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習慣化に根性は要らない

この4月から、毎日、趣味の筆文字で一言書き、InstagramやFacebookで公開することを始めた。
5ヶ月も毎日続いていて、自分が一番びっくりしている。

だって私は、自分のことをずっと三日坊主だと思っていたから。

「私は三日坊主。自分との約束も守れない、意志の弱い人間」
小学生の頃から、かれこれ30年近く、そんなセルフイメージを抱き続けてきた。

そんな私が、何故これだけ、一日一筆を続けられてきたのか、改めて考えてみたので、ここに記しておく。


最初はやる気に満ち溢れている

例えば、日記を始める時。
大抵のきっかけは、他の人が日記をつけていること、しかもその習慣によってとても素敵な何かを手に入れていることを知るところから始まる。

ほぼ日手帳を使ってお気に入りのスクラップを集めて、眺めればいつでもご機嫌になれるノートを作る話。
5年間書き続けられる日記帳で過去の自分を振り返る話。
理想の未来を記し続けて、本当に実現してしまう話。

それ、なんだか素敵。
私もやってみたら、いいことありそう。
私だったら、あんなこと、こんなこと書きたい!
こんなものも取り入れたい!
あぁ、こんな日記帳が出来上がったら、きっと読み返すのが楽しいだろうな…。

そう思って、勢いよく始めるわけである。


…けれど、悲しいかな。


やる気はしぼんでいく

あんなに、やる意義も見えていて、魅力を感じて始めたことなのに。
数日も経たない内に、あっという間にそれは毎日のタスク、こなすべき作業になり下がってしまい、あれもこれもやりきることに疲れてきてしまうのだ。

そんな中で、一度でも自分の理想通りにできない日があると、それは自分に負けた、嫌な記憶となる。
そして、また同じ思いを味わうのが嫌で、続けること自体、止めてしまう。

そんなことを繰り返してきた。


しかし、今回はこの通りである。

あれ?
私、三日坊主じゃなかったのか??

一体、今までと何が違ったのか。

改めて考えてみてわかったことは、これまでは私の意志の弱さが問題だったのではなく、やり方が悪かったということだ。


自分で自分のハードルを上げすぎていた

私はこれまで、「やりたい!やろう!」と思った最初の段階で描く理想のレベルを、かなり高く設定していた。
いわゆる完璧主義だ。

やるからには、あれもこれもやるべき。
毎日これだけのクオリティを続けるからこそ、意味がある。

自動的に、そう考えてしまう思考回路だった。

でも、それはまるで、続けたいものをわざと続けさせないように、自分に罠を仕掛けてたようなものだったのだと、今ならわかる。


続けるためのハードルをとにかく下げる

実は今回、まじ日伝筆を始めるにあたり、自分のハードルをものすごーーーーーーーく低く設定した。
 
そして、途中から更に低く下げた。


具体的には、こんな感じだ。

・中身はなんでもよく、一日一言さえ書いてたらOK。
・添える文章に制約は設けない。何か一行でも書いてたらOK。
・投稿時間はズレてOK。なんなら、毎日書いてさえいれば投稿は別日になってもOK。
・うっかり書くページを間違えてもOK。
・他の写真も添えられたらいいが、写真がある時とない時ができると自分が気になるから、やらない。
・英語でも説明をつけられたらいいが、絶対挫折するだろうから、やらない。

とにかく、「続けるためにはどうしたらいいか」に主眼を置いて始めたのだ。

しかも、ほぼ日手帳に一言書くやり方は、オリジナルではなく、自分の筆文字の先生が一時期やっていたやり方。
つまりパクリである。
(もちろん先生の了承は得た)

それでも構わなかった。
「それだったら続けられそう」と思える、私にはぴったりのやり方だったから。


大切にしたかったのは、やろうと決めた自分の思いだ。

大好きな筆文字で、その日感じたことや、大切にしたいと思ったことを、一言だけ書き、公開する。
その営みを通して、このコロナ禍に、自分だけじゃなく、自分の周りの人たちにも、ささやかでも力になれたら。

そんな自分の思いを大切にするためには、何よりも続けることが大事だと思ったのだ。


5ヶ月続けてきて変化した日常

保育園児2人を抱え、フルタイムで働く私の日常は、慌ただしい。

そんな中でも、「今日は何を書こう」と一人思いを巡らす時間は、私の中に、ある種の余裕を生み出している。

放っておけば流れていく日常の中で、自分に起きたことや、見聞きしたこと、感じたことを振り返り、自分の中に落とし込む時間。
なんだか日常が豊かになり、心も穏やかになった。


そして、

「いつも楽しみにしてる」
「今日の言葉は刺さったー」
「これ、俺もめっちゃ大切にしてる」

そんな反応を、ちょくちょく友人からもらえるようになり、素直に嬉しい。

リアルに筆文字のハガキを書いて送ることも増えた。
この時代に、自分がアナログな手紙のやりとりをするなんて、想像もしていなかった。

一日一筆の活動は「続けてきてよかった」と心から思えるし、これからも続けていきたい、続けられそうだと思える営みになった。


三日坊主は誰でも卒業できる

もし、これを読んでいるあなたが、三日坊主で何事も続けられた試しがないのなら、ぜひ試してみてほしい。

徹底的に、ハードルを下げよう。
「やりたい」と感じたその思いを、大切にするために。

どんなに簡単なレベルでもいい。これじゃやっても意味がないんじゃないか、と思うようなレベルでもいい。
「これなら、頑張らなくても続けられる」と思うところから始めるのだ。

軽く背伸びするだけで手が届くところを目指すこと。
小さくても「できた」という実感を得続けられること。
自分自身に対して、前向きな気持ちを抱き続けられること。
 
それこそが継続の原動力になり、「自分にもできる」という自信になり、毎日を楽しく過ごす源泉になると感じている。

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