を読んでいても目に入ってくる情報は、じぶんのこれまでとこれからの指示書だと思っているので、感情が揺れた言葉は今のわたしに必要な言葉だとわかってはいるけれど、それをどうじぶんの中で深掘りして、落とし込んで行動するのかがわからなくて、あたまでっかちになっているみたいで焦る気持ちやら、はやる気持ちやら「よーいどん」って言われる前の「よーい」って聞こえた段階で足踏みしてるみたいだ。

今わたしはどこにも所属してなくて、強いて言うなら苗字という社会でいうところの戸籍にだけ所属している。どこかに所属して肩書きをつくって、それが仕事であれ学校であれ、身分証明書になるような社員証を首からかけるような、そんな場所を探してるのかとじぶんに問う。職業欄に「主婦」と書くことがものすごくいやで、「無職」でいいしむしろ「ひきこもり」と書く方がわたしらしいと開き直ってみても、社会や親から見れば、家にいて家事もそこそこに酒を飲んでいるただのおばさんだ。

「既婚」が嫌なら離婚して「未婚」になれば自由になれるのか、そんなじぶんを想像しても楽しい気分になれなくて、なりたいじぶんってどんなじぶんだろうと、ブックオフの100円コーナーの文庫本をタイトルが目に入ったものを5冊、ものの5分で選んでカフェへ行って読んでみる。瀬戸内寂聴さんは「孤独を感じない人は、真に人を愛せない人」だと言う。なるほどわたしは誰かを愛せる人なんだと思えただけで、じぶんを許して生きていける気がする。

お酒を飲む前に作ったスープの味が足りない気がして、ビールを1本飲んだ後、塩を入れて味見もしないで同居人に出した。翌朝、残ったスープを恐る恐る飲んでみたら、塩辛くなくて、いい塩梅あんばいってどんなものだろうと思う。
今日はいつもぶつぶつ切ってしまう文章をつなげて、だらだらと書いてみた。1月だというのにあたたかくて汗までかいて、眠れなくて、そんなわたしは足踏みしながら、孤独とは親友だから焦らずじぶんの声と向き合おうと、塩加減を気にしながら、こころスープをつくる。
いい塩梅あんばいってなんだ?




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PONO@こもりびと
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