「書くことが好きでたまらない」なんて言えない、書くことを仕事にしている私
7月から始めた朝のお茶会(30分間、申し込んでくださった方とテーマを定めずざっくばらんにおしゃべりする企画)で、noteを毎日更新している人に
「どうしてそんなに継続できるんですか?」と聞いてみたら、こんな言葉が返ってきた。
彼女いわく、頭の中が常に書きたいことであふれていて、書きたくてしょうがない気持ちになるというのだ。
私が感じたのは「やっぱりか……」だった。
書くことを始めて5年目、フリーのライターになって3年目。ありがたいことにこれまで様々な書く仕事を経験させてもらってきた。編集者になってからもいろいろなタイプのライターさんが書く、いろいろなタイプの文章にかなりの数ふれてきたと思う。
そのなかで、時間を重ねるごとに「書くことが好きでたまらない人が書く文章には、私なんかが絶対に越えられない壁がある」と思いはじめた。同時に、1つにフルコミットして最後まで走り続けられる人と同じ戦い方は自分にはできないことも痛感していた。
同じような悩みを抱えている人、いるだろうか……。
昔から読書感想文が大嫌いで夏休みの最後の日まで手をつけられない私がライティングを始めたのは、数あるスキルのなかで唯一「まだ自分にもできそう」と思ったからで。働く場所も人も縛られないフリーランスになるための手段だった。
だから私は誤解を恐れずして言うならば、「書くこと自体が好きでたまらない」と思ったことは一度もない。
何においても基盤に「好き」がある人の熱量は強くて圧倒的なパワーを持っている。美しさや技量の枠では語れない「その人にしか書けないもの」は誰にでも絶対あることを身をもって体感しているけれど、特定の分野において「書くこと自体が好きな人」が生み出す文章には、私なんかが太刀打ちできないものがある。
そんな人たちの文章にふれる度に「ああ、私にはこれほど素晴らしい文章を0から生み出す力はないな」と感じていた。
“書く”を仕事にしているのにこんなことを言ってもいいのだろうか……とも悩みもしたが、これが正直な気持ち。
ずっとこのことに後ろめたさがあったのだが、ライターから編集者へとキャリアを広げる前に、やっと自分で納得する答えを見つけた。
それは、書くことが好きな人にしか描けないキャリアがあるのと同じように、書くことが手段である人にも、その人にしか描けないキャリアがあるということ。そして、器用貧乏だからこそ発揮できる価値があるということ。
たとえば、書くことが好きな人の0→1には敵わなくても、その素晴らしい文章を1→10にするために、冷静と俯瞰を持って編集者として関わるのは私にしかできないこと。
好奇心旺盛で新しい環境に飛び込むことを繰り返してきたからこそ、書くことを中心にするのではなく、他に身につけたスキルを掛け合わせて新しいサービスや働き方をつくることができる。
書くことを仕事にしている人が、必ずしも書くことが何よりも好きなことである必要はないし、好きでないからといってプロ失格ではないと思えるようになった。
1つのスキルが疎かであってはいけないから、複数のスキルを100%まではいかずともしっかり磨きあげる必要はあって、時間も労力もかかる。
それでも私は、自信を持って「書くことが好きでたまらない」なんて言えない自分にしかできない働き方とキャリアを築いていきたいから、これからも書くを一つの手段にしながら挑戦を続けていきたい。
だからこの夏は、書くことも続けながら、そこに動画や音声、対面での発信・コミュニケーションも混ぜていきたいな。
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