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肝臓をいただくということ11
2024年5月
春先の朧げな空気が日に日にクリアになるこの季節、いつもブルーハーツの「夜の怪盗団」のワンフレーズを思い出す。「5月の風のビールを飲みに行こう」。風が何かいいものを連れてきてくれる。そんな気持ちになるのだ。
まだ散歩は再開できていない。
転んだときの映像が目に浮かんで「また転んだらどうしよう」と考えると怖い。
家事の分担
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いちばん最初にできるようになった家事は洗濯物干しだった。時間に追われることもなく、ゆっくりゆっくり自分のペースでのんびり干す。
ベランダに出ると、前の道路を歩く人々の明るい声が聞こえるときもあるし、風に吹かれるのは気持ちよかった。
できるようになったのは調子がいいときの夕食作りとお弁当作り。
それ以外の家事は夫がしてくれていた。
この「調子がいいときはできる」というのが夫には負担だったらしい。
夫は計画的で1日のスケジュールを立てて、時間通りにきちんと実行したい人だ。だからこの日はやれるけど、この日はやれないという曖昧な感じではやりにくいと言うのだ。
でも体調のことだから、自分にも分からない。朝は調子がよくて家事ができても、夜は寝込んでしまうこともある。
「できる家事がはっきりしないのなら、全部、俺がやる」
と言われたときは、ものすごく悲しくなった。
私だってできる家事はやりたい。これから夫が仕事に戻れば、基本的に全部1人でやるようになるから、少しでも慣れておきたい。
家で役に立たない自分にもどかしさを感じていた。
だからほんのわずかでも何か家族のためにできることがあったら嬉しい。
でもそれは全部、自分のためなのかな。
私の自己満足を満たすための気持ちで、夫や家族にとっては迷惑なのかな。
そう思うと、ますますどうしたらいいのか分からなくなって、ベッドに寝転んでいた。
散歩の再開
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夫も焦りがあったのだろう。
2人で相談して夫の仕事復帰は6月に決め、会社に報告していた。
でも私は散歩もしないし、歩く練習もしない。
転んで数日は黙っていたが、しばらくすると「散歩しよう」と声をかけてくれていた。
だけど「まだ怖い」「今日は行きたくない」と私は言い続ける。
とうとう痺れを切らした夫に「1カ月後には1人で歩いて、家事もできないと困る」
と強い口調で言われた。
ずっとみんなが優しくしてくれて、甘やかしてくれていたから、こんなにキツくいわれるのはひさしぶりだった。
涙が出るのも必死でこらえながら、散歩に行った。
一緒についてきてくれる夫も無言、私も無言。
なんともつまらなさそうな散歩だ。
黙々と歩いて、15分後、家に戻った。
確かに泣きそうにはなったが、夫がここまで言ってくれなかったら、私はまたのらりくらりと散歩を先延ばしにしていただろう。
結果的に夫に言ってもらえてよかった。それから毎日、散歩をしながら徐々に外を歩く感覚を取り戻していく。
外を歩ける自分をあれほどまでに待ち望んでいた。こんなにも清々しく美しい外を、いま自分は歩けている。それを幸せなことなんだ。そう思いながら歩いているうちに、転倒への恐怖は少しずつ薄れて、歩く距離や時間も伸びていった。
ステント交換
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私の身体にはステントが入っている。
胆管がつまって胆管炎になるのを防ぐためのものだが、肝移植後の状態を診て入れるかどうかが決まるので、同じ肝移植患者の中でも入っている人と入っていない人に分かれる。
私は1月のどん底の時期にステントが入った。が、あまりにいろいろなことが起こりすぎていた時期だったせいか、詳しい事情は覚えていない。
ステントは3〜4ヶ月ごとに交換しないとまた詰まってしまうため、定期的に入院する必要がある。
私の最初のステント交換は5月に行った。
ひさしぶりに東大の入院棟に向かう。
まるで実家のような9北で過ごせると思っていたが、相変わらず移植を待つ人やドナー、移植後のケアをする人たちで病棟はいっぱいだという。
今回は9南に入院することになった。
処置は入院の翌日に予定されている。
入院後のスケジュールは
採血・尿検査
点滴のラインを取る
昼・夜ごはんは可
21:00以降、食べるのは不可(水・白湯は可)
6:00 朝の分の薬服用
9:00 抗生剤の点滴開始
ここから処置に呼ばれるまで、ひたすら待つ。
だいたい午前か午後かくらいは目安として伝えてもらえるのだが、いきなり15分前くらいに声がかかるときもあって、バタバタする。
処置の前には前開きのパジャマを着て、弾圧ソックスを履き、コンタクトを外す。
帰りは麻酔が効いているからストレッチャーになる。看護師さんがストレッチャーを押しながら、私は点滴棒を押しながら2人でガラガラ歩く。
処置室に着くと申し送りをしてくれて、病棟の看護師さんは戻っていく。
私は処置台にうつ伏せで寝て、顔だけ右側に向けマウスピースを着ける。
この瞬間がいちばん嫌だ。
肩に麻酔の注射をすると、後はもう覚えていない。
目が覚めるとベッドの上だ。ここからもスケジュールが決まっている
処置後3時間はベッドの上で絶対安静
処置後1時間から水が飲めるが、むせたときのために看護師さんに一緒にいてもらう
安静解除して初めてのトイレはふらつきによる転倒防止のため、看護師さんと一緒に行く
処置日は1日絶食
15:00 抗生剤点滴
21:00 抗生剤点滴
3:00 抗生剤点滴
採血
朝食抜き
レントゲン撮影
9:00 抗生剤点滴
血液検査とレントゲンに問題がなければ食事再開
15:00 抗生剤点滴
21:00 抗生剤点滴
入院はリフレッシュ、という効果もある。
しばらく家族と離れて寝起きしていると罪悪感や後ろめたさがなくなり、もう一度家族への感謝の気持ちを思い出す。
夫に「ありがとう」と素直に言えたのがひさしぶりで、嬉しかった。
このときは1週間の入院だった。
【ステント】
肝移植の術後、胆管に挿入されるチューブをステントという。胆汁が体外に誘導される役割があり、術後の胆汁の量や色などの目安として使用する。
【胆管炎】
肝臓から分泌される胆汁は胆管を通り十二指腸に分泌されるが、この胆管に感染が生じた状態を胆管炎という。
原因は胆汁の流れの停滞により細菌感染が起こり胆管炎を発症する。
症状としては発熱、黄疸、右季肋部痛(右上腹部の痛み)などがある。
Aさんの仕事復帰
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5月22日に移植後同室だったAさんから「今週から仕事復帰しました」というLINEをもらった。Aさんは新聞記者で、手術前はさまざまな現場を歩き、見て聞いたことを文章にしてきた人だ。
同じ書く仕事でもAさんの仕事は「端的に正確な事実」を書き、そこにあふれる思いをできるだけシンプルに伝える仕事だ。
取材相手に真摯に向き合うからこそ得られる喜びも多いが、現場には厳しい現実もあるだろう。
でもAさんの仕事復帰が私は心から嬉しかった。
すぐに仕事に夢中になってしまうAさん。
自分の身体を省みることも忘れるくらい集中してしまうAさんが、上手に折り合いをつけながら仕事ができるといいなと思う。
そしていつか一緒にお仕事しようね、と交わした約束が、また私に光を与えてくれるように感じていた。