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ルシャナの仏国土 心願成就編 27-あとがき


二七.覚者と菩薩

 その頃、覚者ルシャナと覚者フローラ、梅月菩薩と慈師菩薩は、ウユニの火山の噴火口にいた。ガルーダが人の背丈ほどになって対面している。ルシャナが言った。
「ガルーダよ。そなたも永きにわたる地上での修行、ご苦労であった。すでにあと少しで菩薩となれる力量をそなたも蓄えている。
 そなたにはもう既に『慈悲』が芽生えているが、それはまだ完全ではなく、『布施波羅蜜』がほんの少しだけ欠けている。人々から労力の代償をもらっているからだ。全き菩薩は、『布施』に見返りを必要としない。法身となる前の私がそうであったように、これまでのそなたはあくまでも半身であった。
 しかし、もはやその必要はなくなる。これよりは『巨翼菩薩』と名乗るが良い。」
 ルシャナは錫杖を地面に打ちつけた。シャリーンという音が鳴り響く。ガルーダの体は翼人に変わり、橙色の僧衣を纏った。彼は坐して一礼した。
「覚者ルシャナ様。私は晴れて全き菩薩となりました。この上なき幸せに満ちております。これからも変わらず人々を救い続け、『この上なき喜び』を実践して参りましょう。」
 ルシャナは満足して微笑んだ。
「巨翼菩薩よ。そなたは今、全く正しい智恵を実践して言葉で示した。それこそが正しい智恵である。さあ、他の菩薩たる菩薩のところに行こう。」

 彼らは海底深くに赴き、クラーケンと会った。彼は巨大なイトマキエイで、さまざま魚や貝、時にはウユニから供される罪人の変形を呑み込んで、その魂を浄化してきた。シャンメイ=梅月菩薩が語りかける。
「海の底にて数多くの魂を浄化してきた者よ。そなたには、戒律を実現させるという務めを果たしてもらっていましたが、その務めのみに専念する時は遂に尽きました。ここに『持戒波羅蜜』の完成を認めます。全き菩薩として顕現するための智恵を完成させなさい。」
 ルシャナが錫杖を海底に打ちつけると、クラーケンは人の形となって海の僧衣を纏った。
「シャンメイ様。私はずっと覚者ルシャナ様の光に照らされ続けて参りました。さらに近年、私は貴女様が近くを通られる度に、優しく穏やかな光が私のところにまで届くのを感じ取っておりました。覚者ルシャナ様の光と共に貴女様のお力も得て、私は慰められ、今日まで務めを果たさせて頂くことが出来たのです。これからもさらに一層精進致しましょう。」
 ルシャナが言った。
「そなたは、他の六波羅蜜をも既に実践している。これよりは『潮科菩薩』と名乗るが良い。
 さて、私は今から人々からよく見えるように空中の低いところに坐し、全ての生きとし生けるもの及び菩薩に対する説法を行う。皆、ついて参れ。」

 ルシャナとフローラは、梅月菩薩、慈師菩薩、巨翼菩薩、潮科菩薩を伴って、オルニアの明禅館のすぐ上の空に浮かんだ。そこが、世界中から最もよく見える場所だったからだ。そして、ルシャナ達の姿と声は、その法力によって世界中の生きとし生けるもの全てに届けられた。

