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「自分のことが好きになれる人と一緒になりなさい」はあながち間違いじゃない

メンヘラ女と呼ばれる人が一定数いる。

私も過去にメンヘラ女と化したことがある。

そんな彼女たち(私を含む)は
本当に元から生粋のメンヘラなのか⋯?


私は少なくともその中の一部は
NOだと言いたい。


なぜなら、精神的に安定していた女性が
ある男性と付き合い出したら
精神的に脆くなり
メンヘラ女へと変わっていく姿を
何度も見たことがあるからだ。
(かく言う私も、大変な自信家だったのが
ある男性と付き合い出してから
不安まみれのメンヘラ女に化した)


メンヘラ女へと変わっていってしまった
彼女たち(私を含む)が付き合っていた
もしくは好きになっていた男性を思い返し、
「こんな男はやめておこう」の
代表格を2つ挙げてみる。


①会えない男

仕事が忙しくて会えない。

親族が大変で会えない。

色々な理由を出して、
(それもこちらが抵抗できないような理由…)
なかなか会ってくれない男がいる。

本当に好きな女性を捕まえるためなら、
繋ぎ止めるためなら、
どんなに仕事が忙しい人だったとしても
その愛しい人のために時間を作るものである。

自分の想い人だけは例外!

なんてことはまずあり得ない。

会えない男はあなたに本気ではない可能性が高いし
仮に付き合った後も
あなたを不安な思いにさせること間違いなしだ。


②君のためを思って男

何かにつけて、「君のためを思って⋯」と
こちらの生活にケチをつけてくる男がいる。

それが理に適っているのであればまだしも、
ある一定の年齢を超えた大人同士のやり取りで
「君のためを思って」という
前置きがある会話は
親子関係や先生生徒などの
ある種の上下関係を彷彿とさせる奇妙な形に思う。

そもそも、「君のためを思って」と
伝えてくれたその言葉が
私のためになるかどうかは
その言葉を放った貴方ではなく
受け取った私の判断だ。

「君のためを思って」という発言の裏には
その発言をした人の正解に沿う人生を歩め、と
強制されるような居心地の悪ささえ感じる。


さて、代表格2人を出してみた。

きっとこのような人物像の人と一緒にいたら
会えないもどかしさや
自分の行動が間違ってるのではないか?
という迷いなど、
様々な不安要素を抱えて生きていくことになり、
終いには自分の言動に自信が持てなくなる。


自分の言動に自信が持てない自分を
好きでいられるだろうか?

私の答えはNOだ。


だからこそ、
「自分のことが好きになれる人と一緒になりなさい」と先人たちは言ってくれているのだと思う。


これを読んでくださっている方が
自分を肯定でき、
心から幸せを感じられる人と
人生を歩んでいけることを心から願っています🙂‍↕️🧡


最後までお読みいただきありがとうございました🌸恋愛苦労人だった私の一意見として
お読みいただけると嬉しいです🫠


mari





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