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ルシャナの仏国土 海洋編 26-30


二六.星を守護する者

 アムリタが眠っているあいだ、オンネトとボーディ、ガルーダは、その傍を片時も離れなかった。
「ボーディ、そなたも少しは休め。付きっきりではないか。」
「いえ、皇帝陛下こそ、どうかお休みを。私は騎士。これくらい、どうということはございません。」
 二人は互いに譲らない。見かねたガルーダが折衷案を出した。
「二人とも、いい加減にせんか。アムリタを思いやるのは結構だが、それでは二人とも保たぬ。交代につけば済むであろうが。うるそうて敵わん。」
 そういうガルーダも付きっきりだった。精霊鳥ゆえ、人間ほどは眠りを必要としないらしいが。

 ライランカの人々も、時折様子を見に来た。アレクセイが見舞いに来たときにボーディが手紙を差し出した。
「アレクセイ帝陛下、こちらにイリーナ・タラノヴァという方が環境局長官でおられるとか。キャプテン・ホルスからその方宛てに手紙をお預かりしております。」
「キャプテン・ホルスですか!お会いになったのですか?」
「は。たまたま同じ港に寄港いたし、貴方様にお会いするには、その方の紹介が必要であろうということで。・・・お手紙の内容そのものはもはや必要なくなりましたが、他にも何か書かれているかもしれません。」
「なるほど。それでは、早速呼びましょう。」
「それから、もう一人テレポートさせてよろしいでしょうか?港に停泊中の船には、キャプテン・ホルスともイリーナ殿ともごきょうだいの関係になられるシャンメイ・リン殿が乗っておられるのです。」
「そうでしたか。もちろん構いませんよ。実は私は、キャプテン・ホルスとシャンメイ殿とも、末っ子として扱ってもらっていて、よく知っているのです。」
 アレクセイはボーディに、自分も環境設計家のきょうだいに加えてもらった経緯を話した。ボーディは、前にシャンメイから聞いた話を思い出しながら、彼の話を聞いた。

「やれやれ・・・。今度はシャンメイかい。あんまりうちから人を持っていくんじゃないよ。ドロボー。」
 マグダレナは、笑いながらシャンメイの上陸を許してくれた。
「イリーナねえ・・・もう何年会っていないかしら。」
 シャンメイは姉の顔を思い浮かべながら、ボーディのテレポートに乗った・・・。

 イリーナは、もう部屋に来ていた。
「久しぶりね、シャンメイ。」
「イリーナ姉!」
 きょうだいとは良いものだ・・・と、ボーディは思った。ボーディには兄が一人いるのだが、騎士の家系では仲が良いというよりも武術の練習相手である時のほうが多かった。
「弟からの手紙を届けてくださって、どうもありがとうございました。今回は妹と弟にも会えて嬉しゅうございます。」
 イリーナがボーディに言った。
「いえ。キャプテン・ホルスには、ご助力いただきました。こちらこそありがとうございます。それにしても、ごきょうだいとは良いものですな。我が家は騎士の家系ゆえ、武術の稽古相手にしかなりません。」
「きっと、そんなことはないと思いますよ。貴女のお兄様も、貴女の身を案じていらっしゃるはずです。」
 イリーナは言った。
「私の兄の一人は、亡くなりました。でも、その代わり新たな弟や甥と姪たちを残してくれたと思っています。」
 シャンメイが言った。
「ところで、アリョーシャ。ホルス兄から、貴方の剣を見せてもらうようにと言いつかってきたわ。改めて拝見してよろしいかしら?」
 ボーディも思い出した。ホルスが言ったとおり、アレクセイが下げているのは黒い剣だ。
「これですね。たしかに兄上が関わって創設された剣です。しかし今ここでは、アムリタ様が休まれている。警護課の武道場に行きましょう。」
 たしかに、姫君が眠っている近くで剣を抜くのは適切ではない。
 アレクセイは、イリーナとシャンメイを連れて部屋をあとにした。アムリタの周りはまた静かになる。
(アムリタ様、どうかお目覚めください。)
 ボーディは祈った。