「全ての生きとし生けるものよ。これより覚者が人々および全き菩薩のための説法を為す。
 みな足を止めて静かに真理を聞くがよい。
 生まれて老いて病にかかり、やがて死ぬことは、生き物すべての定めである。また死んでも生まれ変わり、再び別の形で生老病死の苦しみを繰り返す。宇宙は、全てにおいて円を描くように繰り返すのである。即ち、生きとし生けるもの全て、救いの手立てを知らぬ限りは苦しみ続ける。ひとつの生としての悲しみも悩みも怒りも憎しみも、所詮は瞬きひとつでのこと。
 しかし、その繰り返す苦しみから逃れて安らかな境地へ行く方法がある。
 それ即ち、苦しみの炎をそのものと知り、自他を棄て、全ての存在を等しく観ることである。全てを客観的に観て慈しみ、心を美しき花々で満たすことである。その花々は、明るく温かくそなたらを憩わせる。
 あるいは一神教を信仰する者たちよ。そなたらの神も、より多くの人々がそのような安らかさを知ることを望まれよう。そのように解釈してもらえれば私たちは嬉しい。
 幼き者も老いし者も、男も女も、心富める者も心貧しき者も、健やかなる者も病にある者も、共に唱えよ。
『穏やかな花よ、温かな花よ。みな手を取り合って共に光り輝く花の園に行って憩おう。花にてみな幸せに。悟りよ、幸あれ。』・・・と。」

 彼らは一斉に消えた。
 ルシャナは惑星中央部にある『魂のゆりかご』の前に来ると、己が存在を二つに分けた。同一存在となっていた星の精霊ルシアと分かれたのだ。ルシャナは星の精霊の前に坐し、一礼して言った。
「我が恩師ルシアよ。そなたが消えるようなことになれば、この世界は滅びる。彗星が完全に砕かれるまで、この『魂のゆりかご』にてしばし待たれよ。その後、再びそなたに帰ろう。」
 星の精霊も同じように坐した。あたかも鏡を見ているかのように二人はよく似ていた。
「覚者ルシャナよ。そなたが私とその家族たちを思ってくれる思い、確かに受け止めた。それでは、頼んだぞ。」
 星の精霊ルシアは全ての魂たちを包み込んで同化し、見えなくなった。
 そして、ルシャナは、それまで無言で脇に控えていた宝華菩薩に言った。
「宝華菩薩よ。そなたには、絶えず魂たちに説法を成す務めがある。惑星危機のことは私たちに任せて、安んじて説法を続けよ。」

二八.新しき覚者

 先の説法が終わった時、ルシャナは『魂のゆりかご』と地上の数ヵ所から智恵の光が光ったのを観ていた。
「そなた達も覚者たる素質を得た。今ここに顕現するがよい。我が最初の弟子・田所幸隆、そして精神的な直弟子・ヴィクトル・ベッカーとマルカ。」
 その言葉通り、二つの光は覚者の特徴を備えて顕現した。ヴィクトルとマルカは、死してひとつの魂となっていたのである。
 シャンメイは、梅月菩薩として目覚めてから両親がひとつの魂となって『魂のゆりかご』に眠っていることを知り得たのだが、今顕現した覚者としての姿を認めると、直ぐさま近づいた。
「お父さん、お母さん、お懐かしゅうございます。やはり覚者になられる智恵を備えていたのですね。」
 ヴィクトルは応えた。
「シャンメイ。私たちは海で遭難し、私はマルカを抱えたまま海底に沈んで肉体は朽ちた。気が付くと、私たちはひとつの魂となってここにいたのだ。」
 マルカの声が重なる。
「シャンメイ。他の子たちはまだ人として生まれ変わるようですが、貴女とは、こうして再会できたこと、本当に嬉しく思いますよ。」

 田所幸隆は、真っ直ぐルシャナに歩み寄った。
「覚者ルシャナ様、私も救われました。」
 ルシャナは言った。
「幸隆よ。そなたからはもはや敬称を付けられることはない。そなたも私たちと同等なのである。これからは、傍らに並んでいてくれ。これにて今覚者たる者、菩薩たる者たちはみな揃ったようだ。」
 フローラが言った。
「それではルシャナ、今は少し休んでいて下さい。もうすぐ貴方が中心となって大きな使命を果たさなければならないのですから。残る菩薩たちのことは、私が橋渡しをしましょう。」
 それはかつての妻としての勧めであった。

