【映画感想】ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ 凄い良かった!
■凄い良かった!
悲しくって楽しくて嬉しくて泣いてしまよね。
■ジョーカーを憎しみ
暴言で誹謗中傷して
殴り殺そうとしている
ごく普通の一般人も、
彼を信奉して
社会を破壊したい人も
あまねく全てを許さないジョーカー。
そしてそんな人達によって
アーサーは完全に殺された。
■いいよねー、
お前のことを理解してくれる人は
世界にひとりも居ないって言われるの。
■誰も、誰一人として彼を助けない。
それはつまりこの映画を観ているあなたもそうだ。
彼を見殺しにする。
それどころか殺人に加担している。
世界中の人、全てが人殺しなのである。
■誰も、誰一人として彼の本当の姿を見ようとはしない。
社会的弱者として姿は全ての人が見て見ぬふりをする。
もしくは型通りの形に押し込めて納得するし。
悪のカリスマとしてジョーカーは
各自の思想にとって都合の良い利用できる存在でしかない。
皆、彼自身には何も興味がないのだ。
■彼に向かって
「君は人の気持ちを考えた方がいい」
なんてことを言うのだが。
彼の気持ちを考えてくれる人はひとりも居ない。
殺人鬼なんて恐ろしい者は人間ではない。
だからそんな者の気持ちなんて考える必要がない。
そんな理屈でどんどん人間でない者を増やしていく。
■誰も、誰一人として彼のことを考えてはくれない。
一見、助けてくれるような弁護士も
裁判に勝つ方法を教えてくれるだけで、
本当の彼がアーサーなのかジョーカーなのか、
そんなことには全く興味がない。
彼自身に対して何も興味がない。
精神異常者のフリをした方が裁判に勝てるよ、
と言うだけだ。
■そんな世界だぜ?
歌わずにいられるか。
心の中だけは自由だ。
自分の気持ちを歌に込めて
伸び伸びと声高らかに歌おう。
愛の歌を歌おう。
お前を愛してくれる人は
この世にひとりも居ないのだとしてもだ。
■ジョーカーみたいなの
昔ならば悪魔憑き。
日本ならば狐憑きとして。
彼は悪魔に取り憑かれて
こんな悪いことをしてしまったのだ。
だから本当の彼自身は救いようがあるはずだ。
悪魔を祓えたのならば、
罪を認め、悔い改め。
また皆で暮らしていきましょう。
と、なるはずなのだが。
■もうこの世の中では
一旦罪を犯した者は永遠に許されない。
もはや許されないどころか。
自分達に害を成すような悪は
その芽が出る前に摘んでしまおう。
みたいな考えさえ充満している。
■そしてよく考えると。
このジョーカーの街、
バットマンの街でもあるわけで。
あの悪名高き、巨悪のはびこる
犯罪の坩堝「ゴッサムシティ」なんですよね。
■バットマンが悪をバンバン倒すための
作劇上、悪が無限に湧き出てくる街なわけですよ。
水戸黄門が各国を行脚してその地方地方の悪を成敗する感じね。
悪がたくさん居て便利。
そのとんでもない犯罪都市
ゴッサムシティなんですが。
なんだかもう現代の現実の街が、それと変わらなくなって来てるんですよね。
日本とゴッサムシティの違いがもはや無いのです。
設定としては1970年代あたりなのかしら?
そのころに描いた架空の犯罪都市が
今、現実の世界中の都市の有様になっている。
恐ろしい話ですよ。
■でも私は思うんですよ。
世界中の人々が殺したのはアーサーであって。
世界中の人々が生み出したのがジョーカーであると。
彼は本当に死んだんでしょうかね?
そこは明確に描かれていませんでしょう?
あれは世界中の人々が集団で撲殺し、完全に殺した後。
誕生したんじゃ無いでしょうか?
■そして誕生したジョーカーは
ハーレークイーンのことを愛してはいないんでしょうね。
悲しいですよね。
でも、世界中の皆でアーサーのこと殺したんだから
仕方のないことなんですよ。
世界中の人で寄ってたかって
愛を殺したんですから。
皆、それに無自覚ってのが
笑っちゃいますよね。
コメディですよね。
悲劇ですわ!喜劇ですわ!
ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ
追記:私はジョーカーの1作目は嫌いだったんですよね。
ジョーカーはもっとカッコいい悪のはずだ!と
完全にジョーカーの信奉者のスタイルですよね。
そうなんですよね。
実は2作ともジョーカーの話ではなく。
アーサーの話だったのですよね。
社会的弱者に心を寄せる人と
それを打ち壊す革命家を待ち望む人
そのどちらもが自分に都合の良い彼であって欲しいというね。
彼の気持ちは置き去りにしたまま。
そうなんだよねー、
今、現代全ての人は自分を守るために
他人の愛を壊して回っているのですよ。
極楽京都日記: 【映画感想】ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ
ジョーカー(字幕版)