 三日目の朝、アムリタが目を覚ました。
「気が付いたかね。」
 ガルーダの声ではっきり目が覚めた。
「ガルーダ、私・・・?」
「君は魂帰しの儀式を無事に成し遂げた後、三日間眠っていたのだ。私は眠らずとも良いのだが、オンネトとボーディはどうしても君についていると言って聞かぬでな。身を起こして横を見なさい。」
 彼女はベッドの上に起き上がった。傍らには、オンネトがうとうとと眠っている。
「オンネトは、君に回復術をかけ続けたのだ。親心とは有り難いものだな。」
「お父様・・・。」
 アムリタは涙ぐんで父親に抱きついた。父帝は、その時ようやく疲れから目覚めた。
「ん・・・目が覚めたか、アムリタ。」
「お父様、心配かけて、ごめんなさい・・・。」
「何故泣く?お前は無事に務めを果たした。それで良い。」
「お父様はずっと私に回復術をかけ続けて下さったと、ガルーダが。」
 オンネトはガルーダを見た。
「君も言わんでもよいことを。」
「そう言うな。君とボーディが付きっきりだったのは紛れもない事実だ。私は事実を伝えたに過ぎない。・・・さて、ボーディを叩き起こすか。」
 ガルーダは、扉をすり抜けて行ってしまった。
「アムリタ、よく頑張ったな。テティスは無事に帰っていったよ。空には虹がかかり、海も陽の光に輝いた。お前に送った詩の通りになったのだ。」
「よかった・・・。」
「アムリタ、帰ったら、お前の成年礼と立太子礼を行う。そのつもりでいなさい。」
「えっ・・・。立太子礼って・・・お父様?」
「次の皇帝はお前だと言うておるのだ。よもや他の者がなるなどとは思ってはいまいな。」
 驚くアムリタに、別の声が聞こえた。
「左様でございますよ、姫様。」
 ガルーダを肩に乗せたボーディが戸口のところに控えていた。
「魂帰しの時の姫様はご立派でございました。その記憶を辿った者たちは、みな必ず姫様に敬意と忠誠を誓うことでありましょう。次期皇帝は貴女様に相違ございません。」
「ボーディ、貴女まで・・・。」
 オンネトが優しく語りかける。
「お前には、やることがたくさんあるのではないか。このボーディの処遇、バレンシアやマグダレナをどうする?そしてガルーダもそれを望んでいるのだ。そうだな、ガルーダ?」
「その通りだ。ウユニの地を統べるのは、心優しき者。人の心を理解し、行動できるものに他ならぬ。」
 さらに今、アムリタの耳には、惑星ルシアの声がはっきりと聞こえる。アムリタ・・・汝、星の守護者たれ、と。
「わかりました。アムリタはこの身を尽くします。ガルーダ、これからもウユニを守ってくれますね?」
「無論!」
 鳥は力強い声で答えた。
「そして、ボーディ・・・。重大な規律違反につき、そなたの騎士としての任を解きます。」
「ア、アムリタ様・・・。どうかお許しを!」
 ボーディは、より深く跪き頭を垂れた。彼女にとって、騎士の身分を失うことは死に等しい。だが、アムリタは言葉を続けた。
「そして、本日只今より私の直轄となり、生涯にわたり私の警護を申し付けます。その際は海洋騎士の称号を名乗るがよい。・・・それでよろしいですね、父上。」
「うむ。見事な裁きだ。」
 父帝が言った。アムリタは今、父である私を『お父様』ではなく『父上』と呼んだ。それは、すでに自分を皇太子として認識したということなのだ。そして星の意思は彼の耳にも聞こえていた。
 星の守護者、星を守護する者・・・それはウユニ皇帝の別称だった。

 ボーディの目から涙がこぼれた。
「はっ!この上なき幸せ!この身に代えても必ずや姫様をお守りいたします!」
 アムリタは彼女の肩に手を触れた。その瞬間、ボーディは竜めいた顔から普通の人間にかなり近い顔に変わった。
「そなたの力を、分身竜より強くしました。以後、変わらぬ忠誠を期待します。」
「はっ!ははぁっ!」
 ボーディは、感激のあまり涙が止まらず、しばらくその場を動けなくなった。

二七.キャプテン・マグダレナ

 その日の昼、オンネトとアムリタ、ボーディは、ライランカ王家の人々に帰国する旨を伝えた。
「思いがけず長居をし、お手数をおかけした。このご恩は忘れません。お名残惜しいが、我々は帰国いたす。」
 オンネトは言った。アレクセイが応える。
「そうですか。本当にお名残惜しいですね。お礼を言わねばならぬのは、我々のほうです。守護精霊テティスの魂を助けていただいた。心より感謝申し上げます。今後とも、兄弟国として友好を深めましょう。」
「そして、ご報告とお願いがあるのですが、聞いていただけますかな。」
「何でしょう?」
「このアムリタを次期皇帝に決めました。近いうちに立太子礼を行う所存。皇帝陛下か上帝陛下にご列席をお願いしたいと思うのだが、お越しいただけるか?」
「おぉ、アムリタ姫を!それはおめでとうございます!是非とも参加させていただきますよ。」
 アレクセイたちは顔を綻ばせた。精霊を帰した時の姫は、たしかに皇帝の器に相応しいと思われる。
「私はガルーダに乗せていってもらうので直ぐですが、アムリタとボーディは、ルナ・ブランカという船で帰国したいと申しております。今しばらくのご猶予をいただきたい。出立は、おそらく本日中かと。本当にお世話になり申した。」
 主従三人は揃って頭を下げた。
「ときに、アレクセイ帝陛下、貴方の立太子礼の時のお約束、覚えておいでですかな?いつか立ち合いをすると。ここには我が国でも指折りの騎士もおりますし、この機会にぜひお相手をお願いしたい。」
 指折りの騎士・・・ボーディは、その言葉を噛み締める。
(皇帝陛下、ありがとうございます。ボーディは、果報者にございます。・・・)
「もちろん覚えておりますとも。もう一人、お相手を務められる者がおります。騎士殿のお相手はその者にさせましょう。それでは、これからご案内いたします。」
 アレクセイは三人を宮廷警護課の武道場に案内した。そこには、レオニードの姿があった。
「貴方は、エカテリナお姉様の・・・!」
 アムリタは、思わず声を出した。レオニードはきちっと敬礼しながら微笑んだ。
「は。ライランカ警察本庁宮廷警護課所属警視レオニード・カンザキと申します。」
 アレクセイが説明する。
「実は、彼は私の警察学校時代の同期生にして友人。共にファイーナ姫から選ばれて、オルニアから帰化した者なのです。クファシル公卿はその警察学校の校長でした。ボーディ殿、彼は私より強い。多少の手応えは感じられるはずですよ。
 それから、私の剣をご覧になりたいとのことでしたね。シャンメイ姉には先日見せて、立ち合いもしました。」
 彼は、いつかホルスに見せた時と同じように、黒い剣を鞘ごと抜いて縦に持ち、青白く光る銀色の刀身を半分くらい見せた。
「これが警察官級の剣です。その名の通り、現在は警察官しか所持していません。」

