見出し画像

【2021/2/22】根性ありますか

スポーツの世界にあるテクノロジーを調べていて、その対にあると思われる「根性」について考えてみた。

スポーツ根性、通称スポコン。

1960~70年代の日本の高度経済成長期のブームで、各辞典では以下のように記されている。(Wikipediaより)

スポーツの世界で根性と努力によってライバルに打ち勝っていく主人公のドラマ『戦後史大事典』
努力型の主人公が血のにじむ特訓を重ね超人的な必殺技を編み出し天才型のライバルに勝利するといった図式化されたストーリー 『大衆文化事典』
いずれの主人公も、身辺の苦難に耐え、過激な特訓を自らに課し、いくども挫折を味わいながら、不屈の闘志と根性で乗り越えていく『スポーツの百科事典』

スポ根とはあくまでも「作品のジャンル」であるということが分かる。現実、スポーツ根性があるとかないとか、それが良いとか悪いとかは別の話。

一方、根性を調べてみると、

元々は仏教用語で「その人が生まれながらに持ち合わせる性質」。また、あるものに特有の性質

とあり、根性は培うものではなく、生まれながらに持っているものということになる。

それがスポーツにおいて「物事をあくまでやりとおす、たくましい精神・気力」になり、根性=強い精神の図式が出来上がった。

高度経済成長期というタイミングもあったのだろう。スポーツだけでなく、仕事にしろ勉強にしろ、強い意志や高い志があればどんな困難も乗り越えられ、目標や勝利を得ることができる、という思想が広がった。

現代では「根性」とか言うと、時代遅れだとか必要ないとか言われそうだけど、「根性」とセットである「努力」「忍耐」「鍛錬」とかってやっぱり必要じゃないかなと思う。そうは言いつつ、

根性ありますか?

と聞かれたら、

ないです

って答える。

本来の意味である「自分の生まれながらの性質」を理解してるからこそ、根性を求める。ないという自覚があるから、根性のある自分を目指して努力する。結局、誰かのための根性じゃなくて、自分のための根性。

かつてバレーボール少女だったわたしには根性があったのだろうか。厳しい練習に耐え、努力もしていて、端から見たら”ある”ように見えていたかもしれない。でも、自分ではそう思えなかった。楽をしようとする自分は常にいたし、逃げてしまったことだってある。だけど一生懸命ではあった。うまくなりたいと思っていた。

根性論は古い、よくない。

と表向きは思っている一方で、

根性がほしい。

それがわたしの根性。

いいなと思ったら応援しよう!

麻利央書店
クリエイトすることを続けていくための寄付をお願いします。 投げ銭でも具体的な応援でも、どんな定義でも構いません。 それさえあれば、わたしはクリエイターとして生きていけると思います!