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受け入れるということ

まずは御礼

山田ジャパン公演「大渋滞 2024」
9月29日をもって全公演が無事終演し、配信での視聴も10月6日に終了となりました。

ご来場くださった皆さん、配信でご覧いただいた皆さん、そして応援して下さった皆さん、公演に関わって下さったすべての皆さん、本当にありがとうございました。

わたしの友人、知人からもすこぶる好評で「あっという間の2時間だった」「今まで観た公演の中で一番好き!」など嬉しい言葉をたくさん頂きました。改めて、幸せな環境にいるのだなぁとしみじみ感じています。

今回の公演はわたしにとって、少し特別なものでありました。
記事のタイトルにあるように、自分に関わる色んなモノ・コトを「受け入れ」られたことで、自身の成長を感じられた公演だったのです。

受け入れ その1「できない」

稽古がスタートしたのは8月下旬。
本読み(台本)をしてから、立ち稽古。

立ち稽古、2回目くらいの時。
それが、信じられないくらいできなくて、愕然としてしまった。

「できない」という表現は説明が難しい。2回目なのだからできないのは仕方ない部分もある(すぐできる方も山のようにいる)。
だからもう少し補足すると、「自分が思ってるより、圧倒的にできていない」という現実が襲いかかってきたのだ。

自分が「できる」とはもちろん思っていない。むしろ、できない。だけど自分が”このくらいは”できるだろう、と考えていたイメージととてつもなく乖離したものがそこにあった。

それは誰かにそう言われて、或いは何かしらの指摘をされて、その事実を突きつけられたのではなく、自分自身で”気付いて”しまったのである。演じながら、わたしは何をやっているんだろう、とさえ思った。

できない自分でも、わたしなりに積んできた”経験”があって、それに”自信”というコーティングをして、これまでやってきた。
だけどその経験は砂山のように脆くて、自信は泡のようにすぐに破れてしまうものだった。

何で今まで気付けなかった?
いや本当は気付いていたけど、見ないフリをしていたのかもしれない。向き合わなかったのかもしれない。

だけどその気付きは立ち直れないほどの絶望をもたらしたかというとそうではなく、逆に自分のできなさを受け入れられたことで驚くほどの活力が湧いてきた。

どんなダメ出し(演出家からの指摘や修正のこと。今はノートと呼ばれることが多い)も吸収しようと必死だった。自分に対してのものだけでなく、他の演者が言われていることも今まで以上に大切に聞いた。

そうすると稽古が楽しくなった。正直、そう思えないこともこれまでには多々あった。できないことがツラかった。そしてそれをダメ出しされることは文字通り「ダメ」なことなんだと思ってしまっていた。

でもそうじゃない。

できないから、できるようになるために稽古をする。
ただそれだけのこと。
できないなら、できるようになるためにやるしかない。

そう。やるしかない。

できないことを受け入れたことで腹を括れたのかもしれない。

受け入れ その2「キャパシティ」

劇団で芝居をしている以上、劇団員としての仕事が大小たくさんある。みんなで分担して作業し、稽古や公演が潤滑に進むように努める。

わたしは演出助手という役割をしているのだが、主な業務としてはスケジュール管理、ゲストやスタッフさんとのやりとり、演出家のサポートなど。
本来の演出助手はもっとたくさんの作業を担うが、わたしは出演もするため(という言い訳)、おそらく本来の5分の1くらいしか(いやもっと⁇)機能していないと思う。

それでも、稽古に支障が出ないよう、できる限り頑張る。そう、頑張る。
”頑張る=できている”ではない。頑張ったって、求められるレベルではできていないことも多々ある。

今まで、できなくても頑張る、無理してもやる、という選択をしていた。
だが今回は「できないならできないと言う」「誰かに頼る」という方法を選ぶようにした。

その一番の理由は心身ともに自分を守るためである。

頼ること、誰かに任せることは、無責任とか中途半端とかいう見方もあるだろう。だけど、頑張りが効かない時だってあるし、どうしても嫌で仕方なくなることも、逃げ出したくなることもある。

いつも120%で頑張れるほど自分は強くないということ、そこまでわたしのキャパシティは広くないということを面と向かって認めた。

ほとんどのことが自分じゃなくてもできるし、むしろ任せた方が効率がいいことだってある。頑張っている自分という姿に自己満足している節もあったと思う。

自分のキャパシティを受け入れられたことは今思うととても重要だった。

そのキャパシティは随時変化していくものだと思う。ある分野においては広がったり、また別の分野では狭くなったり。自分のキャパシティを決めつけずに、常に感じられるようにしなくてはいけない。

プライドは必要か

こうやって受け入れられたコトを書き連ねていると、自分はなんとプライドの高い、でも中身の伴わない人間なんだ、と思う。どうしてこんなにも、あらゆる「できない」ことと向き合ってこなかったのだ、と。