 それから、各々が木刀と木槍に持ち替えて立ち合いが始まった。アレクセイとオンネト、レオニードとボーディ・・・周りに居合わせた警護官達は息を呑む。アムリタも本格的な立ち合いを見るのは初めてだったが、それが尋常なレベルでないことは、警護官達の表情から判る。
 二時間くらい経ったろうか、アレクセイが立ち合いを止めた。
「もう満足されたことと存じますが、オンネト帝陛下。」
「左様ですな。我々も退きましょう。よいな、ボーディ。」
「は。・・・それにしても、レオニード殿はお強い。感服仕りました。」
「貴女こそ。さすがは騎士殿。貴女のような騎士が数多おられるウユニというお国、私も行ってみたくなりました。しかしながら、その腕に加えて特殊能力を使われてはとても太刀打ちできませんね。」
 彼は笑った。オンネトが言った。
「いや、良い汗をかかせていただいた。感謝申し上げる。それでは本日はこれにて失礼いたす。次回はレオニード殿も是非ウユニにお越し下され。」
 オンネトはガルーダに乗せられて去って行った。

 アムリタもボーディを伴って、エカテリナのところに寄ってから港に向かった。マグダレナが待っていた。
「まったく・・・バレンシアとシャンメイを連れていったかと思えば、アムリタは三日も寝込んでいたというじゃないか!あんまり心配させるんじゃないよ!」
 マグダレナはアムリタを抱きしめた。アムリタが何かの儀式を為して倒れたらしいという話は、シャンメイを通じて彼女の耳に入っていたのである。
「・・・キャプテン・・・心配かけてごめんなさい。・・・でも、あったかい・・・。」
 それは、母親の温もりだった。
「大きな虹が出てたよ。海もきらきらしてさ。それも、あんたと何か関係があるんだろ?ま、うちらにはあまり関わり合いはないだろうがね・・・。さあ、出航だ!」
「はい。」
 二人は船に乗った。船はもう当地での貿易を終え、あとは二人を迎えるだけの状態にしてあったのである。
 舵が落ち着いて、シャンメイに任せられるようになると、マグダレナは二人をまじまじと見た。
「おやぁ?ボーディ・・・あんた、なんか綺麗になってないかい?」
「さあな。見てくれには興味ないのだが。しかし私はアムリタ様の直属となり、新たに『海洋騎士』の称号をいただいた。なお、アムリタ様は、帰国された後には正式に皇太子となられることになった。くれぐれも失礼のないように。」
「おや、そうかい。それはめでたいねぇ。だが、この船ではこれまで通りだ。ちゃんと働いてもらうよ。」
「はい、勿論です。」
 アムリタが答えた。
「アムリタ様!」
「良いのです。アレクセイ帝陛下も、時折武道場に通ってらっしゃるそうですよ。普通でいられることの有り難みを忘れてはなりません。
 ときに、キャプテン・・・この船ですが、ウユニ船籍の公船にしませんか?何も海賊を装わずとも、公船にすれば海洋警察の警備官をつけられます。女性警官限定で指定することも可能ですよ。
 それに、キャプテンもご承知の通り、我が国の国民を乗せてくれる船はまだまだ少ないのです。少しでも誤解を解いていきたい。
 貴女も、別に我が国の国籍にならずとも良いのですし。一度、考えてみていただけませんか?」
 アムリタは、すでにマグダレナの経歴を承知していた。アムリタがマグダレナの記憶を辿ってみたのは、まだ彼女たちが出会ったばかりの頃だったが・・・。マグダレナは、もともと商船の船長の妻で、海賊に襲われて亡くなった船員たちの妻子を援助するために貿易を始めた船長夫人だったのだ。
「そうさねぇ・・・あんたが王室にいるとなれば、安心は安心だね。ただ、バレンシアがどう思うか・・・。」

