言語の限界・世界の限界|2021年12月15日の日記
ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』に先行する『草稿 1914-1916』でそう書いている、らしい。永井均『〈私〉の存在の比類なさ』からの孫引きである。
読みかけのこの本をひさしぶりにすこし読みすすめようと「ウィトゲンシュタインの独我論」のはじめのほうを読んだ。ウィトゲンシュタインについてはラジオキショ松哲学堂で「著書が少ない(主著が前期・後期に1冊ずつしかない)」というようなことを聴いた気がする……というぼんやりとした記憶があり、とくに説明もなく『論理哲学論考』と『哲学探究』の2冊があげられていたが前提としてスルーできた。聴いててよかった、キショ松哲学堂。
引用の「私の言語の限界は私の世界の限界」は、ぱっとみたところキャッチーにうつる。こういう表現が好きな層っているよね、わたしのことですが。でも、「世界」とはどういう意味だろう。「言語」の範囲も不定だ。いちばん不明瞭なのは2度も登場する「私」だし、この一文を “文字どおり” とらえることすら、哲学においてはむずかしい。
谷村省吾『一物理学者が観た哲学』でいわれている哲学の話をするうえでの「定義の曖昧さ」の指摘がめちゃくちゃおもしろくて印象的だったので、すくなくとも上のような一文をもってきてなにか言うことはできないと考えるようになった。そんなこと言いはじめたらなにも言えなくなる……ではなく、伝えたいのなら伝わるよう言葉を尽くさなくてはならない。
わたしに哲学的素養がないうえ、永井均の言っていることは本質的にはよくわからないが(彼の “問題” がわたしには理解できないので)、文章としてはかなり読みやすいので不思議な感じがする。
というか、これは(永井均にかぎらず)哲学者全般にいえることかもしれないが、どういうモチベーションで書いているんだろう?と思うことがある。『〈子ども〉のための哲学』では「哲学とは、他の人が上げ底など見ないところにそれを見てしまった者が、自分自身を納得させるためにそれを埋めていこうとする努力」とされていて、これにはとても腑に落ちるものがあったのだけど、それなら他人に伝える必要はなくない?と思う。永井均のことはよく知らないけど、生きづらさをかかえる人のために……みたいな社会的意義のために書いているとは思えないんだよな(偏見)。
“世界” の真実の姿を描き出そうとする努力は、とくに自他の区別が強い(“私” に並び立つ存在はいないと考える)ひとにとっては、結局どこへも届かないものなのではないかと思ってしまう。独我論をもうすこし理解できたら考えが変わるだろうか。
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仕事を定時に終えてフラメンコのレッスンに行った。立て込んでいて2週連続で行けなかったのでひさしぶりだ。きょうはギターの方に来てもらっていた!
しかし、せっかくの機会だったがぜんぜん楽しめなかった。ただでさえ数か月の休会期間中のキャッチアップができていないのに、さらにこの2週間であたらしい振りがついていてぜんぜん踊れない。端的につらい気持ちになった。
いそがしいのに平日夜に時間をつくって、安くないお金を払って、その結果いやな気分になるのヤバ……となり、辞めるか自主練するかの二者択一だとわかった。歌うこととちがって踊ることは生活の一部ではないので辞めてもべつにいいのだけど、もうすこしやってみたい気もする。でも練習はしたくない。練習はしたくないんだよ……。たのしいところだけ得たいと考えるのは虫のいい話だけど、それに越したことはないじゃん。
レッスン中に泣いてしまっても気まずくなるだけなので我慢したが、かなり無理な気分だったので帰りに本屋さんに寄った。
先日刊行された岡野大嗣の第3歌集『音楽』を手にとる。
ほんとうにすてきな装丁。このうえなくいい水色だと思うのだけど、版を重ねたらどんな顔になるのだろう。
漫画のコーナーに「このマンガがすごい!2022」のランキングに入った作品がまとめられていた。
ごく限られたTwitterの発信とほかおにのDiscordしか情報源がないわたしでさえ半分くらいは知っていたし、いくつかは読んだこともあった。これは恐山が、ARuFaが、原宿さんが、かまどさんが、寺田さんが紹介していたやつだ、とタイトルを追っていく。逆にまったく知らないものにも興味をひかれた。どれも読んでみたいけどな〜。ぜんぶは読まないだろうな。
オンナ編1位のたらちねジョン『海が走るエンドロール』は、まえにTwitterで第1話を読んだおぼえがあるけど、こんな話題作になっていたのか。正直意外だったかもしれない。いや、第1話はもちろんおもしろかったのだけど、その後まったく目にしなかったから。
結局そのなかからは買わず、寺田さんが「ことしいちばんの漫画」と紹介していた川勝徳重『アントロポセンの犬泥棒』を買った。
まえに試し読みして気になっていて、買うならKindleのつもりだったのに、特典のわんちゃんステッカーがかわいくてつい……。
帰路につきながらさっそく読んだ。インク色が黒じゃない! Kindleの試し読みはモノクロだったような気がするけど(記憶違いかも)、カラーインクだと印象もだいぶ変わってくる。
短篇集。収録タイトルは「野豚物語」「犬泥棒」「リヤドロの置物」「美しいひと」「換気扇」「多重露光」「ロイコクロリディウムの恐怖」の7作品。話の長さにはかなりの開きがあり、最後の「ロイコクロリディウムの恐怖」が前後編あって全ページの約半分を占めていた。次に長いのが「野豚物語」、ついで「多重露光」、あとはそれぞれ数ページのもの。
あたまから読みはじめて、1作め「野豚物語」の時点でもうこれはすごい漫画だと思った。作品世界に引き込まれる。ステッカーのわんちゃんが登場する「犬泥棒」も好きだが、前半では「多重露光」がとくによかった。
(もうすこしくわしい感想を書くつもりだったのに眠気にあらがえなくなってきたのでいつかの機会にゆずる。フリック入力は打つのに時間がかかりすぎる……)
なお「野豚物語」はここで読める。
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きのうの日記に自己嫌悪について書いたが、そういえば9月にもそんなようなことを書いていたと思い出した。
言ってることがちがうじゃんと思ったが、ちがうというのは正しくなくて、この「漠然とした肯定感」と「たしかな諦め」は、わたしにとっておなじもののちがう側面なんだ。いまはどちらかというと気分が沈んでいるのできのうみたいな文章が出てきたのだろうと理解した。
そうやって説明がつけば大丈夫。静物画のデッサンみたいにいろんな角度からよく見てみればいい。