〈ぼく〉は犯人じゃない|2021年5月3日の日記
昼すぎに目がさめる。だる~い。寝たのが4時だったからか、たくさん寝てもつかれがとれていない。おなかもすかなかったので起きる気がせず、そのままごろごろして漫画を読んでいた。かなり非生産的な連休をすごしている。最高~
完結したときいてから読みなおしはじめた『進撃の巨人』を1日に3~4話ずつ読んできて、1か月弱かけて23巻まで読みおわった。ここまではまだ以前に読んでいた範囲だけど、理解があいまいだった設定がかなり整理された。ある程度まとめて読むと絵がどんどんうまくなっているのもよくわかる!
いやしかしおもしろいね。まるごとひとつの「世界」をつくりあげる創作の強さをひしひしと感じる。説明的なせりふも多いっちゃ多いけど、話のなかにうまくとけこんでいて浮いてはいない。でもけっこう話が入り組んでいるし、週刊?連載で読むのはたいへんだったかもしれないな。わたしは週刊誌を買ったことがないのでわからないけど。
16時すぎにようやく起きて、漫画犬ののこり30分くらいを聞きながらごはんを食べる。なにごはん? おひるごはんかな。
家に食べものがたくさんあるので、ひとまず冷蔵庫・冷凍庫をすこしずつ片づけている。のこりの連休もほとんど家でごはんを食べることになりそうだ。
洗いものや家事をしながらありスパをきく。
棒ネコ展、わたしはすべりこみで行けてよかったけどほんとうに残念だったな……。立体フーちゃんをいろんなひとに見てほしかったし、パネルの絵も実際に見てとてもよかったからもったいない。ほんとうに色合いがきれいでちょっと感動したんだよな。展示の再開はむずかしいのかもしれないけどまたなにか機会がありますよう。単行本2巻も出ますように!
おしり探偵の話、山口さんもラジオで話していたしコンテンツとしての完成度がすごいんだろうな。(あるべき方向に)「全力を出す」ということが評価される世のなかであるならそれはすばらしいことだと思う。
サウナアートの話を聞いていたらサウナ行きたくなったな~~~。月いちで通っていた近所の銭湯にももう1年以上行っていない。そのうち行ってこよう。むしろ休みの日の昼間に行こうかな。
エンディングコール!? かまみくか!? ありスパ第2期もたのしみにしています!
みくのしんがOculus Questの配信をしているのに気づいたので見た。
GW毎日配信できょうは3回めらしい。VRで視界がふさがれているからチャットを音声で読みあげるbotが動いていて、なかなかコメントがしづらい。でもおもしろかった~。あしたも見ようかな。おととい配信されていた1回め(アーカイブ視聴)では、かまどさんがその読みあげを悪用していて笑った。
あまりに虚無の日になりつつあったので本を読むことにした。永井均『〈子ども〉のための哲学』のつづき、「第一の問い なぜぼくは存在するのか」の後半にさしかかったあたりだ。
説明の言葉づかいも話のはこびも、とてもとても丁寧なのだけど、わたし自身にその「問い」がないからか、なかなか理解しがたく、一節読んではその節のあたまに戻り、それからまたさきに進んで……と亀のようなあゆみである。あまりに頭に入らないので、一文ずつ声に出して読み、自分で「うん」とこたえながら読みすすめた(そうすると、どこからがわからないかがわかる)。
きょう読んだなかにこんな一節があった。
この本でぼくが送りたいメッセージは、たとえ「哲学」と出会わなくても〈哲学〉をすることはできるし、それは有意義なことだが、逆に、〈哲学〉とつながらない「哲学」はまったく何の意味もない、ということだ。
(永井均『〈子ども〉のための哲学』より。以下同。太字は傍点)
「哲学」は “古代ギリシャから現代にいたる、世の中で哲学であるとされている哲学” 、〈哲学〉は “その「哲学」に触れる以前の、自分自身の子どもの哲学” をあらわす。なお、〈子ども〉とは「まあ、さしあたって、子どもの心をもった、という程度の意味」とある。
これは本書の冒頭――「はじめに」「問いの前に」――ではっきりとしめされている、
哲学とは、何よりもまずするものであって、学ぶのは二の次でいいのだ、いや二の次でなければいけないのだ
他人の哲学を研究し理解することは、哲学をするのとはぜんぜんちがう種類の仕事である。
――という主張を言いかえたものだ。西洋哲学史上の人物の著作を読んで理解するという方法で「哲学の神髄に触れることは、ぜったいにできない」、という導入にすくなからぬ衝撃を受けていたが、きょう読んだ「哲学」と〈哲学〉のところでその意味がようやくしっかりとわかった気がした。
〈ぼく〉とはなにか、つきつめていくなかで「もう一人のぼく」と題された節があり、これは思考実験の「スワンプマン(沼男)」と似たようなアプローチだった。わたしをわたしたらしめているのはいったいなんだろう。この体、この記憶、この性質、なにをとったらわたしでなくなるだろう。
永井先生がくりかえし書いていることを尊重すれば、この本はただ文字を追うのではなく、自分自身で考える(=〈哲学〉する)ための足がかりにすべきだから、このあともあせらずに読みすすめていきたい。
夜、大学時代の同期6人であつまってAmong usをした。きのうの通話のなかでふとその話になって、さっそく実現したのだ。スピード感よ。
なんとなくの内容は知っていたもののまったくの初見だったので、最初は操作や状況の把握に不安があったが、あまりくわしいことがわからなくてもクルーとしてのタスクはそれぞれがミニゲームのようでおもしろかった。わたしでもできる!
ただ、インポスターになるととたんにだめだった。考える要素がクルーのときで精いっぱいだ。まぎれこもうとしてもばればれの行動ばかりしてしまうし、うまい言いわけもできない。会議タイムはLINE通話でやったのだけど、ちょっと疑われると「ワタシジャナイデス」みたいなことを言ってしまう。まあみんなも似たようなものだったけど。
でもなんだかんだ2時間以上ずっとやっていたらすこしずつ勝手もわかってきて、とてもたのしかった。20ゲームくらいしたから、1回あたり5~6分か。速攻で終わった回もあったけどそれはそれで笑った。
キャラクターの色やアクセサリーが選べてかわいい。キャップいいね! わたし(中央)がいちばんおしゃれだな。
あとインポスターにやられるときの描写、若干のハッピーツリーフレンズみがあるね。
日記を書く。きのうとおとといの日記、まだ書いていないね!
5連休も3日が終わった。金曜夜に買いものに行って帰ってきてから、この3日間は家から出ていない。あしたもとくに用事はないけど天気がよければ散歩でもしようかな。家でやりたいことが山ほどあるのでなにも予定のない連休もわるくないと思ったけど、けっきょくすこしは外に出ないと気力がうばわれていく気がする。
きのうときょう同期たちと話してとてもたのしかったし、ひとりでいるのとはちがう脳の部分をつかっている感じもしたけど、じっと文字にむかう時間も好きだ。もうすこしだけ本のつづきを読んで寝ます。
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画像は2年前のきょう食べたパフェ。おいしかったな~。光のたくさん入る気持ちのいいカフェだった。おなじものはもう出ないかもしれないけど、また食べにいきたい。