 船が沖まで出た時、アムリタとボーディは何か幕のような透明なものが自分たちの体をすり抜けるのを感じた。やがてライランカ大陸全体を視野に収められる場所まで進んで振り返ると、大陸を虹のような気配が覆っているのが見えた。

二八.ウユニの虹

 ウユニの近海上空まで帰って来たガルーダとオンネトが見たのは、ライランカ大陸と同じように形を変えた祖国の姿だった。
 惑星ルシアの北端と南端に位置する二つの国では、季節は逆になる。ライランカが夏で白夜の今頃、七月のウユニは冬で昼間でも太陽は地平線近くを動くだけで夕方は早くから暗闇同然になっているはずだった。それが今は、仄かながらも街並みや森の風景が見えるのだ。ライランカ大陸を覆っていたオーラと同じものがウユニ大陸にも被さっている。その幕の光が反射しているというのか?

 海辺の岸壁に近い時間城の前の広場に降りたつと、ガルーダが言った。
「オンネト、案ずることはない。二つの大陸に被さっているオーラは、惑星ルシアの祝福の印だ。よいか、アムリタが帰って来たとき、国じゅうに響き渡る星の声を聞き逃さぬように皆に命じておくのだ。それを以て、皆がアムリタの立太子を受け入れることになるのだからな。」
「わかった。そういうことか。・・・ガルーダ、改めて礼を申す。ありがとう。」
「とにかく良かったな。私はルシャナ様にお会いしてから帰る。」
 ガルーダは時間城の中へ飛び去った。

 オンネトが城に帰って来たのを見た妃のサトヴァと臣下たちが、慌てて彼の元に駆けつける。
「あなた、アムリタは、あの子は・・・?!それにこの異変は一体・・・?!」
 オンネトはひと呼吸おいてから言った。
「サトヴァ、それから皆の者、急に城を留守にしてすまなかった。よく聞いてくれ。
 アムリタは無事だ。今は、船で帰国の途についている。おそらく二ヶ月ほどで着くだろう。私は、アムリタを次期皇帝に定める。これは、この星の意思でもある。」
 周りから響めきが起こった。アムリタが国を出たとき、彼女はまだ繭から出たばかりで特殊能力はさほど強くは感じられなかった。いずれは皇帝が姫君を後継者に指名するにせよ、それは少し先のことだと思っていたのである。
「アムリタは、ライランカにて守護精霊テティスの魂を『魂の揺りかご』に帰すという大切な役割を果たした。その様子は、各々私の記憶を辿るがよい。
 『魂帰しの儀式』を行うには、それ相応の妖力と星の意思を伝えられる力を併せて有していなければならぬ。アムリタは、それを見事にやってのけた。よって、次の皇帝はアムリタ以外ない。
 また、これは精霊鳥ガルーダから教わったことだが、今、この大陸にて起こっている異変も、惑星ルシアが精霊の魂を迎え、この地とライランカ大陸とを祝福していることの現れなのだそうだ。
 そして、アムリタが帰国する際、星の意思がこの国中に鳴り響く。それを聞き逃さぬように、全土に命ずる。
 改めて、皆の者に申し渡す!明日より、アムリタの成年礼と立太子礼の準備をせよ!時期は、三カ月後の十月十八日とする!」
 その日は、アムリタ十七歳の誕生日であった。

 オンネトは自室に戻った。ほんの四日ほど空けただけなのに、ひどく懐かしい気がした。遠く離れた異国での娘との再会と次期皇帝の決定、守護精霊テティスの『魂帰しの儀式』、ボーディの処遇問題、エカテリナとバレンシアとの再会、アレクセイ帝との親睦・・・ひとつひとつが重く、大切な事ばかりであった・・・。
 サトヴァが静かに近づいてきて。彼の胸の中に入った。
「オンネト、あの子は・・・あの子はどうして貴方と一緒に帰って来ないの?あの子は私たちの娘なのよ!」
「サトヴァ・・・一人きりにさせてしまったね。心配をかけて済まないと思っている。
 あの子はね、自分をライランカまで乗せてくれた船で帰って来るのだ。おそらくその船をウユニ船籍の公船にするつもりなのだろう。それに、傍らには騎士ボーディがついている。我々はただ待っておれば良いのだ。」
 オンネトは妃を暖かく包んだ。気持ちが落ち着くと、サトヴァは彼の留守中に起きた出来事を話し始めた。

 彼がいつの間にかいなくなったその次の日の夜明け前、突如として空がほんのり明るくなり、大きな虹が架かった。彼女を含む、妖力の強い者たちには、大陸全土が薄く暖かく爽やかなオーラに覆われたのがわかった。そしてその三日後、香りたつ無数の花びらが降ってきて、どこからともなく妙なる声が聞こえた。『アムリタ・・・汝、星の守護者たれ』と。