二九.在家菩薩の修行

『穏やかな花よ、温かな花よ。みな手を取り合って共に光り輝く花の園に行って憩おう。
 花にてみな幸せに。悟りよ、幸あれ。』
 ルナ・ブランカ号のバレンシアは、ルシャナの言葉を繰り返した。普段はあまり気にとめていなかったが、彼女の中には未だ消えぬ苦しみが残されていたのである。
(そう、この体も記憶も一瞬のもの。やがては終わるもの。それよりも、静かな心になりきって生きていればいい・・・。)
 三日三晩、起きているあいだ、ルシャナの言葉が頭から離れず、彼女は唱え続けた。そうして四日目の朝、バレンシアの髪は瑠璃色に変化し、空色の作務衣を身につけていた。
 マグダレナが驚いて尋ねた。
「バレンシア?あんたどうしちまったんだい、その姿は一体?」
 マグダレナの言葉に反応して、バレンシアは言った。
「キャプテン、私はこれから菩薩としての修行をしなければなりません。いえ、別にどこかに行くということはないのです。ここにいて、今までと同じことをしていきます。ただ、行動の全てに美しき花々を含めていく、そういうことなのです。私は今、この上なく幸せです。」

 さて、世界各地で覚者と菩薩が現れた時、それを否定したり反対したりする人々も当然ながら出てきた。彼らには、そのような感覚が欠けており、目に見える物質しか信じられない。たとえ他の誰かが瑠璃色の髪に変化する場に行き会わせたところで、目の錯覚を見せられたと嘯くのだ。

 マクタバの港を仕切る役人ジョン・ロビンスも、その類いの人物だった。瑠璃色の髪に変化した甥のマークのことも詐欺師呼ばわりした。娘アンジェラが彼の話を聞きたがっていると知ると、無理矢理に娘を彼から遠ざけてしまった。
 しかし、菩薩となったマークは、何とか我が従姉妹いとこも救わんと、アンジェラが一人で部屋に籠もらされている所に姿を現して、自分が見ている美しい花々について話を聞かせた。
「菩薩道は、誰にでも開かれているんだ。求める者たち全てにね。一人で部屋に居るのなら、かえってそのほうが都合がいい。昔読んだ『星法の書』の中に書いてあったように、ただ坐して静かに呼吸をしていてごらん。君がそういうふうにすることは、たとえ叔父さんと言えども止められないはずだからね。幸せになるのは君自身で、叔父さんではない。あるいは、そうすることで叔父さんも救われるかもしれない。だから迷うことはないんだ。」
「ありがとう、マーク。やってみる。」
 そうして数日後、アンジェラの髪も瑠璃色に変化した。
「この、ふしだら娘!お前まで詐欺師になりおったか!出てけ、とっとと出てけ!」
 父親は凄い剣幕で娘を家から追い出そうとした。服も装飾品ももともとは自分が買い与えた物だからと、何もかも剥ぎ取ろうとしたが、どう力を入れても娘の身体はびくともしない。娘アンジェラは、只々合掌してその場に留まっていた。
「お父さん、私はただ毎日少しでも坐していたいだけなのです。日常生活のやるべきことはこなしますから、少しの時間だけ修行させてください。」
 その時、彼女が身につけていた装飾品が自然に床に落ち、衣服も何もしていないのに白い作務衣に変わった。
 ジョンの目の前で、見知らぬ女がアンジェラの前に突然現れた。
「新たなる菩薩よ、そこでは修行もままならないでしょう。一旦場所を移しましょう。別れは、新たなる出会いをもたらします。お父上には、お父上が貴女に追いついてからまた会えます。」
 アンジェラは答えた。
「どうもありがとうございます、覚者フローラ様。・・・それではお父さん、どうか菩薩道を辿って来て下さい。私はずっと待っています・・・。」
「おい、アンジェラ!どこに行くんだ!おい!待ってくれ、行かないでくれー!・・・」
 二人の菩薩は神々しい光の中に姿を消した。父親は、娘が我が身にとって愛おしい者であったと、その時初めて思い知った。

