育休復帰ママに伝えたい「存在」としてのママと、「社会的役割」としてのママ
ゴールデンウィークも開け、仕事に本格復帰したママも多いのではないでしょうか。
4年前、育休から職場復帰した時、とにかく私が悩み振り回された言葉が「ママ」という言葉です。
親切心からくる言葉をたくさんかけてもらったけれど、保育園でも職場でも役所でも病院でも、ママ、ママ、ママ、ママと呼ばれるうちに、「ママ」であることが私の存在意義であることのような、そんな感覚に陥り苦しくなりました。
「ママ」という言葉は、あまりに色々な意味合いを背負いすぎていると思うのです。
そんな考えは、今の時代にはもう古い考えとなりつつあると言われるけれど、まだまだ社会の中の強い既成概念として存在し続けているし、言葉の端々にその考えは強く反映されていると思うのです。
保育園や役所の子ども家庭課がママに電話してくること
乳児検診の問診票に「お父さんは子育てに協力的ですか?」という設問があること
洗濯機の宣伝写真にお母さんと子どもの写真が使われていること…
そうした一つ一つの既成概念を、私たちは自分に向けられた「期待」として受け取ってしまう。
期待されている役割を、立派に果たさなければ。
だってそれが「ママ」なんだから。
私はママなんだから。
でも、ママって本当にそういう役割なんだろうか。
私は、誰にとっての「ママ」なんだろうか。
「ママ」という言葉は、
子供にとっての唯一無二の「存在」としての意味と、社会の中で一定の役割を担う人として「社会的役割」としての意味の二重の意味を込めて使われているように思うのです。
そして、私たちが日頃「ママ」という言葉で思い浮かべるイメージの多くは、「社会的役割」なのではないかと思うのです。
家族の栄養バランスを考えて食事の支度をすること
洗濯をしたり掃除をしたり家の環境を整えること
明日の保育園の持ち物をチェックして忘れずに持たせること
予防接種の予定を立てて病院に連れて行くこと…
みんなみんな社会的役割だと思うのです。
日本という大きな社会なのか、家族という小さな社会なのかはその時々だけれど、「社会にとってのママ」の期待役割にすぎない。
「社会にとってのママ」の役割って、実はいくらでも代替可能なのです。
食事は外食だってお弁当だってあるんだし、そういうものだって栄養満点に作られてる。
洗濯や掃除は、他の家族がやることだってできるし、お金を払えば他人に頼んだり、ルンバやなんかの機械に頼ることだってできる。
子供の持ち物を確認したり予防接種の予定を立てるのだって、ママでなくてパパがやったっていい。
「社会にとってのママ」の役割の多くは、誰がやったっていい、代替可能なもののはず。
でも、その役割を全部全部果たすことが「ママとしての愛情」が十分かどうかを測る物差しであるかのように思えてしまう。
だから、全部背負い込んで、大変で、苦しい。
私は、誰にとっての「ママ」なんだろうか。
私は、「私の子供にとってのママ」のはず。
子供は、ママが毎日ご飯を2品も3品も手作りすることを期待しているだろうか?
掃除や洗濯を毎日しなかったら、私を「ママとして失格」と言うだろうか。
子供は、そんなことは期待してない。
子供が「ママ」に期待しているのは、そこにいて、時々ぎゅとしてニコッとしてくれること。
それだけ。
そこに私が「存在」してさえいればいい。
育休の間子供と過ごしていた時間、私がそこに存在しているだけで、ニコニコ幸せそうに笑う我が子の姿を何百時間もみてきたはずなのに、社会に戻ると突然「社会にとってのママ」の役割をしっかり果たさなければママとはいえないと、重圧に押しつぶされてしまう。
ただでさえ、こんなに小さな我が子を保育園に入れて働いているんだから、世の中のママたちがやっていることを私も完璧にやり遂げなければ私はママとして失格だ。
そうして「社会にとってのママ」を完璧にやり遂げようとするあまり、子供に笑いかける余裕も子供を抱きしめる余裕もなくしてしまう。
大丈夫。
子供は保育園行ったって、帰ってきたらママがぎゅだとしてくれたらそれではなまる満点だから。
時には飲み会に行ったって、出張に行ったって、また自分のところに戻ってきてくれるなら、それでいいんだから。
凝ったご飯を何品も作って欲しいなんて思ってないし、お家を綺麗に片付けて欲しいなんて思ってない。
「社会にとってのママ」を完璧にやる必要はない。
「子供にとってのママ」はそこにいてぎゅっとするだけで、存在するだけで、完璧にその役割を果たしてる。
「ママってしんどい」って思ったときに振り返ってみてほしい。
子供にとってのママという「存在」でいることがしんどいのか、国や職場や家族といった社会から期待される「社会的役割」としてのママの役割を背負うことがしんどいのか。
あなたがありのままのあなたで、ただここに存在しているということ、それが一番大切な「ママ」の役割です。
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