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私が隠して埋もれてしまう前に - ちいさいばあちゃんの着物

 私には祖母が二人いる。
 正確には父方の祖母が二人、母方の祖母が一人いる。大分の山奥にある実家で一緒に暮らしていた父方の祖母二人のうち、一人は死んでもう数十年になる。もう一人は、この文章を書いていた当時は八十をすぎた頃で、笑顔でまだまだ元気だった。山奥の家で、同い年の祖父と喧嘩しながら、携帯やパソコンを覚え、二人で住む家をまわしていた。離れたところで暮らす子や孫のことを、恐らく、寂しく思いながら。

 この話は死んだ祖母の話である。祖母1、祖母2と呼ぶ気にはなれないので説明すると、二人はそれぞれ「ちいさいばあちゃん」、「おおきいばあちゃん」と呼ばれていた。「ちいさいばあちゃん」は祖父の姉。「おおきいばあちゃん」は祖父の妻、私の父の母である。「ちいさいばあちゃん」は、「おおきいばあちゃん」にとっては義理の姉に当たる。
 おおきい、ちいさい、何をもって大・小を決めているかというと、年齢ではない。身体のおおきさである。まだ私が記憶もないほど幼かった頃に、いつの間にかそう呼ぶようになったらしい。子供は素直である。
 とはいえ、父親が、「ちいさいばあちゃん」の方が年上なのだから、彼女の方を「おおきい」と呼ぶべきではないか、とたしなめたらしいのだが、私は抵抗したそうだ。
「いやだ、だっておおきいばあちゃんのほうがおおきいもん」
 それ以来おばあちゃんたちは、身体の大きさで「ちいさいばあちゃん」「おおきいばあちゃん」として家族の中で名前が定着した。私は自分が命名したということを物心ついてから親に聞かされ、なんだか誇らしい気持ちになったが、今思えば、彼女たちも一方的に体型で命名されるのは複雑な思いだったかもしれない。

 そんなわけで、この話は死んだ祖母「ちいさいばあちゃん」の話である。「おおきいばあちゃん」もまた武勇伝をたくさん有する人物なのだが、いつかまた別の時に話したいと思う。私が隠して、埋もれてしまう前に。

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