「その声は、私もライランカで聞いた。それは、この星の意思なのだ。あの子は、『魂帰しの儀式』を無事に終わらせると、三日三晩眠り続けた。しかし、もう心配は要らぬ。あとはあの子の帰国を待つだけだ。・・・私も疲れた。君には申し訳ないが、少し休ませてくれ。」
「オンネト・・・。」
 彼女は、夫に付き添って、彼が眠りにつくまで見届けた。自分も寄り添って眠ろうとした時、彼女は彼にも異変を見つけた。数日前より妖力が強く感じられる。そして、それまであった獅子の爪や尾が無くなっていたのである。オンネトに残されているウユニの印は、獅子のたてがみと耳だけだった・・・。

 翌朝、オンネトは騎士団長・天空騎士パラガテを呼び出した。彼はボーディの実兄である。
「ボーディがアムリタに付き従ってくれていることは、先日話した通りだ。騎士が皇帝の指示なしに持ち場を離れることは重大な規律違反となるが、ボーディはそのことを覚悟の上で娘に付いて守護してくれたのだ。
 私の目の前で、アムリタはボーディに処罰を与えた。水竜騎士の称号を取り上げて規律違反の罰とし、新たにアムリタ自身の直轄部下として召し抱え、海洋騎士の称号を与えた。よって、そなたはもはやボーディを咎めだてする必要はない。帰国したら、妹を労ってやれ。」
 オンネトは跪いているパラガテの肩に軽く手を置いた。
「皇帝陛下・・・。お心遣い、誠にありがとうございます。しかしながら、私は騎士団を束ねる者。勝手に持ち場を離れた者を自らがそのままにしては、皆に示しが付きません。・・・騎士たちの前で一発殴ってやります。」

 ウユニ国内の新聞各紙は、挙って皇帝の帰還とアムリタ姫の立太子礼の予定、それに先立つ『惑星ルシアの意思』についての記事を大々的に報じた。
 二ヶ月後、アムリタたちが乗った船が接岸した時には、彼女の大いなる妖力が近づいてくるのを感じ取った市民たちで、港が埋め尽くされていた。
 オンネト、サトヴァ、ムーム、パラガテと彼が率いる騎士団が、その最前列で待ち受ける。

 この光景には、マグダレナやシャンメイが驚いた。
「ありゃー、なんか凄いことになってるねぇ・・・。ま、仕方ないか。姫様のご帰還だもんねぇ。」
 マグダレナは溜息をついた。
「いよいよお別れって訳か。寂しくなるね。」
「いいえ。私はこの船を公船にすることを諦めていませんよ。出航までにまたお会いすることになります。ふふっ。」
 アムリタは、明るくそう言って、母国の地に舞い降りた。ボーディも続く。
「私も姫様のお供で来るかもしれぬが、一応言っておこう。
 君たちとの航海は楽しかった。私の称号は海洋騎士。必ずやどこかで会えるものと信じている。それまで、さらばだ。」

 そうして、アムリタがウユニの地に足を着けた瞬間、澄み渡った青空から再び無数の花びらが舞い降りてきて、妙なる声が響きわたった。
『アムリタ・・・汝、星の守護者たれ。ウユニの守護者たれ・・・。我はルシア、星の意思なり。・・・ウユニの地に祝福を・・・。』
 港にいた市民たちから、惜しみない拍手と歓声が上がった。オンネトが近づき、サトヴァが彼女を抱きしめた。
「アムリタ・・・おかえり。」
「母上、ただいま戻りました。」

 パラガテは、ボーディに近づくと、いきなり雷を落とした。
「ボーディ!勝手に持ち場を離れるとは、重大な規律違反だぞ!皇帝陛下や姫様はお許しになっても、兄の私が許さん!一発殴ってやるから、歯を食いしばれ!」
「はい、兄上!申し訳ございませんでした!」
 ボーディは、彼の前に顔を差し出した。パラガテは、妹の頬を平手打ちした。
「・・・心配かけおって・・・。」
 小さく呟いた。騎士団が見守る中、兄は妹をそっと包み込んだ。
「・・・兄上・・・。」
 その光景を、アムリタとオンネトも見ていた。騎士の涙が見えた。

 一方、ルナ・ブランカ号の入口では、ムームがシャンメイのところまで来ていた。この二人も数年ぶりに顔を合わせる姉妹だ。
「ムーム、立派になったわね。」
「お久しぶりです、シャンメイねえ・・・。待ち遠しかった。」
 マグダレナは、改めて今は亡き環境設計家に思いを馳せた。これほど多くの優秀な人材を育て上げて、世界各国に放つなど、ドクター・ベッカーとは果たして如何なる人物であったのだろうか・・・と。

二九.架け橋

 キャプテン・マグダレナは、とうとうアムリタの熱意に負けた。ルナ・ブランカ号は、正式にウユニ船籍の貿易船に登録された。壊れていた箇所もきちんと修理され、外観も白く塗装された。側面にはウユニ王家の紋章『空飛ぶ鷹』が付けられている。
「あやー、ずいぶんと変われば変わるもんだねぇ。ま、仕方ないな。」
 マグダレナは、しみじみと己が船を眺めた。これまで、船員たちの家族を援助してきた船、故郷を離れた女たちを受け入れてきた船、世界を回って珍しい物を売り買いしてきた船・・・。
「この船が果たす役割は変わりませんよ、キャプテン。船長は貴女です。」
 アムリタはそう言った。
「ただ、公船となれば、海洋警察から警護官を呼べます。申し訳ないけれど、キャプテンとシャンメイさんだけが強くても限界があります。キャプテンご自身も、バレンシアお姉様も、シャンメイさんも、私には大切な人なのです。そしてどうか、ウユニとライランカ、二つの国の架け橋になって下さい。」

