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私があらがい続けた「ワーママ」のジェンダー
母の日に寄せて、「ママ」のジェンダーについてのお話を書こうと思います。
私は「ワーママ」「ワーキングマザー」「働くママ」というラベリングがとても苦手です。
そのラベルを利用する人たちがどうとかいうわけではなく「ワーママ」というときの「ママ」にはシンプルに「誰かの親である」という事実以上に社会的性別役割を色濃く持っているからです。
ジェンダーってなんだ
そもそもジェンダーとはなんでしょう?
ジェンダーとは、社会的・文化的・心理的に作られた性別についての概念のことです。
男の子らしい、女の子らしい、男の子は青、女の子はピンク、恐竜は男の子、ハートは女の子、スカートは女性のはくもの、男のくせにメソメソするな、ショートカットの女性はボーイッシュだ、男は女を守るものだ
そういった概念がジェンダーです。
伝統的なジェンダーの価値観として、
家事や育児は女性が行うもの、女性はそうしたことができるべきだ、男性は外で働いて賃金を得て家族を養い守るものだ
という考えは強くこの社会に根付いてきました。
ですが、現代社会ではもはや賃金を得て働くことは男性だけの役割ではないことから働く女性に対して使われてきた「OL」という言葉は聞かなくなりつつあります。
シングル、あるいは結婚はしているが子供はいないという状態での「働く」ことそのものへのジェンダーバイアスは職場でほとんど感じなくて良い時代になってきていると思います。
ところが、子供を産んで社会復帰すると、「ワーママ」というラベルによって職場にひょっこりと性別役割が姿を現します。
それまで働く場において感じることのなかった「女性としての社会役割」を突きつけられることになります。
「ワーママ」というジェンダーの呪縛
「ワーママ」という言葉自体は、「育児と仕事を両立していてすごいね」という賞賛であったり、「育児も仕事も頑張っているよ!」と自分を鼓舞するために使われることが多いように、身の回りを見ていて思います。
ただ私自身は「ワーママ」と呼ばれること、あるいはそう自分を呼ぶことに馴染めませんでした。
職場に復帰してすぐの頃から「子育てしているからあれができないこれができないと思われないようにしなくちゃ」「家事も、育児も完璧にしなきゃ」と必死になって過ごしていました。
立派に「ワーママ」しなければならないと思ったんです。
「ワーママ」の文脈における「ママ」には多くの意味が内包されているように思います。
子育てのメインの担い手、家事のメインの担い手。
それをしながら社会で働く「ワーク」をしているから、両方を兼ねる人という「ワーママ」のラベルが必要になるのだと思います。
いわゆる「ワーママ」と呼ばれる人の多くは、ラベリグが働く前は仕事や、自分のことに全力で直走ってきた人も多いように思います。
前述の通り、子供が生まれる前には社会的にはそれほど強烈に「家事の担い手」「育児の担い手」というジェンダーは突きつけられない社会になってきているからです。
これ自体はとても素晴らしいことだと思います。
問題は子供が産まれたあとに職場復帰をしたときです。
仕事を頑張りたいと復帰し、これまでのように輝けると信じて復帰するのに、突然「女性の役割」を社会的に突きつけられます。
周囲は「お家のこともあるだろうし、無理しないでね」「お子さんがいるから17時以降は会議を入れないね」と優しく手を差し伸べてくれますが、そこにジェンダーの呪縛があります。
「ワーパパ」という言葉に抱く違和感
周囲で、仕事を持っており子供がいる父親が「ワーパパ」と呼ばれるのを聞いたことがあるでしょうか?
