お母さんに優しくできない私が、32歳の誕生日に寄せて、母に対して想うこと。
32歳の誕生日を迎えました。
自分の過去にすっきり別れを告げ、両親に対する感情を確認したからか
今回の誕生日ははじめて、誕生日に、母に対しての感情が湧いてきました。
両親に優しくしてあげられない
両親に優しくすることが、私はとてもとても苦手です。
それは、両親と私との間に起こった出来事が原因というよりは、両親から感じる、「かまって。優しくして。」という私に対する精神的な依存に対する抵抗だったように思います。
母は、ともするとすぐに悲劇のヒロインになってしまうのと、かまってほしくて仕方のない人なので、ちょっとでも具合が悪くなると昔から私の前では重病人のように振る舞います。
「大丈夫?」
「お粥作ろうか?」
私からそういう言葉を聞きたいのだと分かっているのですが、母の望む言葉を返すことには抵抗があり、
「寝てれば?」「大したことないでしょ」
としか言えないのです。
私にかまってほしい、優しい言葉をかけてほしいと思っているのはすごくよく分かるのですが、それに呼応して「具合どう?無理しないでね」なんて言葉に出すのはすごくすごく薄っぺらく思えたし、精神的に依存されればされるほど苦しくて、母が望んでいるのと真反対の態度をとってしまうのです。
父は母のような悲劇の主人公タイプではないのですが、友人がほとんどいなく、拠り所といえば家族だけ、私と母のアテンションを得るために過剰と言えるほど家族サービスをしたがる人。
父自身は「かまって。優しくして。」という態度は出さないのですが、父からの信号をキャッチした母が何につけても「パパに感謝しなさい。」「パパになにか買ってあげなさい。」「パパとでかけてあげなさい。」と父が内心抱えている「かまって。優しくして。」の感情を私が満たすように行動を要求するのです。
感謝をしていないわけではないけれども、母と私に依存する父の姿を見、自分の内から感謝が湧く前に母に感謝の方法まで具体的に指示されることで、自分の中で感謝をあたためて行動で示すよりも先に抵抗感から反発したり、「父が私にしたことを思えば、私は彼に優しくする必要などない」と繰り返し念じて、感謝の気持ちをブロックして真反対の行動を取るようになっていきました。
32歳の誕生日5分前に湧いた、よりそう心
そんなふうにして、とにかく両親に対して、わかりやすく優しい言葉をかけるだとか、愛情深い態度を取るといったことに反発してきた私です。
誕生日に両親に「産んでくれてありがとう」と感謝の気持ちや愛を感じることは残念ながらこれまで一度もありませんでした。
32歳の誕生日5分前、23:55。
ふと今まで想像したことのなかった考えが頭に浮かびました。
私が生まれたのはAM4:24。
32年前の今頃、母は陣痛真っ最中だったんだろう。
私自身が母親になって3年半。
分娩4時間半前なんて地獄の痛みの真っ只中だと身を持って知っていたのに、その日、その瞬間まで全く思い至りませんでした。
そうか、32年前の今頃、母はあの痛みにうめいていたのか。
なんとなく浮かんだその考えを、お腹の奥底まで落とし込んで、ちょっと味わってみているうちにAM0:00を過ぎ、AM0:30を過ぎ…「あと4時間、あと3時間半…」と自分が生まれたAM4:24までのカウントダウンしている自分がいました。
そしてふっと
32年前、母は初めて子供を生む初産婦で、あの陣痛の痛みにうめいている真っ最中で。
きっとその瞬間、いつか私に言葉の暴力を振るってやろうだとか、私に依存したくなってしまうとか、外に男を作ってやろうとかそんなこと思っていなかった。
生まれたあとの授乳のことや寝不足のことでさえ多分考えていなかった。
32年前のこの時間母は、私を産むことだけに全力だったし、陣痛という強烈な痛みを初めて味わう27歳の、今の私より年下の女性だったんだ。
と気が付きました。
感謝というよりは、敬意に近いかもしれません。
彼女も、あの痛みを乗り越えて子供を産んだんだ、それが私だったんだ。
そうか、母はその後子育てする中でたくさん悩み、苦しみ、彼女なりに葛藤し、その末になにがしかの言動をとっていた。
そのいくつかが、結果的に私を傷つけることになったけれど、それは結果論で、彼女も葛藤するママだったんだ。
そう思うと、母に対して「苦しかったんだね、いっぱい悩んだんだね」と話を聞いてあげたいような、過去の彼女に出会って感情の手放し方や、気持ちの伝え方を教えてあげたいような気持ちになりました。
「家族」というのは、とても閉鎖的にな集団だし、あまりに一緒にいる時間が長くて、素直にありがとうというには近すぎる関係で、愛情をまっすぐ伝えるにはあまりに色々な側面が見えすぎている。
それでも32年も生きていれば「そうかそうかがんばったんだね」と心のなかで思ってあげられる瞬間くらいはやってくるのだと、気がついた誕生日でした。
やっぱりまだ自分の中にブロッカーがあって、今回唐突に湧いた気持ちを態度で示したり、両親に言葉で伝えたりといったことはやっぱりできませんが、
「自分なりに精一杯、葛藤しながらがんばったんだね。」
それだけは心のなかで過去の母に向かって伝えようと思います。