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今日は母の日

今日は母の日。今年は仕事でもプライベートでも、贈る側の「母の日」はやりきった感があって、自分が家族に何かしてもらおう、みたいな欲求が不思議とゼロだった。自粛暮らしが長くなってきて、子ども達と濃密に過ごしているせいか、私の中の「母」部分が満たされてるのかな。

当然ながら、人は母である前にひとりの人間で、母というのは子どもや家族や社会との関係性においてのひとつの顔でしかない。この顔がどんな顔なのか、意外とやってる本人は掴みにくい。

母の日のお母さんは、一般的には「いつも〇〇してくれてありがとう」みたいに日頃の家事育児を労われたり感謝されたりするようだけど、私としては、それは日常的にそう思っててほしいことで、むしろ母の日は、どうしてこんなにかわいい子ども達に恵まれたのか、その幸運な贈りものに感謝する日と思うほうがしっくりくる。

お母さんになりたくても、色々な事情があってなれない人もいるなかで、なんだか申し訳ないような気もするが、でも、もちろん子育ては大小様々なしんどいことも怒涛のように押し寄せてくるわけで、どっちがどっちとかは、比較しても意味ないし、気にするほうが余計なお世話なのかも。

グダグダ書いたけど、そういうわけで今日は幸運な自分を祝して大好きなちらし寿司を作ることにした。桃の節句のちらし寿司には菜花が似合っていたけど、初夏のちらしには、軽い絹さやが似合う。

汁ものは、京都の小川食品の、年に一度の最高に美味しい筍新鮮パックを開けて、あさりと一緒にスープにして。おすましにするか迷った末、ちょっと変化球。最初に油をひいて生姜を入れて香りが立ったところに筍とアサリを入れて少し炒め、お酒とお水で煮たったら醤油と胡椒で整えるだけ。お椀によそって三つ葉を散らして完成。(作ってる途中でお酒が足りないことに気付いて夫がスーパーに走ってくれた。こういう普段の当たり前の優しさが大事なのだ)

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デザートは、高原育ちの赤肉系レノンメロン。この品種はらでぃっしゅぼーやで初めて注文してみたが、甘さと香りが濃厚で、でもむせ返る程の嫌味はなくて、すごく好みだった。夫と娘はメロン独特の刺激が苦手であまり嬉しくなさそうだったが、2歳の息子は「モット イイ イイ!!」と新しい美味しいものとの出合いを喜んでくれた。

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そんなこんなで今年はよい母の日を過ごせた。夕方のニュースで「今日は母の日」を聞きつけた娘は、わかりやすく「何もプレゼント持ってない」としょげていたので、じゃあ後でお手紙でも書いてちょーだい、と言ってみたら、すこし考えてから、「わかった!ママの好きなサラダ作ってあげる」とか言い出して、かわいかった。世の中の、何かしなきゃプレッシャーにやられてて。でももう今日は作っちゃったし、また明日ねってなだめた。サラダを作るって発想は、角野栄子と長新太の『サラダでげんき』から来てるのかな。読むだけで不思議とパワーが湧いてくる、娘も私も好きな本。

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