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物語が終わったあと

 愛してやまない江國香織作品のなかで繰り返し読むのは、20~30代の女性が描かれる作品だ。
 『神様のボート』『ウエハースの椅子』『薔薇の木 琵琶の木 檸檬の木』『東京タワー』などは特に、いつの時代の私にも必要な、美しいディテールが詰まった本。

 尊敬や憧れ、親しみを覚えて頭の中に棲みついた本の中のヒロインたちについて、物語が終わった後、彼女たちがその先の人生をどう生きているのか想像を巡らせることがある。

 私はこの一ヶ月ですっかり変わってしまった。
 読んで書いてを必要以上に繰り返すことで自分を省みなくとも安寧な日々を、はじめて過ごしている。
 そして、訪れたこともなかった土地での、穏やかでおよそ起伏のない暮らしを遠くない未来に手にしようとしているのだけれど、戦い続けてきた人生にひとつの区切りをつけて、平穏で庇護された暮らしをおくる自分が本当に幸福なのかわからない。そして、若さを徐々に失っていくなかでどんな風に生きたいのかがわからない。

 愛してくれる人に庇護されながらたおやかに暮らすのは、きっととても幸福なのだろうと思っていた。でもそれは、戦いの中で助けを求めて思い描いたことで、いまは「その先」が見えず不安に思っている。夢が叶ったその先。憑き物が落ちたような感覚で自由を手にしたその先。

 『ウエハースの椅子』の「わたし」は、この先も画家の仕事をしながらたまの恋人の訪れを待ち、やわらかながら端正な生活を送るのだろうか。
 『東京タワー』の詩史さんは、芸術やお酒、豊かな食事、彼女らしい仕事が日常を彩る美しい生活の傍ら、年若い恋人との情事を繰り返すのだろうか。

 彼女たちは物語が終わったその先で、自分の人生を気に入って、あの美しさのまま日常を過ごすのだろうか。

 ひとつのところに人はとどまれないと、江國さんが書いていた。
 もちろん、登場人物たちの生活や心情は時間ととともに移り変わっていくのだろうが、物語が終わったあとの彼女たちの様子を想像できない。
 本の中で言葉によって表現されていることが美しすぎて、私にはまだ(もしかしたらこの先もずっと)その先を想像することができないのだろうと思う。

 いま、想像していた人生とは全くちがうから、想像することなど大して重要ではないとわかっているのに、私はこの先を想像して安心しようとしている。
 なにも想像がつかなくて困っているけれど、この先過ごすのが思い煩うことなく楽しい日々で、自分の言動が誰かの幸せに貢献できていたらと思う。
 昔はこんなこと露ほども思わなかった。


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