「叔父さんも、坐ってみればわかりますよ。」
 背後から声が聞こえた。マークが立っている。
「マーク、おのれ貴様、娘に何をした?!」
 ジョンはマークに飛びかかった。が、こちらもびくともしない。マークは坐して静かに語りかけた。
「叔父さん、私はただアンジェラに坐すように勧めただけです。一体、アンジェラや私が叔父さんから何か失わせたことがありましたか?私たちはただ坐していたかっただけなのです。いいえ、普通の生活を送りながらでも、菩薩の修行はできるのです。しかし叔父さんがあのように凄い剣幕で反対する中では、修行も何も出来ない。それ故に彼女はこの場を離れなければならなくなったのです。
 僕からもお願いします。ほんのひとときでも静かに坐して呼吸をゆっくり整えてみて下さい。きっと彼女の気持ちを分かってもらえるはずです。」
 彼もその場を去り、近くの山に隠った。

 その夜、ジョンは夢を見た。大勢の人々が静かに合掌しながら山の峰を歩いている。高く狭い道だが、誰ひとり落ちる者はなく、淡々と歩いていく。いつの間にか自分もその峰にいた。しかし、彼は心が動転してふらつき、峰の一角から落ちてしまった。(あぁ、俺は死ぬんだ)と思った瞬間、体は柔らかい何かの上に落ちていた。立ち上がってみると、そこは光り輝く花畑だった。・・・

 そこで目が覚めた。見渡すと、自分の寝室で、もう日は昇りかけている。朝の清々しい空気が頬に当たった。
 ジョンは上半身を起こして無意識のまま胡座をかき、深呼吸した・・・思わぬ気持ちよさがあった。しばらくそうしていた。これは味わっている、というのが正しいだろうか・・・と、彼は思った。
(そうか、こういうことなんだ。マークとアンジェラに悪いことをしたな。あの子たちはただこうして過ごしていたかっただけなんだ。)
 その時、二人の人物が彼の前まで歩いてきた。アンジェラと、彼女を連れて消えたはずの女だ。
「分かってくれましたね。」
 女はジョンに向かって微笑んでから、アンジェラに向き直った。
「アンジェラ、もう戻っても大丈夫なようです。貴女は、貴女が居たい場所で修行してよいのです。ただし、修行は欠かさぬように。」
 アンジェラは合掌して言った。
「畏まりました、フローラ様。」
 父親は娘を抱きしめた。
「ごめんな。お前たちがしたかったことが分かったような気がするよ。これからもここに居てくれ。俺の目の届く範囲なら、どこにいても良いからな。・・・結婚はしてもいいんだろ?婿を取るのは。」
 アンジェラも、父親に抱きついた。
「構いません。修行さえ許してもらえるのなら。私もお父さんたちと離れたくはありません。」
「アンジェラ。愛しき娘よ・・・。」
 気が付くと、フローラは姿を消していた。

三〇.ゆかりの人々

  フローラは空に出て、五弦琴を胸に抱えて歌い出した。妙なる歌声が世界中に鳴り響く。

全ての生きとし生けるものよ 共に歩もう
この上なき喜び この上なき幸せ
慈悲にて皆 幸せに 智恵にて皆 幸せに
全く正しい智恵 全く尊い命
阿頼耶識に美しき明かりを灯そう
六波羅蜜の美しき花を咲かせよう
坐して祈る この上なき喜び
坐して祈る この上なき幸せ
生まれて 老いて 病と闘い やがて死ぬ
命はその繰り返し 苦しみの繰り返し
その苦しみから逃れる方法はひとつ
静かに耐え忍び なお穏やかに 温かく
何者もいつかは終わる命 宇宙のほんの瞬きそのものと知れ
坐して全てを慈しみ 坐して永久の花となれ
そしてやがては全く正しき智恵の主となれ