 やがて、アムリタの立太子礼の日が来た。船がまだ工事中だったので、マグダレナはウユニにいた。そこへ、ボーディが使いとして訪れた。
「キャプテン、久しいな。元気か?」
「おや、ボーディじゃないか。何の用だ?」
「忘れたか、今日は姫様の立太子礼の日だぞ。」
「それがどうしたね?あたしらには関係ないね。」
「嘘をつけ。本当は気になっているのだろう?迎えに来てやったのだ。これは、姫様のご希望でもある!」
 ボーディは、半ば強引にマグダレナとシャンメイ、バレンシアを一緒くたにして分身竜スヴァーハーに乗せ、時間城へ飛んだ。テレポートでもよかったが、この機会にウユニの国を空から見ておいて欲しかった。
「これが我が祖国だ。遠くに高い山があるだろう。あそこにはガルーダが住んでいる。」
 ガルーダには、バレンシアが会ったことがある。
(あぁ、あの鳥さんね。)
 バレンシアはライランカで会った喋る鳥のことを思い出した。たいそう偉そうな話し方だとは思ったが、それでいて嫌な印象は受けなかった。

 美しい前庭を抜けて城内に入る。
 大広間には、すでに大勢が集まっていた。最前列にアレクセイの姿が見え、彼女たちが案内された席のそばには、エカテリナと警察官の制服を着たレオニード、それにバレンシアが知った顔が五人いた・・・あのとき身を盾にした仲間たちだ。彼女たちは、それぞれに違う名目で招待を受けていた。久々の再会を喜び、近況を語り合った。バレンシアとエカテリナは、その時初めてアムリタがずっとウユニ国外にいた自分たちを探したいと言っていたことを知った。国内の被害者たちは、幾度もアムリタの訪問を受けていたのだ。
「そして、私とカーチャに会うために国を離れたのか・・・。」
 バレンシアが呟いた。

 最前列では、アレクセイが後ろにいたムームに声をかけていた。ムームは丸顔だったが、茶色い髪からは尖った三角形の耳が突き出し、狐のようにふさふさした尾を持っている。
「ムーム姉、お久しぶりです。よかったらまた、ライランカに来てください。」
「会えて嬉しいわ。それに、姫様のこと、どうもありがとう。」
 ムームはアレクセイに手を差し出し、二人は両手で握手した。
「アムリタ姫は、とてもご立派なご活躍をされました。私はこの場にいられることを誇りに思います。」

 アレクセイが次に話したのは、音楽の国・カルタナの皇子ブルクハルトだった。前回ライランカで会った当時まだ七歳だった彼は、今ちょうどアムリタと同じ十七歳。今回は一人で数人の臣下を率いてやって来た。
「ご成長されましたね、ブルクハルト皇子。私を覚えておいでですか?」
「お久しぶりです、アレクセイ帝陛下。私も陛下のそのお優しいお顔をよく覚えております。次回はぜひカルタナをご訪問ください。」

 式典が始まった。オンネト、サトヴァ、アムリタが入って来る。オンネトが式典を取り仕切る。
「お集まりの来賓の方々、この度は、我が娘アムリタの立太子礼にお越し下さり、どうもありがとうございます。王家の力は十分に備えておりますが、この子はまだ若い。どうか暖かく見守ってやって下さい。
 また、臣下の者。先日の美しい星の祝福を見たことと思う。アムリタは、紛れもない星の守護者。以後、忠誠を尽くすよう。」
 父帝は、跪く娘に王冠を与えた。
「アムリタ、汝、星の守護者たれ。ウユニの守護者たれ。・・・これからは国に尽くせ。国民のために尽くせ。よいな。」
「はい、父上。アムリタは、この国を守り、星を守ります。」
 大広間は、拍手と歓声で満たされた。

「やはり来てよかったであろうが。」
 ボーディがマグダレナに言った。船長は涙ぐんでいる。
「バカ、こっちを見るんじゃない。あんたは、姫様だけ見てりゃいいんだ。」
「君たちはもう我が国の船の乗組員だ。この城にも堂々と入れ。何かあれば、私から皇太子殿下に取り次いでやる。」
「皇太子殿下・・・か。何だかあの子が遠くなっちまいそうだねぇ・・・。」

