ひきこもり日記*バブル時代の狂乱とその後の今を生きる
バブルの時代のことを書こうと思ったら、楽しくなくなってしまって書くのが止まってしまいました。
きらきらしてた反面、闇を味わったこと書きたかったんですが、闇ばかり?(汗)同世代の方、悪意はありません。むしろ敬意を込めて。
この注意書きと最後のしめをつけて公開します。
◆あのころの狂乱
バブル景気と言われたあの頃…1986年(昭和61年)から1991年(平成3年)ごろのことをそう呼んでいる。
街の中はキラキラしてて、ディスコでワンレンでボディコンな服を着てお立ち台でセンスを振りまわし、ドンペリを開けて大騒ぎ。
ボーナスは女子で入社2〜3年でも100万円を超え、男子はロレックスを毎日変えて高級車を乗り回していた。
あのころは確かに楽しかった。
なんでもできる気がした。
でもその好景気の最中に”バブル”だとは誰も呼ばなかった…バブルは英語で「泡、あぶく」の意味、つまり消えていくものだとは思わなかったのだ。
自由なことをやれる時期で、会社で失敗してもなんとかなる…ぐらいの楽観的な考えで、たとえは悪いがギャンブルのような仕事ができた時代だった。
それは消えてしまった。
計画性を求められ、丁寧にシュミレーションして緻密に動くことが要求される。
◆バブル世代は嫌われる
あの頃浮かれていた人たちは、今の時代に嫌われている。
プライドが高い。以前はこうしたら成功した。こうやったら成功するだろうというなんの根拠もない経験値だけで思考する。
草食なその後のゆとり世代の人たちが第1線で活躍し、バブル世代はやっかいな世代として生き残る。
バブル世代が嫌われるようになったプライド…これには理由がある。
バブル世代は、本物を見極める目があると信じているからだ。
携帯もインターネットもない時代、電話で連絡をとっても話し中は何度もかけ直し、出かけて話をしたとしても、不在や会いたくないと言われれば待つしかないという連絡方法。
郵便物で書類をやりとりし、ラブレターというものが普通に存在した。
友だちや恋人と待ち合わせは、相手が来るまで何時間でも待った。
待つしかなかった。相手を信じるしかなかった。
女は自分を知的で美しく見える方法を独自で考え、本物であることを考える。
男は目のこえた女をつかまえるため、狩人になり本物であろうとした。
あのころはいいものを持つ、という感覚を味わうことができた。
それは戦後の親たちが作り上げてきた社会で生きることが窮屈で、自由に選べる権利があることをわかっていたから。
本物を知っているからこそ、自由に選べることをわかっていながら、いまプライドが邪魔をする。
自己コントロールがうまくできない。
失敗してもなんとかなるさと流される。ど根性でなんとかなる、とか。
あのころの狂乱を味わったからこそできることだってあるし、その後のつらい経験もわりと味わった。なのに「努力してないわけじゃない!しっかり働いてるじゃないか」と主張して煙たがられる。
素直に今を受け止めようよ。わたし。
あのころはあのころのいいことがあって、今はいまのいいところを存分に味わえてるじゃない。
いまを楽むことを節約して未来に投資?
あのころは素直にバブルを楽しんでたじゃないの…。
今はカッコつけることをダサいと言われてしまうかもしれないけど、美学があるんだからそこはオトナとしてカッコつけてもいいじゃん。
◆おわりに
いまを生きてる若い人も、そうでない人も。
結局、どんな世代も、悲しいのは変わりないんだなあと思う。
コロナで普通じゃない今も、バブルを味わったあのころも、悲しいしつらいし、でもいいところもある。
お互いがお互いを認めていれば、生きづらくなくなると思う。
だからこそ相手の立場…相手の視点でモノゴトを見る目を持ちたい。
妥協とか我慢じゃない。
ただただその人をわかろうとする心があれば、いいんだと思う。
現実にふりまわされてじぶんのこころを見失わないように、いまを楽しんで不安も冷静に見つめて解決策を考えよ。
だいじょうぶ。なんとかなる(これはたぶんあのころの思考)