 ライランカでは、アレクセイたちが涙にむせんでいた。
「あの声はフローラ!あの子が歌っている!」
 マリンが叫んだ。
「あぁ、あの子は覚者として妙なる歌を歌っているんだ。」
 アレクセイは澄み切った空を見上げた。
「なんて綺麗なの!」
 オリガも見上げた。陽は明るく穏やか光を大地まで照らし、空には大きな虹が架かっている。
 ライランカ環境局長官イリーナ・タラノヴァは、シャンメイの姉であり、公務の傍ら、アレクセイの義姉としても王室一家を見てきた。フローラのことも当然よく知っている。彼女は、すぐにアレクセイの元に駆けつけた。
「アリョーシャ!新しい覚者って、シャンメイとフローラ様じゃないの!どうなってるの?!何があったの?!」
 アレクセイは彼女を見つめて静かに答えた。
「イリーナねえ・・・。確かに新しい覚者と菩薩の中にはフローラとシャンメイ姉も含まれています。フローラは、私たち家族の目の前で、覚者ルシャナ様に導かれて変化へんげしたのです。ルシャナ様は、その時に『我が子を迎えに行こう』と仰っておいででした。その後、ウユニのオンネト帝陛下から、もう一人の覚者がシャンメイ姉であることを教えていただきました。
 私たち家族はフローラと共に過ごす日々を永遠に失った。しかしながら、新しい覚者お二人とご縁が深い・・・それは素晴らしいことです。そうは思いませんか、イリーナ姉。」
「アリョーシャ・・・。」
 イリーナは、アレクセイの中に隠された悲しみを察した。実の両親、自分を選んでくれたファイーナ姫、その夫にして彼自身の理想像そのものだったマコにい、先帝アルティオ・・・アレクセイも多くの人々と別れてきた。そして今、亡くなったのではないとはいえ、娘フローラとの今生の別れとは何にも増して辛いことであろう。

 レオニードとエカテリナも、フローラをよく知っていた。
「フローラ様が覚者・・・。となれば、僕たちもより懸命に祈らなければならないね。それにしても、アリョーシャの心中は如何ばかりか・・・。」
「力の限り祈るのは同じだけれど、私たちはフローラ様をとてもよく知っている。どうしてもフローラ様のことを思いながら祈ってしまうのでしょうね。
 レオ、今からさっそく祈りましょう。この星全てのために。」

 そのほか世界各地に散らばっている環境設計家のきょうだいたちは、この時初めてシャンメイが菩薩になったことを知った。しかし、海に消えた両親が一人となってまた別の覚者になっていることには全く気づいていなかった。それが普通の人間では知り得ない『魂のゆりかご』での出来事だったからである。
 剣豪たるホルスも、さすがにこの時ばかりは腰を抜かさんばかりに驚いた。この時は、たまたま航海の合間で海洋警察の宿舎にいた。
「シャンメイが菩薩になっただと?!尼さんになったとは聞いていたが!・・・だが、あり得ん話でもねぇ。俺たちはみんな血が繋がってねぇもんなぁ・・・。実はどっか良いとこのお嬢さんだったりしてな・・・。」
 女房のノアが応えた。
「いいえ、きっと誰にでも覚者や菩薩になる可能性があるのよ。人でも精霊でも獣でも草木でも。覚者様はそうお教えになっているのだわ。
 とにかく今は祈りましょう。この星のために、全ての生きとし生けるもの達が無事に生き延びて、やがては救われるように。」
 彼女は合掌して目を閉じ、祈り始めた。
(そうだ、ノアもオルニア育ちだったな。)
 ホルスは妻を見やった。それにしても、もう一人の覚者も、アリョーシャのところのお嬢ちゃんとよく似ている・・・と、彼は思った。彼が海洋警察所属になって、年に二、三度ライランカに寄港するようになると、その度にアレクセイは二人の娘達のどちらかを連れてきて彼と引き合わせていたのである。「ホルス伯父さんだよ。」と言って。二人はそれぞれ七つ八つくらいになると、ホルスがどんな経緯で父親と知り合ったのか、何故「伯父」と紹介されるのかを理解出来るようになったらしいが。
(しかし、まさか、な・・・。)