多くの場合はないと思います。
それはこの社会のジェンダー概念において
「パパ」は働いて家族を養うのが役割であるためです。
つまり「ワーパパ」は当たり前のことを指しているからわざわざワーディングされないということです。
対して、「ワーママ」は
働くという本来家庭において「パパ」の担うべき役割
そして、家事や育児のメインに担うという「ママ」の役割
この相反する二つのジェンダーを担おうとする人をカテゴライズするために存在している言葉です。
料理、掃除、洗濯やアイロンがけ、子供に食事を与え、お風呂にいれる、寝かしつけ、看病し、一緒に遊ぶこと。
全て男女関わりなくできることであり、女性にしかできないことと言えば産むことと、体内で母乳を生成すること程度です。その母乳を与えることは搾乳によって父親母親問わずにできることです。
そして、これらはすでに多くの父親たちが行なっていることでもあります。
育児のための配慮を必要とする親は母親だけではなく父親も同じはずです。
「ワーママ」という言葉は産後職場に復帰した女性たちと、その周囲の同僚や上司をジェンダーの箱の中に閉じ込めます。また同時に、この言葉の存在によって父親たちが職場において十分な配慮を得られないことにもつながっています。
職場において、子育てをしながら働く人に対する配慮は男女を問わず十分に行われるべきですが「ワーママ」のラベルは育児や家事を母親たちの役割としてべったり貼り付けるものであり、当事者を、周囲を束縛します。
私の戦い
私の場合はまず、職場復帰して「私はフルに働きたいんです」と意思表示をしなければとAM7:00出社で職場復帰しました。
AM5:00に起き、20分で支度を済ませ、始発に乗って出社。
子供の食事は手作りしなければ、という思いにかられ週末は2日間かけて離乳食と大人の食事1週間分の作り置き。
子供ともいっぱい遊んであげなきゃ、お歌も歌って絵本も読んで。
「働く」と「ママ」を両立させなければいけないんだから。
全部全部頑張らないと、完璧にしないと。
夫は家事も育児も、本当に全くの半分ずつで担ってくれていたし、完璧な家事など当然求めていなかったし、「ベビーフードは食品メーカーがちゃんと安全基準を満たして作っているんだから、もっと頼ってみよう」「大人の食事なんてなくてもいいんだよ、どっちも働いているんだから。カップラーメンだってレトルトだってお互い楽になっていいんだよ」と何度も何度もいってくれましたが、私は全く耳を貸さず。
自分で納得するまで、やりたいようにやらないと気が済まないのをわかっているのでサポートしながら見守ってくれていました。
2ヶ月とたたず限界が来ました。
子供には怒ってばかり、夫に当たり、なにをしてもうまくいかない。
職場で「ママ」像から離れたい、「女性らしさ」から離れたい、と思って肩まであったボブを、バッサリ切って突如刈り上げツーブロックに(しかもいきなり刈り上げ部分4mm笑)。
我ながら逃れ方がぶっ飛んでいるなと思うのですが、とにかく何か一つでも自分から「女性らしさ」「ママらしさ」を引き剥がしたいと思っていました。
それでもどうしても、それまでジェンダー関係なく仕事して過ごしていたのと同じ環境で「ワーママ」のラベル、ジェンダーの呪縛に囚われることに耐えきれず、復帰から7ヶ月余りで転職を決めました。
転職して、自分で選んで環境をガラリと変え、やっとラベルに抗い戦う日々から離れられるようになり、今では親であることも、仕事もそれぞれに別個のものとして自分らしく楽しむことができています。
ラベルに縛りつけられないでほしい
それでも「ワーママ」というラベルは非常に便利なラベルではあります。
キャッチーでわかりやすく、「バリバリ働きたいし育児もしている人なんだな」とたった4文字で伝わります。
少ない文字数で自己表現が求められるSNS全盛の時代にあって便利なものであることは間違いありません。
肝要なのは、このことばのもつ強烈なジェンダー役割概念に、自分のらしさが引っ張られないことです。
社会の求める「女性らしさ」や「ママらしさ」は「自分らしさ」ではなく、自分がどうしたいか、自分で納得して選び、行動することが必要なのだとおもいます。
私自身、今となっては「ワーママ」と呼ばれても特にそのこと自体に引っかかりも覚えません。
それは、すでに自分から「ワーママ」というラベルを自分で剥がし終えて「まわりがどう呼ぼうが、それは私そのものではない。」と結論づけできているからです。
私は娘の親となれたことをとても誇らしく思っています。
社会に求められる「ママ像」に自分を当てはめようとしましたが、そうではなく自分らしく子供と接することができている今、とっても幸せです。
4月の慣らし保育を終えてGW前後はママの職場復帰が多い時期でもあります。
どうか、言葉に飲まれることなく、自分らしさを失わずに、がんばりすぎず過ごしてくださいね。
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