 ところが、その新しき皇太子は、実に気楽に国じゅうを飛び回った。自力で飛行できることもあったが、気持ちの有り様として自国のことをできうる限り知りたかったのである。
 そんな彼女はある日、もう数日で出航する予定のルナ・ブランカ号を訪ねた。ボーディのほかに、三人のウユニ人を連れている。
「キャプテン、船員希望者を三人連れて来ました。きっとお役に立ちますよ。」
「おや、これはこれは。皇太子殿下じゃないですか。わざわざのお運び、誠に恐悦至極に存じ上げます。」
 マグダレナは、わざとおどけた調子で挨拶した。内心は寂しかったのだ。
「キャプテン、冗談はやめて下さいよ。アムリタで結構です。」
「そう言われてもねぇ・・・。それじゃ、姫さんでどうだい?そう呼ばれたこともあったんだろ?」
「え。まあ、それなら。・・・紹介します。魚族サッタ、鳥族ハンナ、霊族シャリナです。海に出たい者を募集したら、三十人集まって、その中から選びました。使ってみて、あとから補充するなり何なりしましょう。
 みんな、この方がキャプテン・マグダレナです。口は悪いけど、優しくて頼りになりますよ。」
「何ぃ?あたしの口がどうしたって?ま、いいや。あたしが船長のマグダレナだ。よろしく。」
 アムリタとマグダレナは、お互い顔を見合わせて笑った。
「それじゃ、キャプテン・・・また会いましょう!」
 アムリタは空へ去って行った。三人の若き船員希望者を残して。

三十.時間城の秘密

 ルナ・ブランカ号は三人のウユニ人と二人の海洋警察官を加えて出航していった。
 その日の夜、オンネトがアムリタの部屋を訪ねて、こう言った。
「ルナ・ブランカは海に帰った。これでもうお前の懸念はなくなっただろう。これから、お前に教えておかねばならぬことがある。それは、ウユニ皇帝が代々一子相伝で受け継ぐ伝統であり、知識であり、ウユニ最強の盾となるものだ。十分に心せよ。」
 彼はアムリタを城のほぼ真ん中に位置していると思われるところにある扉の前まで連れて来た。アムリタはその扉の向こうを知らない。鍵穴のない『開かずの扉』だったからだ。
 オンネトは、少し後ろに下がった。
「この扉が開くように念じてごらん。」
 アムリタは、魂帰しの時と同じように意識を体の内側に集中させた。扉のほうに青い光を感じ、それに波長を合わせる。
(私を通りたいか・・・。星の守護者の後継者よ。・・・)
 静かな声が聞こえる。
(私はアムリタ。ウユニの国を守る者。扉よ、中に入るのを許して。)
 まもなく彼女の体を何かがすり抜けた。それはまるで走査されているような感覚だった。
 扉は音もなく静かに開いた。
「扉はお前を認めた。これからはお前が来るだけで、この扉は開いてくれるだろう。先に進むぞ。」

 扉の向こうは、昼間のように光があり、上下左右どこを見渡してもただの『空間』にしか見えなかった。確かに『立っている』感覚はある。しかしそこは、床でもなければ地上を見渡す空でもない。アムリタにはまるで異空間に迷い込んで浮いているかのように思えて、目眩を起こしそうになった。
「これ、しっかりせい!父がついている。慣れるまで父に掴まっていなさい。」
 アムリタは必死で父親の腕にしがみついた。
「お前がこの空間に慣れた頃に、あるお方が姿を現されるはずだ。
 それまでの間に私からも少し教えておく。
 お前は、何故この城が『時間城』と呼ばれているか、考えたことはないか?
 それは、この『くうの間』であらゆる『現在』と『過去』を見ることができるからなのだ。例えば・・・。」

 目の前に、火山の噴火口が現れた。見知らぬ男性がウユニの五つの種族を前にして何かを話している。
『これよりは、皆が手を取り合い、この大陸全体を大いなる楽園とするのだ。種族間の違いで争うことはもうない。全ての国民は、平等に幸せに暮らす権利を有する!良いな!』
 人々が『ウユニ万歳!』と叫んだ・・・。
「あれが、我がウユニ統一の祖・アヒムサーだ。約二千年前にあたる。種族間の争いを終わらせ、他国からの攻撃をエネルギーバリアで守るきっかけを作った。」

 次に、今いる空間と思われるところで、瑠璃色の髪をした黒衣の男性が二人いて、そのうちの一人がもう一人と重なった。
「今から千年前、この時間城は、星の精ルシア様直接のご指示により、惑星の真の自転軸であるこの場所に建てられた。覚者ルシャナ様は、人間としての生涯を終えられた後、ルシア様と同一存在になられたのだ。そして、今も我々を見守り、導いて下さっている。
 我々は、その法理によってこの城で過去も現在も見せて頂けるのだ。故に、この城は時間城と呼ばれ、ウユニ皇帝は代々『星の守護者』の別称を持つ。」