三一.彗星99

 母国の皇帝たちから、全ての生きとし生けるもののために祈ることを説かれた人々は、さらに妙なる歌声を聞いて納得し、それぞれに精一杯の祈りを捧げた。だんだん法力が地に溢れてくる。
 彗星が衝突すると予測されていた日の七日前に、法力は惑星ルシアを全て覆い尽くして衛星イスカとアルムにまで及んだ。

「それでは、行こうか。」
 ルシャナがフローラとシャンメイ、幸隆とヴィクトルに言った。慈師菩薩、巨翼菩薩、潮科菩薩を振り返る。
「シャンメイを除く三人の菩薩たちよ。そなた達はイスカの重力圏に留まって、落ちてくる岩の欠片をはじき飛ばせ。それがそなた達の此度における務めである。」
 三人は一礼した。
「覚者様。お帰りをお待ちしております。」
 ルシャナたちの姿が遥か遠くになって見えなくなると、巨翼菩薩が言った。
「あぁ、千年前の家族が行く・・・。私は、ルイーザ様がお生まれになった時に立ち会っていたのだ。」
 慈師菩薩が続けた。
「私は、ルシャナ様たちと共に五十年あまりを過ごした。生きたる覚者ルシャナ様が法身となられた時まで。」
 潮科菩薩が言った。
「私は、千年前にはまだご縁が結ばれていなかったが、海の底深くにいたあいだ、ルシャナ様とシャンメイ様は私のこともずっと照らし続けて下さっていた。私は、お優しい覚者様に導かれて、菩薩になることもできた。私は今とても幸福だ。此度のお努めを果たして、これからも精進しよう。」

 ルシャナ達は、彗星の姿を捉えた。まずヴィクトルが彗星の砕くべき地点に印を付けた。
「砕くべき地点に印を付けた。その数は百八つである。ルシャナと幸隆よ、私が指し示す順に印の箇所を砕け。それが最も効率のよい方法である。」
 シャンメイが数珠を取り出す。
「今から、お父様があの岩を砕く度に数珠を一つずつります。その数はヴィクトルが定めた百八つ。よろしいですね。」
「私はその間ずっと歌い続けましょう。人々の祈り、法力が込められた妙なる魂の歌を。」
 ヴィクトルはフローラとシャンメイの前に立った。両手は法印を結んでいる。
「この二人を守りつつ、私も共に彗星の速度を落とすために力を使う。安んじて務めよ。」
 三人の言葉により一層勇気づけられたルシャナは黄金の錫杖を構えた。
「私は、生きたる時には騎馬兵であった。同じ命ある者たちをこの手で直接死なせたことはなかったが、此度砕くはただの物質。躊躇いはない。」
 幸隆も光り輝く宝刀を構える。
「私もルシャナと共にこの務めを果たそう。」
 フローラは五弦琴を掻き鳴らし、シャンメイは数珠を手にする。ヴィクトルは前を見据えたまま法力を彗星に送り始めた。彼らの法力によって、彗星の速度は人が歩く速さにまで押さえ込まれた。
 ルシャナは、直径百キロの巨岩の上に飛び乗って、それを白く輝く錫杖で幾度も打ちつけた。幾度も幾度も巨岩を叩き、幾度も幾度も砕いていく。幸隆も宝刀で次々と斬りさばく。
 惑星ルシアの地上に向かって降り注がんとするその欠片を、三人の菩薩たちが外衛星イスカの重力圏ギリギリの所で待ち構えて羽やヒレや足で払い飛ばし、はね除け、蹴り返した。疲れてくると、その度に地上から溢れ出てくる祈りが彼らを癒して勇気づけた。
「我々には人々の祈りが届けられるから良いが・・・。」
 巨翼菩薩の言葉に、潮科菩薩が応えた。
「巨翼菩薩よ。覚者様は我々には遠く計り知れぬ力をお持ちだ。案ずること勿れ。法力を集めたのも、決してご自分たちのためではない。我々のためだったのだ。」
「おぉ・・・。」
 巨翼菩薩は泣いた。泣きながら岩をはじき飛ばした。

