たのしさのはなし
「たのしく生きるために、仕事以外の全てを注いでいる」
間藤さんって何してるの?って聞かれたらなんて答えるの?って聞かれて、考えて出した答え。
えーっとまず、仕事って何よってなって考えて。
「社会との接点かなあ」って答えた。
個人的に、SNSやライター業に関してはすごく、仕事だなと思っている。
外に出て、人に会い、モノゴトと出会う。
誰かに伝えて、自分に返ってるくる。社会との、接点。
じゃあ、以外に全てをって何よ。ってなって考えて、地域活動は社会との接点、みたいな話は聞いたことがあるけれど、むしろ私は逆なんじゃないかと思い至った。その他は「自分との接点」かもしれない。
好きだとか、趣味だとか、「たのしい」だとか。
自分が、暮らしている実感。
これが仕事になってしまうのはちょっと違うなって思った時期があって、(今は周りの人のおかげで、そんなこともないんだけれど)過去の活動は一部、「たのしい」が枯渇しそうになって苦しくなったんじゃないかと思っている。
「たのしいは、枯渇しないけど擦り減るんだよね」って口に出したら、相手も私もすごくしっくりきた。
擦り減る、は、言葉を帰るなら消耗する、が近い。
消費され、消耗する。生産(せいさん)が必要になって、そうするともはやあったはずの生産物は自分との接点ではなくなって、社会との接点になりかける。
接点をつくる作業は、0→1の「創造」じゃないかと思う。
創造って行為自体は、何やらすごく疲弊する。体力がいる。
意識して踏み込まないと、苦しくなる。
ところで枯渇しないという言葉は、その通り湧き出てくるイメージだ。これはもう、作り出すとか作業とか、生産するとかじゃない。
温泉みたいなもの。
枯渇はしないけど消耗する。そうならないために見つけた対策は今のところ、「自分との接点を見誤らないこと」だ。
それって源泉を埋めない、みたいなこと?って聞かれて、
そうかも、ってなって。
でもそれは源泉だけを守るんじゃなくて、「だから地球に優しくしよう」みたいな大きな話であって、「だからゴミはポイ捨てしないようにしよう」みたいな小さなことが必要で。たのしい、を消耗させないために、まちづくりみたいな大きな話が必要で、隣の空き家であそぼうか、みたいな小さなことがたくさん必要で。
全部結局は自分ごとなのに、って思ったのは、そういうところなのかもしれないなと仮説を立てた。
まだこう、ふわっとしてるんだけれど、せっかく話したから、noteにも書いとく。
の、あとで、地球にやさしくって違くないか?ってなって、ちょっと下書きにしていたんだけれど。だからここからは、後日書き足したもの。
さて地球にやさしくじゃないとしたらなんだろうかと考えて、「それって海が好きだから森林整備をします」みたいなこと?って再度質問をもらった。
ふむ。
そうなんだけど、そうじゃなくて、感覚としてはもう少し広くて。役割としては、「海が好きだから森に興味を持って森林整備もしてみたけど足りなくて、温暖化をなんとかしよう!とかにぶち当たったからひとまず海に戻ってみんなに「森にも行ったらもっと楽しいよ!!!!」って言う係」みたいなことをしていると思う。とお答えした。
今日別の人に言ってもらった「真田に軸足があってピポットしている」は、こういうところかもしれないとも思う。
そういうの、全部ひっくるめてもう、たのしいの源泉になっている。
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