「場所を変えるぞ。」
 また目の前の光景が変わった。
 今度は、オンネトがガルーダと話をしている。傍らにはまだ幼い女の子がいた。『オンネト、その子は私が引き取ってもよいぞ。』ガルーダが言った。・・・
「あ・・・。覚えてる・・・。私が父上に引き取って貰った日・・・。」
「今までお前が辿れたのは限定的で主観的な、目の届く範囲の者の『記憶』のみであった。
それが、これからはお前にも、こうした『客観的な過去』を見ることができるようになる。だが、それはあくまでも国のため、世界のために、過去を見て学ぶためのものだ。今お前に見せたのも、これからウユニをお前にも任せるにあたって役に立つ知識だ。
 さて、まもなく覚者ルシャナ様がお姿をお見せになるだろう。坐して軽くお辞儀をして礼を尽くすのだぞ。」
 オンネトは、アムリタの手を離し、胡坐をかいて坐った。アムリタもそれに倣う。その空間にいることに少し慣れて、つかまらなくても平気になっている。

「オンネト、アムリタ、此度はよく役目を果たしたな。見事であった。」
 穏やかな声が聞こえ、一つの人影が見え始めた。始めはボーッとしていたが、だんだんはっきりしてくると、墨染の僧衣を纏った一人の男性が坐してこちら側に移動しているのだと分かった。墨染めの僧衣を纏い、瑠璃色の髪を後ろで緩やかに束ね、眉間には金色の点が柔らかく光っている。その後ろからはあの黄金の錫杖が付き従うように近づいて来ていた。
「覚者ルシャナ様。」
 オンネトは坐したまま頭を軽く下げた。アムリタもそれに倣う。
 アムリタは、ルシャナのことをひと目で安心して会える人だと思った。柔らかな眼差し、漂う安定感、全てを正確に観ているような清らかさ・・・こんなに心が大きな人には会ったことがない・・・。

「久しぶりだね、オンネト。今日は、後継者を連れて来たのだね。」
 ルシャナと呼ばれた人物は、優しく親しげにアムリタを見た。
「私はルシャナ。また星の精ルシアと同一存在である。長きにわたり、ずっとこの星を見ている。そなたのことも知っている。私は、星の守護者の相談相手だ。何か迷ったら、私と話してみるといい。助けになると思う。
 さて、そなた達はこの錫杖のことが気になっていたと思うので話しておこう。これは私が各地を巡っていた時代に作って使っていたものだ。平たく言えば、災難除けの杖だな。もともとは樫の木から彫り出して作ったものだが、あちこちを歩いているうちに、星の法力が積み重なり、初めの材質と完全に入れ替わった。今では純粋な法力の塊だ。これはもはや人間の手が届くところにあって良い物ではない。『魂帰しの儀式』が終わったら回収するようにと、私からあらかじめガルーダに指示しておいたのだ。
 アムリタ、そなたは私の精神的な子孫なのだ。そなただけではない。全ての生命体が私の子孫である。私はその生命体たち全てにとっての相談相手なのだよ。オンネトも、時々私に会いに来る。」
「ルシャナ様・・・と私も呼んでいいのですか?」
 アムリタは尋ねた。
「もちろん。皆ずっとそうだったからね。私は君たち全ての生命体の相談相手、ただそれだけだ。他の如何なる区別も、私にはない。いつでも来るといい。」

 ルシャナは、立ち上がって錫杖を手に取った。
「さて、アムリタ。私はこれから星の精ルシアとして、そなたにも過去と現在の全てを見る力を授ける。真に『星の守護者』となるのだ。」
 錫杖の先がアムリタの肩に軽く乗せられ、ルシャナから放たれた光が、彼女の体に吸い込まれていった。暖かくて清らかな感覚だった。
 アムリタは無意識のうちに合掌していた。
「どうもありがとうございます、星の精霊ルシア様。」

 ルシャナは再び坐して話を続けた。
「そして、そなた達には感じ取れなかったかもしれないが、テティスが『魂のゆりかご』に近づく前に、私はテティスに説法を成した。私はそのまま彼女を見送るつもりだったのだが、彼女は遂に自らくさびを抜いた。全く正しい菩薩となり、今は『ゆりかご』の中で『宝華菩薩』として他の者に説法を施している。あの時降った花びらは、新しく菩薩を迎えたことの魂たちの歓喜でもあり、虹は新しき菩薩の智恵から生じたものだったのである。これより後『魂のゆりかご』にては六波羅蜜がより広まることとなろう。善きかな。多くの者たちに幸多かれ・・・。」
 二人は驚いた。あのテティスが菩薩というものになっていたとは・・・。
「覚者ルシャナ様、『菩薩』とはどういう存在なのですか?」
「覚者ではないが、六波羅蜜の全てを知覚していて、覚者になるべき智恵をそなえながらも、敢えてなおも修行し続ける者達のことだ。また同時に、慈悲の心の故に、より多くの者達を救い続ける存在である。
 現在はまだ一人目でしかないが、やがてはその数が増え、その中からより多くの覚者と菩薩が顕現することを、私は望んでいる。六波羅蜜を知覚し、本当の幸せに至る者を増やすことが、覚者や菩薩の喜びであり、生き方でもあるからである。」
 オンネトとアムリタは、話の途中から涙を流し、ルシャナが消えて我に返るまで感慨に咽び続けた。

(「心願成就編」へ続く・・・)

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三毛猫モカ@エッセイスト&プログラマ
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