 シャンメイの繰る数珠があと八つになった。既に繰られた球は黒から白へと変色している。
「あと八つです。」
「よし。地上では菩薩たちがよく防いでくれている。このまま片を付けよう。」
 その時、フローラの頬に大きな岩が当たった。が、彼女は一瞬音を途切れさせただけで、なおも五弦琴を弾き続けた。
「我が妻よ。労いは後にしよう。私は、必ずこの務めを終わらせてみせる!」
 ルシャナと幸隆は、最後の巨岩まで無事に砕き終えた。小さくなった岩が数百個、そのうちのほんの一部が惑星ルシアに向かって落ちていくが、それらは全て三人の菩薩たちによって弾き飛ばされる運命にある。彼らの目の前の宇宙空間には、もう本当に何もない。シャンメイがルシャナに言った。
「数珠が全て終わりました。」
 ルシャナはフローラの傍に来て、頬を撫でた。シャンメイも傍に寄って手を取った。さらにそこにヴィクトルも幸隆も手を重ねて頷き合った。この時には全ての力を使い果たし、五人とも全身に深い傷を負っていた。
「我が妻よ。娘よ。そして幸隆よ。ヴィクトルよ。私は、そなた達に勇気づけられ、大いに助けられた。帰ろう、我らが故郷へ。」
 家族三人は互いに手を取り合って、そしてヴィクトルと幸隆もその後を追うように、惑星ルシアの上に落ちていった・・・。
 こうして、彗星99は、惑星ルシアにも、その二つの衛星にも全く何の影響を与えずに粉々になって漆黒の宇宙空間に散ったのである。

 衛星イスカ周辺では、菩薩たちが覚者の帰りを待っていた。ふたつの光がはるか上空から落ちてくる。
「あれは覚者様たち!」
 三人の菩薩が飛び出そうとした時、それを引き留めた者がいる。
「私に任せよ。」
 次の瞬間、その声の主は五人の覚者を同時に広い懐に抱き止め、惑星ルシアの重力圏内までそのまま移動した。ルシャナが薄くなっていた意識から目覚めて、その名を呼んだ。
「我が師ルシア・・・。」

 五人の覚者と菩薩は、すぐに目覚めて法力を取り戻した。空中に坐し、星の精霊ルシアに一礼する。全身の傷は完全に癒えて、まるで何事もなかったかのようだ。
 実は、その出来事の一部始終は、ルシアの法力によって全世界の生きとし生けるものに見せられていた。人々や精霊たちは地上で歓喜の声を上げていたが、これから星の精霊ルシアの為すことをもっとよく知ろうとして沈黙した。
「覚者ルシャナよ。フローラよ。シャンメイよ。幸隆よ。ヴィクトルよ。また、かつて精霊だった者たちよ。そなた達の働きにより、私とその上に生きている者たちは救われた。心より礼を申す。」

 ルシャナは言った。
「我が恩師ルシアよ。私たちは、これからも覚者としての務めを果たそう。
 人々よ。惑星の危機は今は去ったが、とこしえに全く正しき智恵を求めよ。それが、そなた達の権利である。求められれば、私たちはいつでもどこにでも顕現して、そなた達の智恵の橋渡しをする。ゆめゆめ忘るることなかれ。」
 シャンメイがかき鳴らす五絃琴の音と共に、光り輝く花びらが降り注ぐ。ルシャナの言葉を残して、彼らは一斉に消えた。

 その後、人々は感謝と尊敬の念を込めて、ルシャナ達四人の覚者と四人の菩薩たちを合わせて『八大救済者』、惑星ルシアを『ルシャナの仏国土」と呼ぶようなった。先だっての説法の一節を胸に刻みつつ。