でも知っていた。自分がプライドが高いということは。
プライドが高いと認識した上で、自分のできないことは多々あると頭では理解していた。

でも本当の意味での理解ではなかったのかもしれない。

「できない」けれど「本当はできる」

この思いもかなり含まれていたのだと今は思う。
だけど稽古の序盤に「マジでできない」と完膚なきまでに突きつけられたからこそ、しかもそれは自分で気付くことできたのが、何よりも大きかった。

恥ずかしながら、それが事実に違いない。

だけどわたしはプライドが高いこと全てを否定的に考えてはいない。

プライドがあったからこそ頑張れたことも、乗り越えられたこともある。ここまで続けてこられたのも、プライドあってこそだと思える。自分が培ったものに対しての、誇りは、少なからずある。ないとダメだとも思う。

ただ、プライドは高くなくていいか。少しあれば。
スパイスのように少しピリリと、隠し味のようにほんのり感じる程度で。

受け入れても、まだ足りない

色んなものを受け入れて、稽古は楽しくなったし、前向きに取り組めたけれど、もちろんしんどい時もあった。相変わらずできないことは多かったし、できるように取り組んでも結果がでないことがほとんどだった。

先輩方やゲストさんはどんどん役をモノにしていくし、演出の山田さんと共に面白いシーンやグッとくるシーンをつくり上げていく。しかもわたしからすると、それをいとも簡単にやりおおせているように見える。

自分は最低ラインのものすら生み出せていないのだという不安に押しつぶされそうになる。それでも山田さんは向き合って、根気強く演出して稽古して下さる。応えたいけど、圧倒的に足りない。

「ツラさ」が「楽しさ」を凌駕してくることも増え、気持ちが滅入り、疲労も溜まり、作業も進まず、泣けてきた夜もあった。

でもやるしかない。
つまりそれは再び、できない自分と向き合うこと。

撮影した稽古動画を見て、自分の動きや表情を確認することは、できない自分と向き合える最高で最悪の方法。客観的に自分を見るのは正直、ツライが99%だけど、得られるものが280%くらいある。

全体がドタバタと盛り上がるシーンで、自分では大きく動いているつもりだったけれど、中途半端な動きをしているように見えた。

ウソだ、、、気が滅入る。
そして再び気を立ち上げる。

普通にやっていてはダメなのだ。
大きく激しく見せたいのなら、死ぬほど全力で動かなければ。
”つもり”ではダメなんだ。大きく、激しく、爪の先まで意識せねば。

そう気付いてから、自分の中にある無意識のタガを外して、簡単に言うと、”思い切り”やった。間違えても、笑われてもいいから、とにかく全力で。そうしたら、ビックリするほど疲れた。わたしは今まで思い切り演じてなかったんだ、“楽“していたんだなと思った。

どこかで、間違えないようにやろう、きちんとやろう、そのことを一番に考えながら演じていた。それも大切だけど、それじゃ足りないし、楽しくない。

思い切りやることで、感情も乗りやすくなった。とてもシンプルだけど、行き詰ったわたしに一番必要なことだった。

そして稽古期間は終わり、劇場入り。
初日までの間に、舞台をくみ上げ、照明や音響と合わせる場当たり、そして本番の舞台に立っての最終稽古。

最後の最後まで、作品を詰めていく。

そして、ゲネプロ(リハーサル)をして本番。
それから怒涛の公演がスタートしていった。

結果、手に入れたモノ

もちろん緊張した。
全てがうまく行ったかと言うとそうじゃない。
だけど、とにかく楽しかった。

たくさん稽古を積んできたけれど、それにとらわれることなく、毎回新鮮な気持ちで、自由に演じることができた。もちろん稽古と違うことをしたわけじゃない。なのに、他の演者の動きや表情、反応、セリフを感じながら、自分の気持ちも呼応させて、演じることを楽しめた。いい意味で余裕も持てた。毎回、舞台上での新たな気付きがあった。

今までは終わったら「ホッ」とするだけで、どちらかと言えば反省の気持ちが強かった。
でも今回は「次はこう演じたい」「ああやればもっと良くなるかも」と次の公演への気持ちが高まっていた。

わたしの芝居の技術が劇的に向上したわけではないと思う。
だけど、”気の持ちよう”で、いろんなことが劇的に変わった。

そうなれたのは、演出の山田さんをはじめ、ずっと見守って、アドバイスをしてくださった劇団の先輩方、一緒に頑張ってくれる仲間や後輩たち、そしてゲストさん、スタッフさんのおかげ。

今さらこんなことに気付いたなんて遅すぎるのかもしれないし、役者として恥ずかしいことなのかもしれない。だけどわたしにとっては今だったのだから仕方ないし、それも受け入れるしかない。

たくさんの「気付き」と「受け入れ」。
歳をとったからこそ、そして歳をとっても常に、あるもの。
それは41歳のわたしを成長させてくれたし、新たな楽しさを与えてくれた。

そんな公演だった。

まさに、滞っていた自分を前に進めてくれた。

大渋滞 2024 最高でした。

交通警察隊 藤村美紀
このシーンは毎回緊張しながらめちゃ楽しかった
ありがとうございました!!


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麻利央書店
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