自粛生活note 2020/5/7
当初の予定では今日から通常運転となるはずだった。しかし緊急事態宣言は5月末まで延長され、自粛要請も引き延ばされることに。それはそれで仕方ないが、見通しや目処、今後の見解みたいなものがやっぱり欲しくなる。
外に出てみると、”5月6日まで”休業していたお店が営業再開していた。パン屋さん、ラーメン屋さん、美容室など。なんだか嬉しい気持ちになって、「おかえり」って声をかけたくなった。人の流れも少しだけ戻ってきた。もちろんまだ気を抜いてはいけない。けれど、ニュースで発表される感染者数は減ってきているし、みんな厳しい中でも自粛を受け入れてその結果を出していることには違いない。素直に喜んでいいはずだ。もちろんまだ気を抜く気はないけれど。
昨晩は夜中まで動画編集に勤しみ、寝不足だ。やりこむと小さいことにこだわって、結局終わりが見えなくなる。レイコンマの世界で映像を切り貼りして、何度も同じところをやり直して、できたら他のところが気になって、無限ループ。自己満足の世界。でも誰かに見てもらう以前に、自分が好きじゃない作品を世に送りたくない。世界中のみんなが作品を非難したって、わたしだけは信じ続ける、そして守り抜くんだ。
そう。
創造は、究極の愛のカタチ。
一方で今日は、年下の友人と「無駄」について話していた。世の中には無駄が多いと彼女は嘆いていた。効率よく、自分に必要なものだけを集めて生きていきたい。ムダな仕事、ムダな交友、ムダな出費、ムダな毛は、できるだけ避けて通りたい。
その通り。何も間違っていない。
だけどわたしの口からはこの言葉が出た。
「人生は無駄で出来ている」
「染みたぁ・・・」と彼女は言った。
そしてその5分後に彼女は言った。
「さっき言ってた名言なんでしたっけ?」
なーんにも染みちゃおらんかった。自分の言葉に誰かが染みるなんて、そんなことは滅多にない。アルコールのように、たとえ濡らしたとしてもすぐに蒸発するものばかり。
だけど、
アルコールのように、発した言葉で誰かの心を少しでも消毒できればいい。
だって、きっとまたすぐ汚れる。もしかしたら今度は、言葉で汚してしまうかもしれない。言葉は手を汚すドロにもなるし、人を脅かすウイルスにもなる。その一方で除菌するアルコールにもなる。そしてたまに、繊維の奥まで届く染料みたいにもなる。
そんな染料みたいな言葉を生みたいものだ。
トップ写真:誰かのお家のきれいなバラ。
「美しいバラには棘がある」
ということは、美しい言葉にも実は棘があるのかもしれない。
つまり「きれいごとを並べて」と同じ意味。
そういう言葉ばかりを発する人は気を付けた方がいいということ。
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