『穏やかな花よ、温かな花よ。
みな手を取り合って共に光り輝く花の園に行って憩おう。
花にてみな幸せに。悟りよ、幸あれ。』

(完)

あとがき

 この物語は、2018年3月18日から、2020年7月30日までのあいだ、拙作ブログに掲載したものに、改めて手を入れた作品です。
 私自身がもう還暦となり、自分の中にある諸々を全て吐き出しておこうと思ったのです。
 十代後半頃から風邪で寝込んでいた時などに暇つぶしで想像していた物語が第二編から第三編にかけての基礎になります。
 当時から好きだったもの・・・刑事ドラマ、忍者、特撮もの、SF、恋愛への憧れ、語学、そして仏教などを入れ込みました。
(私が育った子供時代は、ちょうど特撮ものの創成期であり、ホームドラマや時代劇の全盛期でもありました。俳優さんたちは有名になると刑事ドラマに出演するのがお約束、制作側も良い人材を発掘して育ててやろうという機運が強かった、そういう時代でした。)

 ただ、どうせ書くのなら『現代の仏教説話』を書きたいと思ったのは、実際に作品を書き始めてすぐの頃です。
 さらに、書き始めた頃の『第一編』は如何にも説教くさく簡単すぎてつまらないものでした。でも、第二編、第三編と書いていくうちに慣れてきて、第四編を終わる頃にはまた第一編を新しく作り直すだけの心の余裕が出来ていました。そのために他の所にも多くの手直しを強いられましたが、結果的にはそうして良かったと思っています。
 不思議なもので、わりと気楽に決めた設定が、うまく後の流れに沿う、ということも多々経験しました。もともとのお話と変えた人名や地名は数知れず。人生が全く変わってしまった登場人物もかなりいます。その中でも不思議とお話がうまく回ったのです。
 ただ一点、第4編に性的加害事件を起こす必要が出来てしまったことには、悔いが残りますが。

 この物語の舞台は、擬似的な18世紀の地球をイメージしました。(第1編のみ8世紀頃。)
 各大陸に国家は各々一つに統一され、一般市民が好きなときに集まるだけの議会と、その承認を得て成り立つ立憲君主制、海はどこの国にも属さず、治安維持管理を国際機関が担う。原子力発電は発明されず、平和が何よりも尊ばれる・・・。もし地球がこうなっていてくれたら、という私自身の理想を、惑星ルシアに込めました。

 物語は巨大彗星の接近で終わりますが、もちろん地球では覚者や菩薩が防いでくれる訳ではありません。その時、私たち人間は、各国が要らぬ覇権争いを愚かにも続けているでしょうか。或いはまた、ひとりひとりが相も変わらず自分の価値観だけで他者と接し続けているでしょうか。運命は、いつ何時終わってしまうか分からないというのに・・・。
 そして、この物語は私にも使えるだけの言語を使い倒していると言っても過言ではありません。ドイツ語とスペイン語の単語帳を買い、ロシア語やアラビア語の名前などをインターネットで引き出し、私の記憶の中から日本各地の方言を捻り出しました。仏教関係の書籍も幾つか。なお、作品中『供養』『手向ける』は、『渡す』とか『授ける』といった意味合いで使っているところがあります。それは仏教的な表現とお考え下さい。
 アラビア語圏は特に気を遣いました。私は一介の日本人ですから、イスラムにはくれぐれも失礼のないように、と心がけたつもりです。しかしながら仏教的視点は、一神教の世界においても信仰と共存させることが可能なのです。

 最後に、感謝を込めてルシャナの一節を読者の方々に捧げます。

『穏やかな花よ、温かな花よ。
みな手を取り合って共に光り輝く花の園に行って憩おう。
花にてみな幸せに。悟りよ、幸あれ。』

2023年5月6日
2024年秋 改訂

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三毛猫モカ@エッセイスト&プログラマ
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